グレ
小さめ(5センチ~15センチ)のアイゴは、10匹以上釣って、リリース
このサイズのアイゴは・・・
41センチ! 三男が釣りました
棘を絶対に触らないようにして、直ぐにハラワタを除去したら「とても美味しい魚です」
グレ
小さめ(5センチ~15センチ)のアイゴは、10匹以上釣って、リリース
このサイズのアイゴは・・・
41センチ! 三男が釣りました
棘を絶対に触らないようにして、直ぐにハラワタを除去したら「とても美味しい魚です」
次男が何度も足を運んだ大阪の・・
(元気だった頃の次男の後姿)
今は、もう閉店してしまった『信濃そば』ですが・・此処で一緒に何度も味わいましたね
なつかしいなぁ~
昔の『次男の闘病&看病の日々』を記録した原稿用紙が沢山出てきました
30年前に記した原稿用紙は、黄ばんでいます
同じ病気の子供さん、そして親御さんたちは・・きっと同じ思いをされてきたのでしょうね
最近、自宅を整理整頓して不要な品々も片付けて(断捨離)サッパリした部屋の隅にフェイスタオルやバスタオル入れを置きました
すると、数日前の朝方に見た夢の中で、次男が新たに設置した場所のバスタオルを手に取ろうとしていました
そして、どういう訳か・・私も夢の中で「20日の三重大病院の検診は何時からやった?」と次男に話しかけたのです
次男は「どこから(私の)声が、してくるんだろう」とでも言いたそうな表情で、辺りを見回しています
だから、もう1度「何時から?」と聞くと、次男は黙って耳を澄ましています
「20日と決まっているのだから、いつも通りの時間に出ればいいね」と、私が言ったところで目が覚めました!
気になったので、夢占いで検索したら「いつもあなたを近くで見ていますよ」というメッセージ
そんな不思議な夢を見たので、20日は必ず三重大病院に行こうと決めていました
次男と毎回(診察までの待ち時間に)院内の1階にあるコーヒー店に入っていたので、その店のカードに4500円をチャージしたままになっていたのです
そのチャージ分を、次男が好んで飲んだ『沖縄黒糖カフェ』とサンドやケーキに変えてこようと思いました
朝8時過ぎに家を出て、三重大病院に着いてから真っ先にコーヒー店に入りました
商品を注文して、店員さんが用意してくれるまで待っている間に・・やはり我慢していても涙が流れてしまいました
三袋の紙バックを持って、いつも次男と座っていたテーブルに座って、少しコーヒーを飲みました
次男と通った1階ロビーやコンビニ、小さなTVのある休憩室などを見て、病院を出ました
2歳の頃から、そして新しい病棟が建ってからも通い続けて・・36年余もの長い付き合いでした
さようなら! もう二度と、此処に足を運ぶことはないでしょう
次男の好きだった鮭が入ったサンド
母には『モンブラン』を、次男にはチーズケーキを御供えしました
私がガラケーからスマホに変えた「2020年8月」に、次男とのラインが始まりました
それは、最後の次男の入院となった「2022年2月7日早朝」まで、ずっと続きました
その『次男とのライン』を、ノートに記しました(5冊にもなりました)
私が「思い出したい時」や「年老いた時に、めくれるように」と・・・
いつも元気に頑張って仕事に通っていた姿、楽しそうに馴染みの店に行って友人達と乾杯して語り合っていた姿、名古屋や大阪に共に出かけて賑やかな街並みを散策したり食べ歩きした姿!
そんな明るく楽しい思い出だけが残るノートになりました
ありがとう
前浜でピチピチ跳ねているのを、少し取ってきました
何度も洗って、砂を落とし・・塩漬けして冷蔵庫へ!
昨日、漁師さんが三男に「スナメリを見た」と言いながら、網を投げてカタクチイワシを捕っていたそうです
近所のおじさん達も「昨日は沢山味わった」と話しながら、今日も袋に入れて拾っています
本当に新鮮で、銀色に輝く綺麗な魚ですね
悪い冗談かと思いました!
たった20円の返金額に、この通知書と返信用の封筒を使って・・・「もったいない~」
さらに、還付請求者の相続人が、わざわざ返信すると思われましたか?
あの時・・若い男女(三重大学医学生?研修医?)が、次男の体を持ち上げて、体位を変えたりシーツのシワを伸ばしてくれました
「ありがとう」と礼を伝えると、若い男女は笑顔で「いつでも御手伝いしますよ」と言って退室しました
ですが・・次男の顏を見ると、とても辛そうで・・シンドイ表情だったのです
ずっと目を閉じたまま、痛みを我慢している様子でした
「荒っぽい~」と言いたそうな感じでした(シーツなんかグチャグチャでも良かった!)
その後、ベテラン看護師さんが棒のような先に綿を巻き付けたものを持ってきて、次男の口の中を綺麗にしてくれました
でも・・「あっ」と小さく叫んで、そのまま病室(個室=高額)を出て行ってしまわれた
暫くしてから次男の口を見ると、口内が血まみれでした
きっと先ほどの看護師さんが綿で拭いた時に、どこかを傷つけてしまったのでしょう
最期に、次男と交わした言葉は「1階で飲み物を買ってこようか?」「うん」
買ってきてから「果物水が無かったから、カ〇ピスウォーターとオレンジ100%買ってきた。どちらが良い?」と聞くと・・・
次男は、暫く考えていたので「カ〇ピスウォーターかオレンジジュース」と再度伝えると、少し笑顔になって「オレンジジュース」と言いました
去年の10月末に「病院は嫌や~!殺される」と、次男が痛切に訴えるので・・自宅での看病を決めました
治っていくのならともかく、段々悪化していく次男との自宅での三か月間は「二度と味わいたくないほどに辛かった」
少しでも治らないかと、いろんな「体に良い食べ物や飲み物」を摂らせました
次男も頑張っているのに「検査結果が良くならない」と苛立っていました
「いつ、どうなるか分からないから、悔いのないように生きたい」と、馴染みの御店に(私の送迎で)通い、オーナーや友人達との楽しい時間を過ごせたのは幸いでした
三重大病院に入院していたら、そんな幸せな時間は持てなかったでしょう
私自身も、最後まで次男の看病が出来たことは「辛いけれど、本当に幸せだった」
亡くなる二日前に、自力で歩けなくなっていた次男は「(三重大)病院に連れて行ってくれ」と言いました
過去に、私の先輩調理員さんが三重大学病院で手術された時・・手術を終えて病室に戻ってから「ガーゼの数が合わない」と再度手術してガーゼを取り除いたことがありました
同じく、先輩調理員さんの御主人が癌の手術で動脈を少し傷つけてしまったそうで・・「あの研修医は、私に何の恨みがあるんだ」と無念のまま死去されて・・先輩調理員さんは御主人の無念を晴らす為に病院と戦ったのです