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国連の障害者権利委員会は日本に対して、障害のある児童生徒が特別支援学校で教育を受けるしくみを中止するように勧告していました。
これはインクルーシブ教育の視点に立って、障害のある人が特別な学校で学ぶことで、「分けられる」ことになるからです。
世界的な社会の流れは、同じ社会で障害のある人とない人がいっしょに暮らすという共生社会の理念と重なるものです。
津久井やまゆり園で、2016年に起きた殺傷事件の際に、新聞記事がつけていた見出しを私は今でも忘れません。
「こんな静かな緑豊かな山の奥の施設で殺傷事件が」でした。
こんな人があまり住んでいない山の奥に、なぜ住むことになったのか。それは障害者を分けて、山奥に押し込める立地条件を選んでいるからなのでないかと、私は思いました。
その意味で、新聞記者は「分けられた障害者」という識見がなかったのでないか、それが世間の障害者への「まなざし」でないかと感じたのでした。
さて、国でh2023年度からむこう5年間の「障害者基本計画」案がこのたび出されていますが、国連の勧告にもかかわらず、障害のある児童生徒がほかの児童生徒とわかれ、特別支援学校で教育を受ける制度の中止には踏み込みませんでした。
勧告に背いた形にはなりますが、私はいまの日本の有識者の考えが分けるのに全面的に反対とはならない意識段階にあると考え、やむを得ないと思います。
ただし、「障害の有無で分け隔てられることなく、可能な限り共に教育を受けることのできる仕組みの整備を進める」と基本計画に明記しているという段階にあることを評価したいと思います。
日本ではもっとインクルーシブ教育の理念が人びとに浸透してからでないと、「分けることをやめた」だけになり、本当の意味での共生社会の実現にはつながらないからです。
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