
国道20号線(甲州街道)の三宅交差点のそば、最高裁判所の敷地南東側に整備されている広場内を散策していきます。最高裁判所の敷地は、緑豊かな緑地帯の雰囲気となっています。

最高裁判所の歴史は思ったよりも新しく、GHQ占領時の1947年(昭和22年)の4月に成立した裁判所法に基づき、同5月3日の日本国憲法施行と同時に設置された経緯があります。

戦前は、1890年(明治23年)の大日本帝国憲法に先んじて、裁判所構成法が公布されています。大審院の下に、控訴院・地方裁判所・区裁判所が設置されました。軍人・軍属などの刑事事件を裁判する軍法会議や、皇族の民事事件を裁判する皇室裁判所、行政裁判所などの特別裁判所も設けられていました。

広場内から三宅坂交差点を見下ろして撮影しました。国道20号線(甲州街道)の東側一帯は、皇居の広大な緑地帯が広がっています。

国道20号線(甲州街道)の歩道を北側へ向かって歩き、最高裁判所の正面玄関前へ向かいます。

敷地内に植えられている木々に遮られていて分かりにくかったですが、最高裁判所の建物は工事用シートに覆われていました。改修工事でも行われているのでしょうか。

明治時代初期から昭和時代前期まで日本に設置されていた最高裁判所は「大審院」と呼ばれていました。フランスの破毀院をモデルとして設置され、主に、民事・刑事の終審として、特別裁判所及び行政裁判所の管轄に属しない事項について裁判を行っていました。

戦前の「大審院」と、現在の最高裁判所は非常に似ていると一般的には良く言われていますが、司法行政監督権・規則制定権・違憲立法審査権などの権限が大審院になかったなど地位は今よりも低かったそうです。

最高裁判所の正面玄関前にやってきました。元旦の散策だったので、当然ながら閉まっていました。

現在の最高裁判所庁舎は建築家岡田新一氏によって設計され、1974年(昭和49年)に竣工しました。それ以前は、戦前の大審院時代と同じく霞が関地区内に建っていました(現在の裁判所合同庁舎)。

最高裁判所庁舎は地上5階・地下2階建ての規模であり、鹿島建設によって施工されました。裁判所と言うよりは、大規模な博物館の建物のように見えますね。

正面玄関前から国立劇場方向へ散策していくと、敷地沿いに工事用案内板を発見しました。「最高裁庁舎耐震改修工事」が行われているのですね。

敷地内に執務室などが入る仮庁舎を建設し、2014年4月から4年間かけて各棟の壁を厚くしたり、鉄骨で補強したりする改修工事が行われています。

最高裁判所の敷地脇を通り抜けると、すぐに「国立劇場」の敷地が見えてきます。

無人状態の敷地内を散策していきます。
