箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

あいまいさにつきあう

2024年12月05日 08時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしが学校現場で教員をしていた途中、おそらく1990年頃から、学校の職員室で教職員がパソコンを仕事に使うようになりました。

まだ、生徒がPCを授業で使い始める前の頃です。

そのときに、しきりに社会で言われていたのは、「情報化社会」の到来でした。

ほどなくして、情報化社会の進展とともに、情報リテラシーの力を生徒につけていく必要性が言われるようになりました。


情報社会で求められる力とは、いわゆるリテラシー(読み書き能力)でした。


それは前後の文脈を押さえながら、文脈を読み内容を理解する力です。


そのためには他者の文脈を把握することが求められ、過去の歴史という時間軸も前提になります。


ところが、そのときからおよそ30年が経過して、文脈はどんどん軽視される方向に進んできたのでした。


LINE、X(ツイッター)、インスグラムなどのSNSなど、ネットワークでつながり合う時代が到来したのがその原因です。


文脈や事実を読むのではなく、喜怒哀楽のような感情を表現して、それを読んだ人も感情で返します。


こんなにおいしかった→その店にわたしも行きたい


お客さんに無理難題のクレームをつけられた→許せない


悲報! かわいがっていたペットがなくなった→悲しい


このように、私たちは喜びや驚き、怒りといった感情社会の中で生きているのです。


煩わしい現実よりも、快楽が優先されます。SNSの浸透により、即時的な満足感の最大化が目的とされる社会が来ているのです。


こんな感情社会のなかで、私たちはどのように生きていけばいいのでしょうか。  




生成AI(人工知能)でも間違える情報の真偽も、実は時間がたてばおのずからわかる場合が圧倒的に多いのです。



だからこそ、情報をまず『  』でくくって、即断せずに見過ごすのです。


よくわからなくても、そのあいまいさを受け入れ、時の経過という試練を待つのです。


情報があふれるSNSの時代でも、リアルな社会にはそこからこぼれ落ちた、煩わしくても大切な情報があるのです。