箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

子どもを認められないときには

2015年12月07日 18時51分25秒 | 教育・子育てあれこれ

私自身、部活の試合や大会の応援に行って、三中が勝てなかったり、入賞できなかったりしたとき、生徒たちにどのような言葉をかけるべきかについては難しいものがあります。

それは、保護者のみなさんも同様でないでしょうか。試合の応援に行かれて、または試合が終わって、お子さんからご家庭で結果を聞かれて、負けたときは「一生懸命やったのだから、(勝てなくても)いいんやで」とは言うものの、内心は悔しくて、「なんで負けたんや。もっとがんばらないでどうするんや」と言いたい気持ちでいっぱいのときはないでしょうか。

自分が考えたり、思ったりしていることは、言葉にしなくても、なんとなく相手に伝わるものだと思います。

ほんとうに子どもの心に届くのは、親が心から語った言葉だけであると、私は思います。心で思っていないことは、口にしない方がいいのかもしれません。無理して、お子さんを認める必要はありません。

試合には負けたが、最後まであきらめずに全力で戦ったのなら、頑張った事実を認めましょう。

「きょうの試合は残念やったね。私も悔しかった。バスケットボールもチームでやるものやから、なんぼがんばっても勝てないときもある。
でも、あんたが全力を出しきれたと思うなら、私はそれで十分だと思うで。
もし、100パーセントの力が出せなかったのなら、次の試合では全部出しきれるようにがんばればいいんじゃないのかな。わたしは、次も応援するからな。」

このように、自分の心に素直になってメッセージをいうといいのでないでしょうか。

「でも、認めるところがない場合はどうするの?」

このような疑問が起こってくるかもしれません。もし親が子どもを認められない場合は、過去に自分自身が認められた経験が少ないからかもしれません。親から認められずに育った子は、他者を認めるのが苦手になります。

だけど、いまからでもできることはあります。自分自身をほめるのです。
「◯◯(自分の名前)、きょうもよ~がんばったな~!」と自分をねぎらい、自分で自分を認めるのです。

前にもブログ(12月2日)で書きましたが、親だって不完全。子どもも不完全。お互いに認め合いながら伸びていけばいいのだと思います。

前もって伝えておくと、とまどわない

2015年12月05日 17時21分15秒 | 教育・子育てあれこれ


多くの子どもにあてはまることですが、(おとなにもあてはまりますが)何かに夢中になっているとき、親から中断するように言われると、なかなか次の行動に移れないものです。

たとえば居間で、スマホのパズドラゲームに夢中になっている子に、「もう塾へ行く時間でしょ。早くしなさい」と母が声をかけます。その後、母は家事を続けます。しばらくして、「早くしなさいと言っているでしょう」と声を荒げます。

その子はプリッとして「きょうは、もう行かへん!」といって、自分の部屋に入り、ドアをパタンと閉めてしまいました。

子どもがプリっとする前に、親はどのようにするといいのでしょうか。

このようなときは、塾へ行く時間までに、段階を踏むことが効果的なようです。

塾へ行くため出発する時刻の10分前になると、「あと10分やで」、5分前になると「あと5分やで」→そして10分が経つと「さあ、出発やで」というように、前もって、予告を重ねていくと、子どもの行動が刹那的にならず、気持ちの中に見通しが生まれます。

とくに気持ちや行動の切り替えが苦手な子には、行動の見通しがもてるので、親も子どもも、比較的楽な気分で過ごせます。

これは、学校の教育でいう「ユニバーサル・デザイン」の教育に通じるものです。とくに発達障害など、困り感の強い子は突然「○○しなさい」と言われると戸惑うことが多く、行動・思考が停止して固まってしまうことがあります。

でも「今日は、3限目の国語と4限目の体育が入れ替わり、時間割が変更になります」と、前もって予定が伝わっていれば、2限目が終わると、体操服に着替えるという見通しがもてます。そして比較的スムーズに次の活動への切り替えができます。

このように、あらかじめ予定を伝えておくことは、どの子にとっても、見通しがもてることになります。つまり「ユニバーサル・デザイン」の教育はすべての子にとって役に立つ教育であると考えることができます。

不安を期待に変える体験入学会

2015年12月03日 20時40分44秒 | 教育・子育てあれこれ



今日は新入生体験入学会を、三中で開催しました。南小・西南小の6年生が授業体験、クラブ見学をしました。

6年生は、もちろん4月からの中学校生活を楽しみにしています。でも、だれでも新しい世界へ入るのはちょっぴり不安があるのではないでしょうか。

まして、いまどきの子どもたちです。人間関係をつくるのが、苦手な子もいます。自分に自信をもちにくい子もいます。ですから中学入学に、ある意味で不安な気持ちをいだきやすいのです。

中学入学へのちょっぴりとした不安は、陸上競技のハードルを越えるようなものかと、私は思います。

そこで、三中では今日の体験入学会を開きました。体験入学会は、ちょっぴりの不安というハードルの高さを低くするものです。そして小さな不安を、入学への期待に変えたいと思っています。

そこで、私は冒頭のあいさつで、今日の目標を一つだけ言いました。

「1人でも多く、三中で知っている人を増やしましょう。」

生徒会の先輩・後輩でもいいです。教室に案内してくれる1年生のお姉ちゃん・お兄ちゃんでもいいです。体験授業を担当する先生でもいいのです。クラブの先輩でもいいのです。クラブの顧問の先生でもいいのです。
1人でも多くの人を知っていることが、6年生にとってハードルの高さを下げることになります。

『あ、あの人知っている、去年の体験入学のとき授業をしてくれた先生や』
このように「人」を知っていることで、三中がぐっと近くなるのです。


「ドアの前で考えるな」

この言葉もプレゼントしました。
ドアの前で開けようかどうか考えていても、どうにもなりません。まず、ノックして開けることが、新しい一歩になります。

4月の入学を心まちにしています。



大人も子どもも成長途上

2015年12月02日 19時46分40秒 | 教育・子育てあれこれ

「子どもは、親の背を見て育つ」

よく言われる言葉ですが、今の子どもの子育てにはあまりあてはまらないと、私は思います。

このような育て方は、親が立派な人であるほど、子どもにとってはプレッシャーになると考えられるからです。

三中の子どもたちにも見受けられる傾向として、失敗をおそれチャレンジを避けることが、よくあります。

このように、自己肯定感というか自己信頼感のようなもの、つまりひとことでいうと「自信」があまりない子は、自分と親を比較して、劣等感をもち、あのようにはなれないと感じている場合かあるのです。

親が偉大であれはあるほと、子どもにとっては重荷になるようです。ですから「親の背を見せて育てる」という子育ては、必ずしもいい子育てとはいえないというのが、私の考えるところです、

有名なスポーツ選手の子(2世)が、同じ分野で、かんばしい活躍ができないことが、往々して起こるのは、立派な親というプレッシャーがあったからかもしれません。

もちろんすべての原因が親にあるのではないでしょうが、親が有名であるほど、子どもにはきつく、自分の力をうまく引き出せなくなるのかもしれません。

そもそも親だって不完全です。私もですが、後悔することもよくあります。たとえば、教職員との人間関係で配慮に欠けていたな、と思い反省することもがあります。自分の娘にたいして、こう言った方がよかったな、と思うこともときにはあります。


でも、子どもは完璧な親を求めているのでしょうか。ちょっとぐらい未熟な点があるほうが、子どもにとっては、気が安らぐのだと思います。

欠点を隠さず、笑いとばしたり、あやまるときはあやまるという大人に接することで、子どもは完璧でなくてもいいんや、と感じ自分自身を認めることができるのだと思います。

大人も子どもも、一生、成長していく存在だと、私は思います。