いまの小中学校の授業では、児童生徒の学習意欲を上げ、思考力・判断力・表現力を高め、課題を解決していく力を育てる方向に向いています。
そのため、保護者のみなさんも授業参観等でお気づきかと思いますが、グループ学習をよく行います。
「それでは、いまから班になって、話し合ってください」
実際、私が各中学校をまわって、授業を見ていても、グループ学習の時間を設けることが多くなりました。
少し専門的な話になりますが、授業の真ん中あたりで、教師があらかじめ用意した「主発問」を子どもに投げかけます。
そして、その「主発問」について、各自で考えを巡らせ、それをノートやプリントに記入します。
これをもとに、グループのなかで、自分の考えや意見を出し合います。
そのため、「では、いまからグループで話し合ってください。あとで話しあったことをグループごとに発表してもらいます」という教師からのおきまりの指示が入るのです。
ある中学校の授業で、こんなやりとりがありました。
「男女が対等に共に生きていく社会にするために、自分はどのようなことができるか」。
ある女性の手記をクラスで読んだ後、このような「主発問」が教師から出され、グループでの話し合いが始まりました。
「自分にできることからやっていく」
「妻がやっている洗濯を、夫が全部やればいい」
そのうちに「お父さんが、お母さんのかわりに育児休暇をとる」。
その考えを受けて、一人の女子生徒が
「私たちが男の人が育休をとるのを啓発するチラシを作って、全家庭に配る」
そうすると、「そんなん、ムリや!」と男子が一蹴しました。
まわりからのフォローもなく、その子はそのあと黙ったままでした。
そして、そのグループからの発表では、その子の提案や意見はまったく反映されないままでした。
じっさい、このような授業も多いのです。
なんのためのグループ学習、班での話し合いなのかという感想を、私はもちました。
グループでの話し合いは、一人ずつの考えを聞き合い、共有し合い、それらを受けて自分の考えをさらに深め、考え方の精度を上げるために行うのです。
それを発表し合うことで、さらに自分の考え方を深め、学びを深めるというように、最後は自分に返ってきます。
その過程の中で、他者の考えや意見を尊重する態度も身につきます。
そのような話し合いができるためには、学級集団が、友だちの言うことを聴きあう仲間関係が育っているかということも問われてきます。
すべての考えを交流し合い、グループでみんなが納得できる合意をつくっていく。
クラス全体でそのような学習活動ができるなら、必ずしもグループにならなくてもいいのです。
生徒一人ひとりが発問に対して、高い意欲で学習に向かい、次々に発表して、対話しながら考えや意見を交流でき、そのことで一人ひとりが深く学ぶことができるのなら、グループでやらなくてもいいのです。
そういう授業は、ダイナミックな子どもの学びが生まれ、教室全体が揺れながら思考を深めていくことができます。
まして、今は新型コロナウイルス感染防止のため、4人ほどで机を合わせて話し合うことは避けなければなりません。
授業は「カタ」からはいるのではなく、中身として子どもが何を学べるかで構想してつくるものです。
カタから入ると「かたなし」です。
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