『斐伊川相聞』(富岡悦子)の詩集は、作者にゆかりのある出雲や、父との記憶などをめぐって書かれています。
歯切れのいい短めの詩は、淡々とした語り口と互いに作用しあい、きっぱりとした清々しい印象を放ちます。
「天寺平廃寺」(てんじびらはいじ)には、次のような一節がでてきます。
私の手をひく大きな人は
もう片方の手で中空を指さした。
その先には白鳥が飛ぶ。
「ああ くぐい」と父の低い声。
くぐいとは白鳥のことですが、作者の思い出と重ねられて大切に扱われています。
詩を通して、敗戦の夏の記憶をたどり、作者は祖先に繋がる土地を引き寄せようとします。
一つ一つの物との距離感をはかるようにして綴られるが、はかりきれないはがゆさを含んだ作品になっています。
それは忘れてしまいたくないという抵抗でもあります。
私的なところから始まり、広がりをもって風物や歴史へと視線が届いていくのです。