先日、広島の平和記念公園、平和記念資料館へ行きました。
平日でしたが、来館者はたくさんで、資料館は人でごった返していて、展示をじっくりと見るのは容易ではないという混み具合でした。
来館者は修学旅行生が多かったですが、来日外国人観光客も多くが訪れていて、みなさん熱心に見学されていました。
そこで私が感じたのは、資料館へ来て実際の原爆・核兵器の恐ろしさを初めて知った外国人が多いのではないかということでした。
足を止めて、じっと展示物を見たり、英語説明文を読んでいる外国人は、一様に真剣な表情でした。
原爆・核兵器の恐ろしさ、悲惨さ、原爆被害の実相は、実際の展示や証言を見たり、聞いたりして初めて真に理解したというのが、実情のようです。
アメリカ本国にいれば、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった。最初にパールハーバーを攻撃しかけてきたのは日本だったじゃないか」という意見をもつ人はいます。
しかし、大量の放射線を放った兵器がどれほど多くの人びとの人生、生き方を変えてしまったかを知るとき、原爆投下正当論の間違いに気づくのです。
また、被爆体験者が語る証言には、命を削って語り続ける被爆者の証言には重みがあり、核兵器はに関する無知を一つひとつそぎ落とし、人の心や考え方に変化をもたらす力があるのです。
被爆体験者の証言や平和記念資料館は、核兵器は二度と使ってはいけないという被爆者の言葉を人びとの心に遺産として残るよう訴え続けるのです。