昨日は広島に原爆が投下され、75年を迎えました。
投下され、広島の街は焼け焦げました。
人間も、建物も、動物も、植物も、用具も、あらゆるものが被害を受け、焼け落ちました。
植物でいえば、被爆当時は、「今後70年ほどは、広島に草木は生えないだろう」と言われました。
当時、アオギリは、爆心地から約1.3km離れた中国郵政局(現在の日本郵政グループ広島ビル)の中庭にありました。
このアオギリは、原爆で熱線と爆風をまともに受けました。
このアオギリは、原爆で熱線と爆風をまともに受けました。
枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けました。
ところが枯れ木同然になっていたアオギリは、次の年の春になって芽吹きだしたのでした。
ところが枯れ木同然になっていたアオギリは、次の年の春になって芽吹きだしたのでした。
被爆と敗戦の混乱の中で失意のどん底にあった人々に生きる勇気を与えました。
中国郵政局の建替えで、1973(昭和48)年には、広島平和公園の入口へ移植されました。
中国郵政局の建替えで、1973(昭和48)年には、広島平和公園の入口へ移植されました。
移植後も現在まで、原爆の被害を無言のメッセージとして伝え続けています。
また、広島では、昨日、「被爆ピアノ」を弾くコンサートか開かれました。
会場は、「被爆アオギリ」の前でした。
このピアノは、爆心地から3キロメートルほど離れた民家にありました。
被爆2世の調律師矢川満典さんが修復しました。
ピアノの側面には、爆風で飛び散ったガラス片の傷が残っています。
このピアノは、朝の平和記念式典でも使われ、高校生の平賀小雪さんが、ピアノソナタを弾きました。
広島の街には、ピアノソナタの旋律が、人びとの心に安らぎを与えました。
おびただしい数の人が原爆の犠牲者となるなか、甚大な被害やダメージを受けながらも、生き残ったものもあるのです。
私たちはこの奇跡に驚くとともに、その生命力を感じざるをえません。
このような事実を、いまを生きる子どもたちに伝え、平和を希求する人に育てる。
学校教育に関わる教職員ならびに教育関係者なら、このことを願わない者はいないと、私は考えています。
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