(京都の叔祖父さん宅にて)
明治生まれの御祖母さんは『明治女』そのものの考え方でしたから、今なら「男女差別」「女性蔑視」と思われるかも知れません。
でも、その当時は「それが当たり前」の風潮だったので、仕方がないですね。
私が物心つく頃から『御祖母ちゃん(60歳後半)』という感じで・・
毎朝、長い髪を櫛で梳いて後ろに丸く結っていましたし、普段着の着物姿で居ました。
女は冷や飯を食べて、男には炊き立ての御飯の真ん中をよそう(盛る)
漬物を漬けられない女は、嫁に貰ってはいけない
御祖父さんが箸をつけてから、皆で食べ始める
食事中は喋ってはいけないし、よそ見もしない
1番風呂は、御祖父さんか御父さん
朝も暗いうちから働いて、薪で御飯を炊いていました。
畑で(仏壇に上げる)花や野菜を作り、生卵が大好きな御祖父さんのために鶏の世話もしていました。
大きな小屋で放し飼いにして、餌と水を与えて、小屋の掃除もマメにしていました。
定期的に業者の方が来て、卵を産めなくなりそうな老鳥を捕まえて、秤にかけてはバイクに積んで行きました。
可愛いひよこを買って、廊下の木箱に裸電球を点けて育てて大きくしてから小屋に放していました。
賢い長男・次男を上の学校にやったのに、これからと言う時に戦争に取られてしまい・・シッカリ者の祖母も、貧乏に耐えなければならなかったそうです(戦後は何処の家庭も同じ)
幼い子を連れて「何か食べさせてください」と訪れる人には、家にあげて御飯を食べさせてからサツマイモの蒸したものを渡していました。
私が習字とかそろばん塾をサボって遊んでいたり、1日に十円の小遣いを守らずに無駄遣いをしたりすると、厳しく怒って外に立たせました。
冬になると毛糸でズボンや帽子を編んでくれました。
町内旅行に、私や妹を連れて行ってくれました(1泊)
食事後、背伸びをしてはいけないし横になってもいけない
箸でつかみ合いをしたり、やかんの口飲みをしてはいけない(そんなことはしませんよね~)
やかんや急須の蓋をしないまま注いではいけない
座布団を踏んで歩いたり、敷居を踏んではいけない
川で遊ぶ時は「川の神様、退いてください」と言うこと
両親が新婚の頃、家を新築したりして・・その頃は裕福になっていました。
ですから、御祖母さんは、親戚が困っていると金銭面でも助けたりしたそうです。
御父さんの兄弟の面倒を見たり、同じように妹達の出産の費用や入退院した費用を出したそうです。
御父さんの在所の葬儀も出したそうです。
近所の人達は「よく働く御婆さんだったね」と、親戚の人達は「御祖母さんには随分世話になったから」と言ってくださいます