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10月の日本橋:「半沢直樹」の東京中央銀行本店のロケ地「三井本館」 PART2

2013年10月28日 11時44分40秒 | 中央区全域・銀座


TBS日曜劇場のドラマ「半沢直樹」の東京中央銀行本店のロケ地として使用された「三井本館」周辺を散策して、日本銀行本店へ向かいます。現在の三井本館内には三井不動産の本社、三井住友銀行日本橋支店、三井住友信託銀行日本橋営業部などが入居してます。




現在の三井本館の建物は1902年(明治35年)に竣工した旧三井本館が関東大震災で被災したために建替えられたもので、新しい建物は関東大震災後すぐに着工し、1929年(昭和4年)に竣工しました。




かつてはその名の通り三井財閥の本拠であり三井合名会社本社、三井銀行本店、三井物産本社、三井鉱山本店などが入居していました。三井不動産も元々は三井本館(旧)の管理室からスタートしています。




新古典主義様式の外観を持つ建物で、イタリア・ヴェネツィア産大理石などが使用されています。関東大震災の教訓からその2倍の地震にも耐えることができるように作られていると言われており、これは現行の耐震改善促進法の基準の2倍以上にあたります。




三井本館南側の歩道部分を撮影しました。ドラマ「半沢直樹」でもこの歩道が頻繁に出てきました。第9話(2013年9月15日放送)の中で、半沢直樹(堺雅人)と渡真利忍(及川光博)、近藤直弼(滝藤賢一)の同期3人がこの歩道で、今後のことについて語り合うシーンが印象的でした。




太平洋戦争後の1945年(昭和20年)より1947年(昭和22年)までは連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) が4・5階の一部を接収しました。




1998年(平成10年)には国の重要文化財に指定されました。三井本館の保存のため別箇に三井不動産では隣接する敷地に地下4階地上39階の日本橋三井タワーの建設を計画し、その後竣工しました。




ドラマ「半沢直樹」は全10話で構成されていて、前半5話が主人公・半沢が西大阪スチールへの5億もの融資事故に巻き込まれ、5億円を回収するために奔走する「大阪編」、後半5話は東京の本店へ栄転した半沢は120億円の損失を出した伊勢島ホテルの再建に乗り出す「東京編」となっています。※以降、ネタばれあり




「大阪編」で見事に5億円を回収し、その功績が認められて東京本社の営業第二部次長に栄転になり、1年が経過しようとしていました。エリートが集まる営業第二部のエースとして実績を積み上げるところから「東京編」が始まります。




東京中央銀行がメインバンクである日本で一番格式高いホテル「伊勢島ホテル」、200億円の融資をしたその伊勢島ホテルが、120億円の運用損失を出したことが判明します。頭取から直々に伊勢島ホテル担当に抜擢された半沢は、200億円の回収、ホテルの再建に挑むことになります。




東京中央銀行は金融庁監査を二週間後に控え、200億円を回収できなければ、1000億円以上という莫大な引当金を保証金として納める必要があります。それに伴う株価暴落を招いて経営悪化するかもしれないという、逆風の環境の中で半沢の活躍が始まります。




その過程で京橋支店(旧・産業中央銀行支店)による伊勢島ホテルからの内部告発の隠ぺい、大和田常務(香川照之)による中野渡頭取失脚の画策など、様々な困難に向き合うことになります。




最終的には、伊勢島ホテルはアメリカ最大手のホテルチェーン「フォスター」の資本傘下に入り、その下でホテルの再建を目指すことになり、東京中央銀行は金融庁検査を乗り切ることに成功しました。




三井本館南側の歩道を歩いて視界が開けると、目の前には「日本銀行本店」の広大な敷地が広がっています。普段から日本銀行周辺は閑散としていますが、この日は祝日だったので、普段以上にシーンとしていました。




なぜ三越百貨店日本橋本店や三井グループの総本山である三井本館の裏側に日銀本店が建っているのか、この土地はもともと三井財閥のものではなかったのか、その歴史は明治維新後から始まることになります。




日本銀行本店前から撮影した三井本館の全景です。今後、ドラマ「半沢直樹」の続編がドラマなどで作られれば、この三井本館は東京中央銀行本店として再びロケ地として使用されることになるでしょう。




三井本館の北側にそびえ立っている日本橋三井タワーを見上げて撮影しました。



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