箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

感情と言動は別のもの

2020年08月28日 06時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ



子育てや教育に関わる人にとって大切なこと。

それは、大人が自分の感情に気がついていることです。

感情とは不安、怒り、悲しさ、楽しさ、嬉しさなどいろいろとあります。

しかし感情そのものに価値はありません。

その感情により起こる行動が子どもに対してむけられるとき、それが適切であるか、ないかで、よいか悪いかになるのです。

その意味で、感情と行動は別のものです。

怒りという感情でカッときて、相手を攻撃する言葉や暴力の問題が起きるのです。

授業に集中できず、あたりかまわずおしゃべりをして、正常な授業を妨げる生徒がいたとします。

「静かにしなさい」と教師が何度か注意しました。

しかし、静かにせず、態度が改まらない。

教師に怒りという感情が沸き起こります。

カッとなり、思わずその生徒に手を出し、体罰となります。

この場合、怒りという感情と生徒への暴力は別だということです。


親子間でも同じです。

テスト前なのに、わが子がずっと居間で寝転び、学習に向かうことがない。

イラっときた親が、たまりかねてキレて、子どもの人格を否定するような暴言を吐く。

繰り返しますが、子どもが勉強しないということに腹が立つという感情そのものは「悪」ではないのです。

腹を立てて暴言になることが問題なのです。


イラっときて、言動に移っているとき、私たちは自分の感情に気がついていません。

後で、「しまった」と思うことはあっても、その瞬間には気がついていないのです。

そこで、自分の感情に敏感になると、言動になる前に、自分の感情に気づくことができます。

そのためには、平素から自分の感情をありのまま認めることです。

「わたしはいま、こんな気持ち」と考える時間をもつのです。

「わたしはいま怒りを感じている」と感じている間は、次の言動に移していません。
感情に飲み込まれてはいないのです。

感情は怒りだけではありません。

テスト前に寝転んで机に向かわない子に「大丈夫だろうか」と親が不安になりました。

ところが、子どものその様子をじっと見て、突然「あなたのことはもう知らない。好きにしたらいい」と言い放ち黙ってしまいました。

子どもは「いきなり何のこと?」と思います。

こうなると、親の不安はなくなることはありません。誰にも理解されず終わります。

ところが、「そうやって寝転んでいると、どこか体の具合でもわるいのかと心配だ」と言えば、親が素直に心配していることが伝わるのです。

私たちは、感情をコントロールする習慣を身につけたいのです。