時々自分は本当に子供達の親だったのだろうかと思う事が有る、自分の両親は未だ自分がまともな大人になる前に他界してしまった、どう言うわけかそれが余り不幸だとは思わなかった、
しかし自分がある程度大人になった状態での親子関係と言う物を経験できなかったのですこし変っているらしい、何処がどうとは分らないが話をしていて理解が出来ない場面が時々出て来る、親子関係は理屈通りではないとは思うのだがそれが良く分らない、甘える事もないしかと言って批判的な事も当然無い、姉妹から話を聞いて(そんなタイプの大人だったんだ)と言うような事を考える事も有るが直接自分と関係していた話しではないので正しく話しでしかない、
母親は小学校の中程から入院を繰り返し12歳の時に他界した、父親とは共同生活のような生活を2年半ほどすると自分は東京に働きに出て正月を2度過ごしたらその年の梅雨明けには他界してしまった、母の思い出は本当に幼い頃の物でそれもそろそろ薄らいできた、父親も既に写真の中位しか記憶には浮かんで来ない。子供は実際に私の血は繋がっていない、自分の子供として充分可愛かったし精一杯育てて来たのだがふと子供達にとって自分は本当に父親だったのだろうかと言う疑問が湧いて来ることがある、反抗期を迎えた息子に手を焼くのは何処も同じだろうがやはり互いに見えない溝が有る様な気がした、無論息子からそんな言葉が出た事は一度も無い、「出てゆけ!」とか「勘当だ」とかは絶対に口に出来ない、息子も「てめえなんか親じゃねえ」とは口には出来なかっただろう、洒落になる話ではない。今は子供が出来て厳しい生活だが頑張っている、こっちも未だ未だ頑張れると思うが孫達を見ていてふと自分と子供の関係がこの部分が欠如している事が接木の様な感覚をもたらしている様に思える、
幾ら大きく丈夫に育っても幹の根元にうっすらと継いだ跡が見える、いや見えはしないが触ると指に触れる、自分は一生懸命親に成ろうとしていた様な気がする、そもそもそこから親ではないと言う思いが有ったのだろう、しかし一人前にしようとするもそれは自分の思い込みで本人にとっては迷惑だったのかもしれない、本当に自分は此れで良かったのだろうか?
「悔い改めるとも悔い悩むべからず」と自分に言い聞かせてこの歳になったが悔い改めて生き直す時間も少なくなった今となっては思い悩む事が多々有る物だ
しかし自分がある程度大人になった状態での親子関係と言う物を経験できなかったのですこし変っているらしい、何処がどうとは分らないが話をしていて理解が出来ない場面が時々出て来る、親子関係は理屈通りではないとは思うのだがそれが良く分らない、甘える事もないしかと言って批判的な事も当然無い、姉妹から話を聞いて(そんなタイプの大人だったんだ)と言うような事を考える事も有るが直接自分と関係していた話しではないので正しく話しでしかない、
母親は小学校の中程から入院を繰り返し12歳の時に他界した、父親とは共同生活のような生活を2年半ほどすると自分は東京に働きに出て正月を2度過ごしたらその年の梅雨明けには他界してしまった、母の思い出は本当に幼い頃の物でそれもそろそろ薄らいできた、父親も既に写真の中位しか記憶には浮かんで来ない。子供は実際に私の血は繋がっていない、自分の子供として充分可愛かったし精一杯育てて来たのだがふと子供達にとって自分は本当に父親だったのだろうかと言う疑問が湧いて来ることがある、反抗期を迎えた息子に手を焼くのは何処も同じだろうがやはり互いに見えない溝が有る様な気がした、無論息子からそんな言葉が出た事は一度も無い、「出てゆけ!」とか「勘当だ」とかは絶対に口に出来ない、息子も「てめえなんか親じゃねえ」とは口には出来なかっただろう、洒落になる話ではない。今は子供が出来て厳しい生活だが頑張っている、こっちも未だ未だ頑張れると思うが孫達を見ていてふと自分と子供の関係がこの部分が欠如している事が接木の様な感覚をもたらしている様に思える、
幾ら大きく丈夫に育っても幹の根元にうっすらと継いだ跡が見える、いや見えはしないが触ると指に触れる、自分は一生懸命親に成ろうとしていた様な気がする、そもそもそこから親ではないと言う思いが有ったのだろう、しかし一人前にしようとするもそれは自分の思い込みで本人にとっては迷惑だったのかもしれない、本当に自分は此れで良かったのだろうか?
「悔い改めるとも悔い悩むべからず」と自分に言い聞かせてこの歳になったが悔い改めて生き直す時間も少なくなった今となっては思い悩む事が多々有る物だ