蕾だった花も、綺麗に開き始めました
十数年前に妹から貰ったカップを、新しい職場にも持っていきます
三つの職場で愛用し続けていますが、本当に丈夫なブランド品ですね~
数字の 『1』が五つ ラッキー (姪から貰った財布も長持ち)
蕾だった花も、綺麗に開き始めました
十数年前に妹から貰ったカップを、新しい職場にも持っていきます
三つの職場で愛用し続けていますが、本当に丈夫なブランド品ですね~
数字の 『1』が五つ ラッキー (姪から貰った財布も長持ち)
盛岡の不来方城
盛岡駅までの道のり、車を運転する人(次男の父親)は黙っていました。
そして、駅前の駐車場に車を停めると、私と次男の方を見て「蕎麦でも食べようか?」と言いました。
三人で蕎麦を食べている間、次男の父は何か言いたそうな顔をしていました。
改札口に向かうと「じゃ、気を付けて!三重に着いたら電話しろ、手術の日には行くからな」と言って、次男の父は寂しそうな・・・無気力な後ろ姿で去っていきました。
私が盛岡に嫁いだのも五月、次男の手術を三重で受けるために去りゆくのも五月でした。
私は2歳になったばかりの次男の小さな手を引いて、東北新幹線に乗りました。
長男と三男は(次男が仙台の東北大附属病院に検査入院している間に)三重の両親が迎えに来てくれて、すでに三重の実家で暮らしていました。
真新しい座席に着くと、私は次男を膝の上に乗せて、ずっと窓の外の景色を眺めていました。
盛岡で知り合った人々、友人達、御世話になった人々、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら・・・懐かしい幾つもの山を越えていきました。
そんな思いつめたような私に、隣の座席の女性が話しかけてくれたり、次男に「みかんをどうぞ」と渡してくださったりしました。
私は御礼を言うと、その後も窓から見える景色だけを眺めていました。
涙を見られたくなかったからです。
でも、その涙は哀しみではなく、希望につなげたい涙だったと思うのです!