緑の、東京ブログ

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

サッポロ銀座ビル建て替え計画:工事進捗率1% 2014年5月

2014年05月27日 20時00分00秒 | 再開発・中央区


サッポロ銀座ビル建て替え計画:工事進捗率1% 2014年5月
銀座四丁目交差点の南東角に建っている「サッポロ銀座ビル」の再開発計画です。建物老朽化のため2014年春に営業を終了し、隣接する呉服店「つゞれ屋」とともに再開発されます。2014年4月より現建物は解体され、2015年春に新建物着工です。2016年初夏に地上12階・地下2階で再オープンし、現建物に入居していた銀座ライオンや日産銀座ギャラリーも営業再開する予定です。

一連の再開発計画は「銀座5丁目再開発計画(仮称)」と呼称されています。

再開発計画の概要
再開発計画名 銀座5丁目再開発計画(仮称)
事業者    サッポロ不動産開発株式会社及び株式会社つゞれ屋
所在地(地番)東京都中央区銀座5丁目1番1ほか
敷地面積   643.89㎡
建物名称   未定
構造 鉄骨造 、一部鉄骨筋コンクリート造
規模 地上12階下2階建て
建築面積 約558.00㎡
延べ床面積 約7,082㎡
用途(予定)複合商業ビル
現建物解体着手 2014年(予定)
新建物着工 2015年春(予定)
新建物竣工 2016年 初夏 (予定)

銀座五丁目再開発計画について サッポロ不動産開発株式会社



2014年5月下旬現在の、サッポロ銀座ビルの全景です。低層階部分から上層階へ向かって、工事用フェンスが取り付けられています。




和光銀座の時計台や銀座三越、三愛銀座ビルと共に、銀座四丁目交差点のシンボルでもあったサッポロ銀座ビルの屋外広告塔も今後は眺めることが出来なくなりますね。



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ホテルオークラ本館、高層化を伴う建て替えへ 2019年春に開業予定

2014年05月27日 08時00分00秒 | 再開発・港区


ホテルオークラ、建て替えへ 2015年9月に着工、2019年春に開業予定
2014年5月23日、ホテルオークラがマスコミを通したプレス発表で建て替えを行うと発表しました。ホテルオークラは、東京都港区の虎ノ門の閑静な住宅街の中に建っている本格的な高級ホテルであり、2020年の東京オリンピック前の、2019年春に営業再開する予定となっています。そもそも、ホテルオークラが開業したのは1964年(昭和39年)の東京オリンピックの2年前であり、開業後50年近くが経過していて老朽化が長年の課題となっていました。2020年の東京オリンピックに向けて、遂に計画が動き出したと言えます。

ホテルオークラが東京五輪に向け東京本館を建て替え 来年9月着工、2019年営業再開へ
2014.5.23 13:41 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/140523/biz14052313410034-n1.htm

ホテルオークラは23日、旗艦の「ホテルオークラ東京」(東京都港区)を建て替えると発表した。2015年8月末に本館の営業を終え、同9月から工事に入る。2棟の高層ビルを建設し、19年春の開業を予定する。2020年東京五輪を控えて、訪日外国人客を中心に宿泊需要の増加が見込めるとしており、総事業費は1千億円以上となる。

 この本館は前回の東京五輪前の1962年開業で、築50年以上を経て老朽化していた。2棟のうち1棟は地上195メートルの38階建てで、4階から21階までがオフィス、22階以上が客室、もう1棟は同85メートルの13階建てで、客室が中心となる。2棟の客室数は合計で約550となり、現在の本館より3割以上、増える。別館は従来通り営業を続ける。

 オークラとともに高級ホテル「御三家」と言われる帝国ホテル東京、ホテルニューオータニ東京はともに東京五輪に向けての建て替えや改装の予定はないという。しかし外資系ホテルの進出は今後も増え、東京五輪までに都市ホテルの競争は激化しそう。




建て替え計画のイメージです。谷口建築設計研究所が基本検討を手掛けています。右端に建つのは1973年に完成した別館です。

ホテルオークラとは?
東京都港区虎ノ門二丁目地区の閑静な住宅密集地帯の中に建っている高級ホテルです。日本国内では「老舗ホテル」とされており、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともにホテルの「御三家」と称されています。大手ゼネコンの大成建設などの創設者である大倉喜八郎の長男で大倉財閥の二代目である大倉喜七郎氏によって設立されました。

公職追放により帝国ホテルを離れた大倉は、憲法の制定により華族としての待遇も奪われます。しかし、国内屈指の工芸家たちへ日本の美を以って諸外国の貴賓を迎えるホテルの理念を熱心に説き、その協力を得てホテルオークラを開業させました。明治以降の日本に存在したであろう貴族の精神を証明するという野心と「最後の男爵」としての意地により、「帝国ホテルを超えるホテル」をコンセプトに設立されたホテルとなっています。

再開発計画の概要
現在のホテルークラ東京の施設は、地上10階建ての「本館」と、11階建ての「別館(サウスウイング)」に分かれています。1973年に完成した別館の建物はそのまま使用され、1962年5月に開業した本館は取り壊されます。敷地内に設置されている日本の私立美術館の草分けである「大倉集古館」(1917年8月開館)も保存されることになります。

本館は2015年8月末に営業を休止した後、9月から解体工事に着手します。敷地内には高さ約195メートルと約85メートルの2棟の高層ビルが建設されます。高さ約195メートルの超高層棟は地下6階、地上38階建てで、ホテルのほか4~21階にオフィスが入る複合ビルとする計画です。高さ約85メートルの高層棟は地下6階、地上13階建てで、全体をホテルとして使われます。

現本館の客室数は408室であり、建て替え後は、2棟のビルを合わせて現状の3割増しとなる約550室を確保するほか、1室当たりの面積が50平方メートル前後の広めの部屋を増やします。

また、敷地面積の半分に当たる約1万3000平方メートルは緑地として整備されます。都心のオアシスとして開放するほか、災害時の一時避難場所として使われることになります。

五輪にらみホテルオークラも建て替え、超高層に ケンプラッツ
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140523/663972/?fromrss&rt=nocnt



2012年11月の時期に撮影したホテルオークラ東京の本館周辺です。ホテルオークラ東京は、アメリカ大使館の裏側の丘陵地帯の中に建っています。




現在の本館の建物が竣工したのは、1964年東京オリンピックの2年前の1962年(昭和37年)のことです。




ホテルオークラ東京の敷地の近隣にはアメリカ大使館、アークヒルズ、総理大臣官邸、虎の門病院などの重要施設が密集しています。




本館の建物を正面から撮影しました。ホテルとして日本初の東翼と南翼、北翼の3翼からなる「三ツ矢式建築」となっていました。




アメリカ大使館前から振り返ってホテルオークラ東京の敷地を撮影しました。麻布台地の丘陵地帯の東端部に相当している「麻布仙石山(せんごくやま)」と言う名前の高台の斜面上にホテルの敷地が広がっているのです。




ホテルオークラ東京の地図です。

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