究極の社会保障を突詰めればこれは「社会主義」と言う事になるだろう、しかし社会主義は成り立たない事はこの1世紀の間に明らかに成った、
人間には「欲」がある、この欲があるから文明は進化してきたとも言えるのだ、「もっと楽をしたい」「もっといい生活をしたい」と言うのが自由経済主義の原動力だが社会主義はこの欲が逆の方向に働いてしまう、「同じ生活をするならなるべく楽をしたい」「頑張ってももらえるものが同じなら頑張っても仕方ない」と言う方向になるがそれも「欲」である。
自由経済主義の中でどう言う基準でどう言う保障をするかと言う事は実に難しい問題だ、
適正な労働と適正な保障レベルを誰がどう言う基準で決めるかと言う問題は「此れが絶対に正しい」と言う事は中々決まるまい、
仮に適正な競争原理と言う物があったとしても其れはあくまで「競争」の適正さで競争に至るまでの足場と言う物は据え置かれている、
平等な競争で勝ち取った賞金は其れでいいだろうが当然負けた者も多く出来てくる、この者達が競争するだけの体力を無くした時に横になる場所とひもじい思いをさせない程度の食料を用意すると言うのが最低社会保障だと言える、
しかし、維新の会はあくまで自助が根本だと言う、競争社会では全員が入賞すると言うレースは有り得ない、どんなに頑張っても順位は出来る、しかし今の社会は入賞者が賞金総取りと言うルールがまかり通っている、
次の世代がスタートするときは親の順位でスターティングポジションが決定する、このハンディをひっくり返すのは至難の技だ、この事を実感として理解している政治家(政治家を目指す者)の中には恐らく居るまい、政治家というレースに参加するのは相当有利なスターティングポジションが必要なのだ
何を持って「自助をしなければならない」と言うのか彼らに解るわけもないだろう、
しかし、保障を大きくすると直ぐにそれを利用すると言う輩が現れる、多くの申請を精査する事は大変な労力がいるだろう、何しろその連中は最初から虚偽を持って保証を受けるつもりで来ているのだから必要な書類などは研究し尽くして来ている、しかし本当に困窮している人達は恐る恐る聞きに来るわけだから書類すら用意出来ない、
悪意ある虚偽で無い者でも「働かなくても喰えるなら」と言う連中も間違いなく存在する、
少し前に新卒就職率の記事を読んだが求人が20万人有るのに「希望する会社でないから」と仕事につかない若者が20万以上存在する、そしてこれらの者達はやがて生活困窮者として生活保護を申請する予備軍となる、
社会保障は国の予算から出る、国の予算は税金である、今の税制では働かない者に課税はしない、しかし困窮すれば保証しなければならない、「働けない」のではなく「働かない」と言う人々が居る事は間違いないだろう、
保証制度はその資金手当と同時に支給する方法も考える必要があるだろう、例えば失業保険を例にすれば「働く意思が有って仕事のない人間」が対象なので幾ら低賃金でも働いていると出ない、だから働かずに所定の求人活動行動を見せかけて保険が無くなるまで働くことはしない、
離職する前に会社に勤務を続け勤務実績に応じて保険を支払う方法にすれば少なくとも仕事のコストは相対的に下がり会社の商品の競争力が上がるはずである、
社会保障は自助と公助、共助と言うのはそれなりに理屈は合っているが個人差がある自助力を誰がどう見極めるかは実に難しい、
石原慎太郎氏や阿部氏などの高額資産層が現実的に見極めるという事はおそらく不可能だろう、社会保障の原資を「消費税で」等と言うのは自分の足を喰べろと言うにひとしい
人間には「欲」がある、この欲があるから文明は進化してきたとも言えるのだ、「もっと楽をしたい」「もっといい生活をしたい」と言うのが自由経済主義の原動力だが社会主義はこの欲が逆の方向に働いてしまう、「同じ生活をするならなるべく楽をしたい」「頑張ってももらえるものが同じなら頑張っても仕方ない」と言う方向になるがそれも「欲」である。
自由経済主義の中でどう言う基準でどう言う保障をするかと言う事は実に難しい問題だ、
適正な労働と適正な保障レベルを誰がどう言う基準で決めるかと言う問題は「此れが絶対に正しい」と言う事は中々決まるまい、
仮に適正な競争原理と言う物があったとしても其れはあくまで「競争」の適正さで競争に至るまでの足場と言う物は据え置かれている、
平等な競争で勝ち取った賞金は其れでいいだろうが当然負けた者も多く出来てくる、この者達が競争するだけの体力を無くした時に横になる場所とひもじい思いをさせない程度の食料を用意すると言うのが最低社会保障だと言える、
しかし、維新の会はあくまで自助が根本だと言う、競争社会では全員が入賞すると言うレースは有り得ない、どんなに頑張っても順位は出来る、しかし今の社会は入賞者が賞金総取りと言うルールがまかり通っている、
次の世代がスタートするときは親の順位でスターティングポジションが決定する、このハンディをひっくり返すのは至難の技だ、この事を実感として理解している政治家(政治家を目指す者)の中には恐らく居るまい、政治家というレースに参加するのは相当有利なスターティングポジションが必要なのだ
何を持って「自助をしなければならない」と言うのか彼らに解るわけもないだろう、
しかし、保障を大きくすると直ぐにそれを利用すると言う輩が現れる、多くの申請を精査する事は大変な労力がいるだろう、何しろその連中は最初から虚偽を持って保証を受けるつもりで来ているのだから必要な書類などは研究し尽くして来ている、しかし本当に困窮している人達は恐る恐る聞きに来るわけだから書類すら用意出来ない、
悪意ある虚偽で無い者でも「働かなくても喰えるなら」と言う連中も間違いなく存在する、
少し前に新卒就職率の記事を読んだが求人が20万人有るのに「希望する会社でないから」と仕事につかない若者が20万以上存在する、そしてこれらの者達はやがて生活困窮者として生活保護を申請する予備軍となる、
社会保障は国の予算から出る、国の予算は税金である、今の税制では働かない者に課税はしない、しかし困窮すれば保証しなければならない、「働けない」のではなく「働かない」と言う人々が居る事は間違いないだろう、
保証制度はその資金手当と同時に支給する方法も考える必要があるだろう、例えば失業保険を例にすれば「働く意思が有って仕事のない人間」が対象なので幾ら低賃金でも働いていると出ない、だから働かずに所定の求人活動行動を見せかけて保険が無くなるまで働くことはしない、
離職する前に会社に勤務を続け勤務実績に応じて保険を支払う方法にすれば少なくとも仕事のコストは相対的に下がり会社の商品の競争力が上がるはずである、
社会保障は自助と公助、共助と言うのはそれなりに理屈は合っているが個人差がある自助力を誰がどう見極めるかは実に難しい、
石原慎太郎氏や阿部氏などの高額資産層が現実的に見極めるという事はおそらく不可能だろう、社会保障の原資を「消費税で」等と言うのは自分の足を喰べろと言うにひとしい