緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

10月の日本橋:日本橋を渡って、三井本館前まで PART2

2013年10月26日 11時43分02秒 | 中央区全域・銀座


日本橋・都心環状線の高架橋の真下をくぐって、三越百貨店や三井本館、日本銀行本店等の施設が集まっている「日本橋室町地区」の中を散策していきます。百貨店や銀行、証券会社、再開発中の高層ビル群などの街並みが広がっています。




日本橋には「道路元標地点」が設定されていて、日本国道路元標の直上の首都高速の高架橋上にも、東京市道路元標に似せたモニュメント(道路元標地点碑)が設置されています。




日本橋の橋上から北側を見回してみると、日本橋北詰交差点前に建っている「三越百貨店日本橋本店、新・新館」の高層ビルの存在が目立ちます。三越の株式会社設立100周年事業の一環として新館と事務館があった場所に2004年(平成16年)に建設されました。




日本橋の北岸側に広がっている「日本橋室町」地区ですが、名前の由来は京都の室町にならったという説と、商家が多く集まっており、その土蔵(室)が立ち並んでいたためという二つの説が存在しています。




日本橋の北側にあるのが「日本橋北詰交差点」です。銀座方面から日本橋まで伸びていた中央通りは国道15号線に設定されていましたが、日本橋から北側部分の中央通りは「国道17号線」に指定されています。




日本橋北詰交差点から中央通りは緩やかな左カーブを描いていて、その先は神田方向へまっすぐ伸びているのが見えます。普段の平日だとタクシーや業務用トラック、再開発工事が盛んな最近では工事用車両が目立つ中央通りですが、この日は交通量も格段に少なかったです。




中央通り(国道17号線区間)をズームで撮影してみると、大通りの両側は三越百貨店や三井本館の古い建物や、それを模して建設されている再開発施設が整然と建ち並んでいるのが見えます。




東京を代表する百貨店である三越百貨店の本店がここ日本橋室町地区にあり、現在は、株式会社三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社三越伊勢丹が運営する百貨店となっています。その歴史は江戸時代のこの場所に「越後屋」の店舗が設置されたことから始まります。




現在の商号「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものです。




既に竣工している室町東三井ビルディング、日本橋室町野村ビルディングに加えて、数棟の高層ビルが現在建設中の日本橋室町地区です。




スルガ銀行東京支店が入居している黒塗りのオフィスビルを撮影しました。この日は祝日の散策だったので、建物周辺は閑散としていました。




三越百貨店日本橋本店、新・新館前の中央通りの歩道を撮影してみました。商業施設がこの周囲には集まっているので、買い物客の人たちの姿が目立ちます。




新・新館の建物を見上げて撮影しました。併設している本館の建物の意匠と共通するデザインとなっており、本館と新館の建物は一体感があります。




日本橋側に面している壁面に打ち込まれている「三越百貨店」のトレードマークをズームで撮影しました。




日本橋室町地区にはまだ古くから残っているオフィスビル群等が多く残されており、人区の区画全体を束ねる形で再開発工事がこれからも進むことになります。




中央通りの人形町寄りの歩道を散策していきます。手前側から、新・新館、三越百貨店日本橋店本館、三井本館、日本橋三井タワーが中央通りに沿って建ち並んでいます。



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10月の日本橋:日本橋を渡って、三井本館前まで PART1

2013年10月25日 12時26分26秒 | 中央区全域・銀座


日本橋交差点から中央通りを散策して日本橋を渡り、三越本館前まで向かいます。この日の日本橋界隈の金融街は祝日だったので人通りも少なく、閑散としていました。




コレド日本橋の商業施設入り口から撮影した日本橋です。銀座方面から日本橋までまっすぐ南北方向に伸びてきた中央通り(国道15号線)ですが、日本橋の手前付近で緩やかな左カーブを描いているのが解ります。




午前中の早い時間帯の散策だったため、日本橋の手前側を通っている中央通りは、大通り沿いの高層ビル群の影の中に隠れてしまっていました。




日本橋や都心環状線の高架橋の奥には、三越百貨店本館の新館や日本橋室町二丁目地区に建設中の高層ビル群が見えてきました。半年ほど前と比較しても、高層ビル同士の密度が深くなってきています。




日本橋の南側にある「日本橋南詰交差点」にやってきました。都心環状線の高架橋の真下を北方を流れている神田川から分流した「日本橋川」が流れていて、その上に「日本橋」が架橋されています。




日本橋は日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっています。橋梁としては現在19代目にあたり、石造二連アーチ橋で橋の長さ49メートル、幅27メートル、設計は米本晋一、装飾様式は妻木頼黄、装飾制作は渡辺長男によります。




都心環状線の高架橋の後ろ側に見える建設中の高層ビルは「(仮称)室町東地区開発計画(2-3街区)」と呼ばれていて、高さ116メートル・地上22階地下4階建てのビルが2013年12月に竣工予定となっています。




日本橋南詰には「野村證券本社ビル」建っていて、この建物は野村財閥の中核として大阪に本店を置いた野村銀行の東京進出の拠点となる建物として計画され、1930年(昭和5年)に竣工しました。




日本橋地区に隣接している日本橋本石町地区には日本銀行本店があり、少し下流側の日本橋兜町には東京証券取引所があることから、日本橋界隈には全国の銀行や証券会社の店舗やオフィスが密集して集まっています。




何気なく都心環状線の高架橋の真下を歩いただけでは、この場所に日本橋が架橋されているなどとは気が付かないほどです。




日本橋の全景を南詰から撮影しました。石造りの2連アーチ橋の風格ある道路橋のデザインなのですが、正面から見ると全くそれに気が付きません。




日本橋が初めてこの場所に架設されたのは、徳川幕府が開かれた慶長8年(1603年)と伝えられています。日本橋から伸びている「五街道」は1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められました。




整備として一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意します。東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)の順に整備されました。1659年(万治2年)以降は新たに設置された道中奉行の管轄に置かれました。五街道の正式名称が定められたのは1716年(享保元年)です。




江戸から大阪まで結ぶ「東海道・京街道」、日光東照宮までの「日光街道」、東北地方へ向かう「奥州街道」、群馬県の高崎や長野県の軽井沢、伊那谷を経由する「中山道」、甲府盆地を経由して中山道の下諏訪で合流する「甲州街道」の五つです。




都心環状線の高架橋には「日本橋」の銘板が打ちつけられています。以前は薄汚れていたのですが、綺麗になっていました。




3年前の2010年には架橋100周年(2011年4月)を記念し、洗浄再生する『日本橋クリーニングプロジェクト』を11月1日から12月8日まで実施されていました。



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10月の日本橋:中央通り(国道15号線)と高島屋日本橋店

2013年10月24日 13時39分02秒 | 中央区全域・銀座


中央通り(国道15号線)に面した場所に建っている三菱UFJ投資信託銀行・日本橋支店の建物の脇を通り抜けていきます。中央通り界隈にも銀行や証券会社のオフィスが密集しているのですが、祝日だったので閑散としていました。




交通量が比較的多い中央通り越しに「高島屋日本橋店」のモダンチックな建物が見えてきました。2012年9月までは以前は「東京店」となっていたのですが、現在は「日本橋店」に改称・統一されています。去年(2012年)の期間は建物全体が工事用シートに覆われていて、改修工事が行われていました。




高島屋の旗艦店であり、売場面積は50481平方メートルを誇ります。2009年に百貨店建築で日本で初めて重要文化財に指定されました。




現在の日本橋店の建物は1933年(昭和8年)3月に竣工したビルで、当時は日本生命所有のビルで、高橋貞太郎が設計、大林組施工しました。今年は2013年ですので丁度80年目を迎えることになります。




高島屋日本橋店と、丸善日本橋店が入居している日本橋丸善東急ビル前の「日本橋二丁目交差点」にやってきました。金融街であると同時に、商業施設が密集しているエリアなので、私服姿の人たちが目立ちます。




丸善日本橋店(丸善の登記上の本店)の脇を通り抜けていきます。丸善と言えば、東京駅丸の内の丸の内オアゾ内にある「丸の内本店」が旗艦店がすごく有名ですね。




日本橋二丁目交差点から北側を撮影してみると、コレド日本橋の巨大な高層ビルの存在感が目立ちます。10数年後には、この界隈は東京駅周辺のように高層ビル街へと変貌しているかもしれません。




中央通りに面しているメインエントランスをズームで撮影しました。心斎橋にある大丸本店、難波にある高島屋本館などと同じように、昭和初期のモダンチックな建物デザインとなっています。




一時は取り壊して再開発工事を実施して高層化し、低層階に百貨店のテナントを入居させて再開店するプランが進められていたそうですが、取りやめになりました。しかし、百貨店の敷地の周囲では再開発工事が始まっています。




丸善日本橋店の店舗の脇を通り抜けていきます。




「日本橋二丁目第二交差点」にやってきました。前方に小さく日本橋の上を走っている首都高速都心環状線の緑色の高架橋が見えてきました。




振り返って日本橋本店の建物を撮影してみました。東京地下鉄東西線電車に乗車していて、日本橋駅到着直前の車内放送で「次は日本橋、高島屋前です」と流れますが、これは銀座線日本橋駅の建設工事費の一部を、高島屋が当時負担していたからだそうです。




高島屋日本橋店と永代通りの間(高島屋の敷地も含む)の広大な区画のオフィスビル街の再開発計画「(仮称)日本橋二丁目地区北地区新築工事」の工事現場が見えてきました。3基のタワークレーンが組み立てられていて、高層ビルの建設工事が始まっています。




中央通り(国道15号線)と永代通りが交差している「日本橋交差点」に戻ってきました。この界隈は百貨店や商業施設が集まっている地区ですが、南側の銀座地区と比較すると賑わいは半分以下程度です。




都心環状線の高架橋を目指して、日本橋へ向かいます。日本橋界隈も大手町地区と同様に、今後10年くらいは再開発工事が進みそうですね。




1960~70年代に建設されたオフィスビル群と、再開発するために更地になっている個所が目立つ中央通りを散策していきます。



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10月の日本橋:永代通りを通り抜けて、コレド日本橋へ PART2

2013年10月23日 10時41分58秒 | 中央区全域・銀座


東京地下鉄東西線の日本橋駅直上、永代橋から皇居東御苑方向へまっすぐ伸びている「永代通り」を散策していきます。日本橋界隈は昔から銀行・証券会社を中心とした金融街ですが、近年では高層ビル街へと変貌しつつあります。




1999年1月末に盛大な閉店セールを経て閉鎖された東急百貨店日本橋店の跡地に建っているコレド日本橋。当時、日本橋店が閉鎖されることを惜しむ世論が噴出していたことを今でも覚えていますが、時代の流れには逆らえなかったということですね。




アジアの金融センターとして成長しつつある東京駅周辺のすぐそばの立地条件であり、すでに斜陽産業となりつつあった百貨店よりも、高層オフィスビルとして活用していくことに活路を見出したのかもしれません。オフィスフロアにはメリルリンチ日本証券、三菱UFJメリルリンチPB証券などが入居しています。




1990年代の日本橋地区には高級志向の三越本店、高島屋日本橋店が、そして庶民に人気の東急日本橋店の3つの百貨店がありましたが、当時から東急の売れ行き不振状態が慢性化していました。




やはり1990年代になって自動車社会が急速に進み、郊外の店舗(ロードサイド)が百貨店にとっての強力なライバルとして出現したことが大きな理由だと思います。わざわざ地下鉄に乗って、都心部の百貨店へ出かけるといった買い物スタイルが当時から廃れつつあったということですね。




永代通りと中央通り(国道15号線)が交差している「日本橋交差点」が見えてきました。交差点の後ろ側には東京駅周辺の高層ビル群が壁のように林立しています。




現在東京駅周辺には日本を代表する3大メガバンク(三菱東京UFJ銀行・みずほ銀行・三井住友銀行)の本社機能が集中し、日本国内外の金融機関が集中する「金融センター」となってきていますが、このコレド日本橋を始め、日本橋界隈もそれに取り込んでいく流れになっていくのでしょう。




日本橋交差点の北側の一角の敷地にあったオフィスビルが取り壊されており、再開発工事が始まっていました。数年後には東京駅周辺と日本橋界隈の高層ビル群のスカイラインが連なる光景になっていくかもしれません。




日本橋交差点の南西角に建っている「柳屋ビルディング」、高度成長期の1963年に竣工したオフィスビルで、大昭和紙工産業東京本社や三井住友銀行東京中央支店等が入居しています。この後日本橋へ向かうつもりでしたが、少し寄り道して東京駅八重洲口へ向かいます。




東京駅八重洲口から佃島方向(東方向)へまっすぐ伸びている「八重洲通り」へやってきました。八重洲通りの突き当たりは東京駅八重洲口で、歩行者用デッキグランルーフが小さく見えます。




八重洲通りと中央通り(国道15号線)が交差している「日本橋三丁目交差点」にやってきました。中央通りをまっすぐ北へ向かって散策し、日本橋へ向かいます。




中央通りに沿って建っている高島屋東京店、日本橋駅周辺の高層化を伴う再開発工事、コレド日本橋の高層ビルなどを眺めながら歩いていきます。




既に高層化が進んでいる東京駅周辺と比較すると、八重洲口の東側に広がっている広大なオフィスビル街は昔のままですが、今後複数の古いオフィスビルの敷地を統合して、巨大な再開発施設を造る計画が進みつつあるそうです。




祝日の午前中の中央通り(国道15号線)を散策していきます。交通量はそれなりに多く、タクシーやハイヤー等の姿が目立っていました。




銀座中央通りの繁華街と、京橋のオフィス街を挟んで一体化されている日本橋地区の中央通り、街頭や歩道のデザインも銀座地区と同じになっています。




前方に「高島屋日本橋店」の建物が見えてきました。高島屋は大阪の南海本線・地下鉄御堂筋線のなんば駅前に本店を構える総合百貨店で、東京にはこの日本橋店と新宿駅南口の新宿店、2店舗を展開しています。



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10月の日本橋:永代通りを通り抜けて、コレド日本橋へ PART1

2013年10月22日 18時40分28秒 | 中央区全域・銀座


永代通り・千代田橋、首都高速都心環状線の高架橋の真下から引き続き日本橋の散策を続けていきます。前方には地下鉄東西線日本橋駅前に建っている「コレド日本橋」の高層ビルが見えますが、この高層ビルを目指して歩いていきます。




日本橋界隈の金融街・オフィス街の中を東西方向にまっすぐ通っている「永代通り」は、この先の皇居東御苑(江戸城)の大手高麗門まで続いています。大通りの真下には東京地下鉄東西線のトンネルが通っています。




東西線・茅場町駅と日本橋駅の間の界隈には、オフィスビルや雑居ビル、商店などの建物が密集して広がっています。祝日の散策だったので、永代通り周辺は閑散としていました。




振り返って楓川・千代田橋と、その上を直角方向に通っている首都高速都心環状線の高架橋を撮影しました。この界隈は高層化を伴う再開発工事が進んできている東京駅や日本橋駅周辺と比較すると、まだ古いオフィスビルが数多く残っているエリアとなっています。




永代通りと昭和通りが交差している「江戸橋一丁目交差点」と、交差点前に建っている「日鐵日本橋ビル」を撮影しました。日鐵日本橋ビルは取り壊し工事のための防護壁の設置工事が行われていました。




正面に建っている高層ビルは、1999年(平成11年)に閉店した東急百貨店日本橋店跡地に建設された「日本橋一丁目ビルディング」(2004年1月竣工)です。低層階テナントに入居している商業施設「コレド日本橋」の愛称で親しまれています。




1966年に建設された日鐵日本橋ビルは2013年11月ごろから解体工事が始まり、地下3階地上17階建ての新しい高層ビルが2017年に竣工する予定になっています。




東京駅周辺の丸の内地区や大手町地区、八重洲地区では2000年代中盤から古いオフィスビルの建て替え工事や再開発工事が実施されてきましたが、近年になって日本橋地区でもその動きが顕著になってきました。2010年代になって、東京都内の高度成長期(1960年代)に建てられたオフィスビルの建て替えラッシュ現象が起きています。




江戸橋一丁目交差点から昭和通りを江戸橋方向をズームで撮影してみると、奥には日本橋川に架橋されている「江戸橋」と、その上を通っている都心環状線の高架橋が小さく見えました。




この交差点で永代通りと交差している昭和通りの真下には都営浅草線のトンネルと、日本橋駅ホームが設置されています。千葉から東京へアクセスするために常に東西線を利用している私ですが、この駅で東西線から浅草線に乗り換えた経験は一度もありません。東京メトロから都営地下鉄に乗り換えると料金が倍になってしまうからです。




現在、猪瀬直樹東京都知事が進めようとしている東京メトロと都営地下鉄の統合計画は、私からすれば「大歓迎」の話です。前方には東京駅周辺の高層ビルが見えてきました。茅場町地区から日本橋地区まで歩いて10分ほどでした。




コレド日本橋の敷地の、永代通りを挟んだ南側にはタワークレーンが3基建ち並んでおり、超高層ビル3棟を含む大規模な再開発工事が進められています。これまで東京駅周辺の再開発工事から取り残されてきた日本橋界隈ですが、「ようやく追いついてきたか」と感無量な気持ちです。




東京地下鉄東西線ユーザーである私「緑」にとっては、日本橋界隈は東京の玄関口そのものであり、東京駅周辺に匹敵するような街並みに生まれ変わってほしいと心の中で願っていたところです。コレド日本橋の高層ビルの脇を通り抜けていきます。




1999年(平成11年)までこの場所には「東急百貨店日本橋店」の建物が建っていました。1964年(昭和39年)までは「白木屋本店」であり、東急電鉄創始者である五島慶太氏に乗っ取られて東急百貨店系列になってしまった経緯があります。




1999年の閉店後はすぐに取り壊し工事が始まって、その後はしばらく更地となっていました。2001年に再開発工事が始まり、2004年1月に「コレド日本橋」が開業しました。低層階に入居している商業施設には、東急系の店舗が多いですね。




オフィススペースにはメリルリンチ日本証券、三菱UFJメリルリンチPB証券などが入居しています。メリルリンチと言えば、2008年9月のリーマンショックの際に、バンクオブアメリカに吸収合併されたことで有名ですね。



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