いまから80年ほど前の詩があります。
学校遠望 詩人 丸山薫
学校を卒へて歩いてきた十幾年
首をめぐらせば 学校の思い出のはらうかに
小さくメダルの浮彫りのやうに かがやいてゐる
そこに教室の棟々が瓦をつらねているゐる
ポプラは風に裏返って揺れてゐる
先生はなにごとかを話しておられ
若い顔たちがいちやうにそれに聞き入ってゐる
とある窓辺で誰かが他所見(よそみ)して
あのときの僕のやうに呆然(ぼんやり)こちらをながめてゐる
彼の瞳に 僕のゐる所は映らないのだろうか?
ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに
考えてみれば、教室で授業を受ける生徒には、一人ひとりに将来・未来があり、そのそれぞれが、いまからつくられていくのですが、おのおのちがったものになっていきます。
そして、中学生のときには、先のことはこれから起こることであり、見通すこともなかった将来・未来だった点に、やがて誰もが立つことになるのです。
それぞれの生徒が社会や家庭や地域で異なった生活をしていても、そのもとになるどんな学習を積んできたかをたどっていくと、誰もが学校の「教室」にたどり着くのです。
でも、それは学校にいるときには、将来そのように逆戻りして思い出すことになるとは思ってもいなかったのです。
学校遠望 詩人 丸山薫
学校を卒へて歩いてきた十幾年
首をめぐらせば 学校の思い出のはらうかに
小さくメダルの浮彫りのやうに かがやいてゐる
そこに教室の棟々が瓦をつらねているゐる
ポプラは風に裏返って揺れてゐる
先生はなにごとかを話しておられ
若い顔たちがいちやうにそれに聞き入ってゐる
とある窓辺で誰かが他所見(よそみ)して
あのときの僕のやうに呆然(ぼんやり)こちらをながめてゐる
彼の瞳に 僕のゐる所は映らないのだろうか?
ああ 僕からはこんなにはっきり見えるのに
考えてみれば、教室で授業を受ける生徒には、一人ひとりに将来・未来があり、そのそれぞれが、いまからつくられていくのですが、おのおのちがったものになっていきます。
そして、中学生のときには、先のことはこれから起こることであり、見通すこともなかった将来・未来だった点に、やがて誰もが立つことになるのです。
それぞれの生徒が社会や家庭や地域で異なった生活をしていても、そのもとになるどんな学習を積んできたかをたどっていくと、誰もが学校の「教室」にたどり着くのです。
でも、それは学校にいるときには、将来そのように逆戻りして思い出すことになるとは思ってもいなかったのです。
「授業が楽しい」「授業がつまらない」というありきたりな学校生活を思い出すのです。
このように考えると、現在の「わたし」は中学時代の「わたし」につながっているとあとで気がつくのです。
学校とは、人生の中で重要な位置を占めています。
生きることに必死すぎて
大事なことを見逃していた
一度来た道 引き返して
あの校庭に立つんだ
さあ、母校へ帰れ
(秋元康『母校へ帰れ』[NMB48])
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