何年か前、その頃あちこちで出来ていたひまわり畑を見に山梨の明野に行った、清里に向かう国道の登りが少し緩やかになる所にあった、少し時期を過ぎていたせいか意外と寂しい感じだったがそうれより花の背が高く一番手前の花を下から見上げる様な感じで此れでは最盛期に来ても一面が花と言う形は出来ないのではないかと思った、もう少し背が低いか見る場所を上の位置につくり少し俯瞰で見えないとそうはならないだろう。一面のひまわりと言うと強い印象の映画がある、かれこれ40年位前だろう、イタリア映画でそのまま「ひまわり」と言う名前だった、主演は確かマルチェロマストロヤンニとソフィアローレン、この2人は良く競演していてシリアスからコミカルまで実に見事に演じきる名優だった、以下は少し思い違いがあるかも知れない、場所はイタリア北部の町で結婚間もない夫婦は経済的にも苦しく、勃発したスペイン動乱に彼は傭兵として出かけてゆく、しかし動乱が収まっても彼は帰ってこなかった、戦死の知らせも無いが全く情報も無い、彼女は生きている事を信じて彼の家業のクリーニング店(と言うより洗濯屋といった感じの店だった)を守っている、そこに彼の占有だったと言う男が訪れて彼をスペインのある町で見かけたと告げる、彼女は止める彼を振り切る様にその町に向かう、乾いた平原にひまわり畑が延々と続く、期待を胸にした彼女の顔とそのひまわりが重なる、やがて聞いた所に行くとある家から出て来たのは間違いなく彼だった、声を掛けようとした彼女が見たのは小柄な女性と小さな子供だった、子供を抱き上げた3人の間には既に出来上がった家族がある、一瞬逡巡した彼女は踵を返し駅に向かう、この時のソフィアローレンの演技が素晴らしかった、今見た物から逃げる様に早足で駅に向かう彼女を画面が追う、手放しで大粒の涙を流しやがて口を開けて泣き声を上げながら駅に向かう、今来た列車の窓に来たときと同じ様に一面のひまわりが流れ泣き続ける彼女にエンディングがかぶる、この頃の映画はイタリアとフランスがとても良い物を多く作っていた、モノクロームからカラーになってもコミカルなものもシリアスな物も多く出ていた、アメリカも未だこの時代は幾つか良い物が有った、映画が娯楽でもあり芸術作品でも有った、しかしいつの間にか映画は娯楽だけになってしまった、イタリアが降り、次いでフランスも降りた、アメリカだけが大型娯楽映画を作り続け経営的に苦しい作品はなくなってしまった、日本も同じ状況になっている、その意味ではスピルバーグはA級戦犯だ、しかし今の若者があの映画を見て「良かった」と思うかどうかは分らないが