ガシ
息子が釣った大きなグレ
私が釣った小さなグレ
いつも、口ずさんでいた『浜辺の歌』
今も、時々、歌うけれど・・やはり涙が流れる
浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる 寄する波よ 返す波よ
ホンソメワケベラ
魚に寄り添い、口の中やエラを掃除するクリーナーフィッシュです(即、リリース)
(私の頭の中も、クリーナーフィッシュに助けてもらいたい)
次男が去っても、三重大学病院は通常に動いていく
1人の患者が亡くなったことさえ、何事も無かったように、いつも通りに仕事に就いていきます
世間も同じように動いていくし、私達の周りも全く同じように・・普通に時間は過ぎていきます
ですが、母の私だけでも、悲しみ続けてやるのが・・次男にしてやれる「たったひとつのこと」
何故、胆道が詰まってしまっては生きてゆけない子が、この世に誕生させられるのでしょうか?
次男が生まれた盛岡日赤病院の産科の医師の質問や、守る会のアンケートに答えたけれど・・・
検診を受ける前の妊娠初期に、近所の子どもたちの間で「リンゴ病が流行っていた」
同じ時期に、幼い長男と私も「発熱と酷い頭痛、目の充血」で大変だった
父親が買ってきてくれた市販の「子供用シロップの風邪薬」を長男に飲ませ、私自身も経験したことのないような頭痛に耐えられずに、そのシロップを少し飲んだ
次男が、この世に生を受けてから・・ずっと「いつ、どうなるか分からない予後」に苦しみ・・
「胆道閉鎖症で産んでしまった私自身が悪い」と、次男に心の中で詫び続けてきました
健康な人にとっては「38歳10ヶ月」という短い人生でしたが、胆道閉鎖症としては長寿を全うした次男の・・
それでも、背負った哀しみと無念に負けずに「人生を強く生きた次男の意志や遺してくれたもの」を、何かの形で私が受け継いでいかないとダメだとは考えています
息子が釣った『キタマクラ』です 鋭い歯
素手で触るのも危険な魚(皮にも毒が?) 即、リリース!
まだまだ私は、毎日、涙が流れる
次男が「どんな気持ちで最期を迎えなければならなかったのか」と、考えると・・辛い!
近所の人は「寂しいけど仕方がない、寿命なんだ」「あんたは十分してやったじゃないの」と言ってくれる
でも「なんで次男が白血病になった?」「年に何度もCT検査などで放射線を浴びたからでは?」
「せめて2年前に(生体肝移植を)勧めてほしかった」「去年の2月に腎盂腎炎で入院したのは、その前に処方された初めて1週間だけ飲むキツイ薬の副作用だったのでは?」
「杖無しでは歩けなくなっている次男に、あんなに大量の薬を処方して!(病院の金儲けなの?)」などと・・
今さら、どうしようもないことを考えてしまう! 毎日、同じことを考えて、堂々巡りしている!
誰も助けてはくれない!私が、自分の力で立ち直らなければ!と、努力しているのですが・・
息子が釣った魚(ベラ?)
私が釣ったフグ
息子が釣った魚
可愛すぎるから、即リリース
私が釣ったフグ
(蛸も釣りましたが、落下してしまいました)
(伊勢志摩の空を、自由に伸び伸びと舞うトンビの群れ)
次男は「戦う気力が無くなったら終わり」「今年は病に打ち勝つ!」とラインに記していました
胆道閉鎖症には打ち勝って、通常の生活を送っていましたが・・・
急性骨髄性白血病に負けてしまいました
去年の二月に「人工透析をする一歩手前」で緊急入院した際に・・その時点で、すでに白血病に侵されていたのでしょうが、血液検査で見落とされたのか・・「生体肝移植を勧めます!」と主治医らに言われました!
次男は、当時、そのことを聞いて、希望を持ったでしょうか?
「普通の体(自己肝)で生きたい」と、常日頃から言っていた次男です
医者は、延命のことしか考えていません!次男の健康や生きがいよりも『生存率』を優先しています
「酒は飲んではいけない、飲む者は治療しない、タバコもダメ、チーズもダメ、生ものも、云々」
幼い頃や、成人するまでは、医者や親の言うことをキチンと厳守するでしょう
でも、成人後・三十代・オジサンやオバサンと言われる年齢になって、親の言いなりになりますか?
たった1度きりの人生なんです!健康で暮らしている人にとっても「人生80年!or100年!って、あっと言う間!」
「いつ、どうなるか分からないから、悔いのないように生きたい」と、言っていた次男です
したいことをして、好きなビールで乾杯して友人達との楽しい時間を過ごし、食べたいものを食べる
そういう人生を送った次男は・・白血病で倒れてしまったことは無念だったでしょうが・・幸せだったと思いたい!
働くことにも一生懸命で、自分の道を自分で切り拓いていった、立派な優しい、いい子でした
逝く日の早朝に、次男はスマホで誰かに連絡をしたのでしょう
メールや電話の着信音が、何度も鳴りました
「出なくていいの?」と私が言うと、次男は向こう側を向いたまま黙っていました
そして、暫くして私の方を向いて、涙ぐんだ目で見ました。私は、次男の涙を拭いてやりました
その後「痛い~えらい~」と小さな声で呟くので、「痛い?えらい?痛み止めを入れてもらおうか?」と言うと、「うん」と頷きました
看護師さんがやってきたので、そのことを伝えると・・点滴で薬を入れてくれました
静かに何も言わずに、眠るように、優しい穏やかな顔で・・次男は逝ってしまいました