子育てや教育に関わる人にとって大切なこと。
それは、大人が自分の感情に気がついていることです。
感情とは不安、怒り、悲しさ、楽しさ、嬉しさなどいろいろとあります。
しかし感情そのものに価値はありません。
その感情により起こる行動が子どもに対してむけられるとき、それが適切であるか、ないかで、よいか悪いかになるのです。
その意味で、感情と行動は別のものです。
怒りという感情でカッときて、相手を攻撃する言葉や暴力の問題が起きるのです。
授業に集中できず、あたりかまわずおしゃべりをして、正常な授業を妨げる生徒がいたとします。
「静かにしなさい」と教師が何度か注意しました。
しかし、静かにせず、態度が改まらない。
教師に怒りという感情が沸き起こります。
カッとなり、思わずその生徒に手を出し、体罰となります。
この場合、怒りという感情と生徒への暴力は別だということです。
親子間でも同じです。
テスト前なのに、わが子がずっと居間で寝転び、学習に向かうことがない。
イラっときた親が、たまりかねてキレて、子どもの人格を否定するような暴言を吐く。
繰り返しますが、子どもが勉強しないということに腹が立つという感情そのものは「悪」ではないのです。
腹を立てて暴言になることが問題なのです。
イラっときて、言動に移っているとき、私たちは自分の感情に気がついていません。
後で、「しまった」と思うことはあっても、その瞬間には気がついていないのです。
そこで、自分の感情に敏感になると、言動になる前に、自分の感情に気づくことができます。
そのためには、平素から自分の感情をありのまま認めることです。
「わたしはいま、こんな気持ち」と考える時間をもつのです。
「わたしはいま怒りを感じている」と感じている間は、次の言動に移していません。
感情に飲み込まれてはいないのです。
感情は怒りだけではありません。
テスト前に寝転んで机に向かわない子に「大丈夫だろうか」と親が不安になりました。
ところが、子どものその様子をじっと見て、突然「あなたのことはもう知らない。好きにしたらいい」と言い放ち黙ってしまいました。
子どもは「いきなり何のこと?」と思います。
こうなると、親の不安はなくなることはありません。誰にも理解されず終わります。
ところが、「そうやって寝転んでいると、どこか体の具合でもわるいのかと心配だ」と言えば、親が素直に心配していることが伝わるのです。
私たちは、感情をコントロールする習慣を身につけたいのです。