梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

原発の効用と副作用

2011-05-18 09:12:33 | 雑記
原発が無くなれば電力が不足して大変な事になると言う論調が有る、現在の消費電力を賄うには原子力発電を完全のゼロにするのは難しいと言う論調だ。
火力に頼ればCO2の増加に拍車をかけると言う事もその論拠である、此れには大きな選択肢がある、
ひとつは今の消費電力を如何に確保するかと消費量そのものを見直すと言う方向だ、多少哲学的にも成るがいわゆる「物を増やすか欲望を減らすか」と言う事だ。
両方に共通するのは「欲望」がどれだけだったら適正化と言う事になるが増やす方向ではその方法を変える時期では無いだろうか。
一方「欲望」は何処まで減らしたら適正かと言われても恐らく結論は出ないだろう、
大戦前、或いは大正時代は今の10分の一にも満たなかったがその事が当時の人々が大変な不便であったかは元からそう言う物だったのだから余り感じていなかったと思うが現在に生まれ育った人にとっては実に暗くて不便な生活だろう、
今が贅沢だと言うのは簡単だがじゃあどの程度だったら質素で簡潔な生活かと言われれば答えようは無い。
今の消費電力を賄えば間に合うかと言えば恐らく欲望は更に次を求めるだろうから恐らくその上昇は際限が無いだろう、
今回の被災はその考え方を修整する良い切っ掛けだろう。
電力エネルギーが不足すると言うことは社会にとって病理ではない、言わば栄養不足の様な状態だ、(栄養過多かどうかはとりあえず置いておいて)だとすると発電と電力神経の様な或いは血液の様な物だとしてみると言わば薬ではなくサプリメントの様な存在だ、
しかし薬品には副作用がある様に各々その方法には副作用が有る、
例えば水力だとするとダムの下流域で自然が大きく変り生態系に影響がでたり水害を引き起こしたりする、
火力は排気による環境汚染、温暖化を招く、風力はやはり自然景観を大きく変えて更に騒音が出ると言う、
しかし原子力発電の副作用はそんな物では無かったようだ、完全にコントロールできると言う条件でもかなりの副作用はあり、使用済み燃料の処分と言う後遺症も大きい、
生命にかかわる病理の薬剤でもなく楽に生活が出来ると言うサプリメントの副作用としたらあまりに大きく割に合わないのではない、
自分はいわゆる原発推進派では無かったが積極的反対派でも無かったが今回の災害ではっきりと反対に変った、
私の子供の頃は原子力は夢のエネルギーだった、アトムの心臓も小型原子炉だった位安全で未来のエネルギーとして聞かされて来た、
興味を持ってその仕組みを色んな本で読んでみたが今思い出してみると原子炉と言うのは「核爆弾をゆっくりと反応させてそのエネルギーを利用する」と言うものである、つまり原子炉自体は原爆そのものなのだ、
重い荷物を載せた列車を坂の上から落とし、落ちる速度をブレーキで調整しながら利用する、崖の上から其のまま落とせば爆弾なのだ、
しかし今回はそのブレーキが壊れてしまった、それ以上に車軸まで壊れてしまいブレーキを掛けても車輪は滑って行きそうな状況だ、
根本的にはその大きな荷物を降ろさなければ成らない、しかしブレーキが利かず坂を転がり始めた列車から降ろすのは至難の業、更に加速が付けばますます難しくなる、
しかし悲観している訳には行かない、この状態あらゆる原発で起き得る事だ、それは日本だけでなく世界中で起き得る事なのだ、
此処を乗り切れば日本に原発がなくなってもその技術は世界的に役に立つ、我々はその力を信じて見守り、あらゆる知恵を集合しなければならない、今までこの政策に寄って集って来た電力会社、充電メーカー、そして推進してきた政治家は溜め込んだ資産を全て掛けても明日の日本の為に努力して貰いたい、