私は、田舎で生まれ、子ども時代を田舎で暮らしましたので、いわゆる「世間」と近いところで育ちました。
よく親は、「世間に恥ずかしくないように」と言いました。
ありがたさと同時に、他人の悪口を人が言うという世間の、ある意味の「怖さ」も知らされたのです。
当時は、葬式は自宅でやるのが普通でした。
そうすると近所の人が家の中に入ってきて、てんぷらを揚げたり、料理をかわりに作りました。
参列者の受付を近所の人がしてくれました。
つまり、葬式は地域共同体的な絆で運営されたのでした。
近所の人に会ったらあいさつをするように親からしつけられました。
これはこれで、子ども心に煩わしく感じたこともありました。
しかし、当時田舎では、人は世間と近いところで生きてきて、その恩恵を受けていたことも事実です。
たとえば、ご飯のおかずを近所の人がおすそ分けしてくれるといこともありました。
隣の人への関心が高かったのです。
松尾芭蕉の「秋深き 隣はなにを する人ぞ」の精神が息づいていました。
そして、人が周りの人の感情とか周りの人がどう思うか、どう感じるかということに、かなり敏感だったのです。
でも、今の時代では、人はそれほど周囲の人びとのことを気にしなくても生きていけるようになりました。
これは突き詰めると、周囲の人が何を言おうと、何を思おうと自分には関係ないという人が増えたということです。
人との絆で助けられることが少なくなった分、人間の「怖さ」を知る機会も減ったという考え方もできます。
この50年間で、日本の社会は大きく変化したというのが、私の実感です。
思えば平成の約30年間で昭和の時代の価値観がすっかり変化したのだと、いまさらながら思います。
その日本社会の変化の中で、教育で、子どもが人とのつながりをどう結び、何を学んでいくかが、あらためて問われるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます