今回のシリーズの最後の記事は、中央区の晴海ふ頭に建設される「選手村」についてです。現在の「東京港・晴海ふ頭」の様子は、至る場所に広大な空き地が広がっている状態です。晴海ふ頭の南端部には晴海客船ターミナルが設置されていて、ターミナルの敷地内から晴海ふ頭を見渡すことが出来ます。
当初の2016年に計画されていた東京オリンピック構想では、この晴海ふ頭にメインスタジアムを建設し、選手村は江東区の有明地区に建設される予定でした。しかし、メインスタジアムは国立霞ヶ丘競技場を大規模改修して使うことになり、晴海ふ頭内に選手村が建設されることになりました。間事業者が参画して開発が進められる予定であり、工事費1057億円を想定しています。選手村の施設は、大会後に住宅に改装されます。特徴としては、
1.選手村は都有地である44ヘクタール内に整備される。
2.85パーセントの競技会場が、選手村から半径8キロ以内に整備されている。
3.選手村の居住ゾーンは3街区に分けて、約1万7000人の五輪関係者が宿泊可能な施設を建設する。
4.各住戸は、東京湾の風景が望めるつくり。周辺環境、海からのスカイラインを考慮し、様々な高さの住棟の配置とする。
5.大会終了後は住宅として供給する計画であり、民間事業者の開発への出資を促し、国や都の財政負担なしに整備する方針。
完成予想図その1。選手村内には広々とした広場や散策道、緑地帯などが整備されるのですね。
完成予想図その2。かつて晴海ふ頭には「東京国際見本市会場」の広大な施設があったのですが、1996年に江東区有明に東京ビックサイトが開業したことによって解体されました。それ以降は20年近くに渡って空き地のままだったのですが、ようやく再開発が始まることになります。
ところで、1964年(昭和39年)の東京オリンピックの際に使用された選手村は、現在は「代々木公園」の緑地帯として活用されています。代々木公園の脇に建っている臨時テレビ局(現在のNHK放送センター)がメインプレスセンターとなっていました。
太平洋戦争後はGHQによって接収され、在日米軍の「ワシントンハイツ」として使用されていました。ワシントンハイツは日本への全面返還後、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックにおける選手村の本村・代々木選手村として整備されたのです。