児童生徒の健やかな発達・成長のためには、「自己肯定感」が大きく影響すると、学校関係者は考えています。
「自己肯定感」とは、子どもが自分には価値があると感じていたり、自分に自信を感じる状態のことをさします。
生活のいろいろな場面で「わたしってOK」「わたしってなかなかやるね」と感じる子どもは、自己肯定感が高いと言えるでしょう。
このような子どもは、おそらく想像がつきやすいでしょうが、学校生活でも学習や学校行事、部活動など、いろいろなものごとに取り組む意欲が高くなります。
ですから、学級担任はそれぞれの児童生徒が自己肯定感を高めるような学級づくりを進めていこうと意図します。
しかし、自己肯定感を考えるとき、何でもありで、手段を選ばずに高めようというのは望ましくないです。
たとえば、
・競争をして勝ち、友だちよりも自分が優れていると感じる競争勝者の感情
このような子どもは、おそらく想像がつきやすいでしょうが、学校生活でも学習や学校行事、部活動など、いろいろなものごとに取り組む意欲が高くなります。
ですから、学級担任はそれぞれの児童生徒が自己肯定感を高めるような学級づくりを進めていこうと意図します。
しかし、自己肯定感を考えるとき、何でもありで、手段を選ばずに高めようというのは望ましくないです。
たとえば、
・競争をして勝ち、友だちよりも自分が優れていると感じる競争勝者の感情
・自分に能力があるから、クラスの友だちが自分を必要としていると感じるというような条件がつく場合。
→これらのケースでは、「競争ベースの自己肯定感」(A)と言えます。
いっぽう、たとえば、
・自分は自分で大丈夫だと感じている。
・自分は○○ができるできる/できないに関係なく、クラスの一人として認めてくれている(だから、わたしも友だちのことをクラスの大切な一人だと思う)
→これらの場合は、自分のことも、友だちのことも大事に思う「共感ベースの自己肯定感』(B)と言えます。
わたしは、学級担任なら、(B)であふれるクラスをつくりなさいと助言しますが、人が生きていく上で、必ずしも(A)は意味がないとは思いません。
アスリートの世界では、能力と努力の程度により、レギュラー選手になれたり、なれなかったりします。
アイドルの世界では、メンバーに競争をさせ、切磋琢磨することで、個人の力を伸ばし、チーム全体のパフォーマンスも高めていきます。
その点で、(A)の自己肯定感を全面否定しなくてもいいと思います。
ただし、学校では(A)があってもいいですが、教育活動の中心が(B)で貫かれているべきだと考えます。
なぜなら、学校や学級という場は、「他者に頼ること」を学ぶ場だからです。
自分でできることは自分でやります。でも、どの人にも一人ではできないことがあります。
その点で、(A)の自己肯定感を全面否定しなくてもいいと思います。
ただし、学校では(A)があってもいいですが、教育活動の中心が(B)で貫かれているべきだと考えます。
なぜなら、学校や学級という場は、「他者に頼ること」を学ぶ場だからです。
自分でできることは自分でやります。でも、どの人にも一人ではできないことがあります。
そのとき、他者に頼り、「Help me!」と言って助けてもらい、協力し合って取り組んでいくのが世の中だからです。
学校は、競争ベースの自己肯定感をもつ子を否定はせず、共感ベースの自己肯定感をもつ子を増やし、競争ベースの子に共感ベースを伝えていく場です。
学校は、競争ベースの自己肯定感をもつ子を否定はせず、共感ベースの自己肯定感をもつ子を増やし、競争ベースの子に共感ベースを伝えていく場です。
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