梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

正月は冥土の旅の一里塚、

2012-12-19 18:26:19 | 雑記
12月も後僅か、この年齢になったらもう少し安泰な暮らしをしているかと思ったのだが中々どうして、安泰には程遠い。
今年春に女房の姉が亡くなって彼女の肉親はこれで居なくなった、思えば自分はあまり親兄弟には縁の薄い人生だったが結果的には未だふたり残っている、女房に対しては「縁が薄い」とも言えない様になった。
残りの人生は夫婦で生きて行く訳だがどうしたってどちらかが先に逝く、産まれてから今まで全くひとりの生活をして来なかった女房にとっては本当に恐怖なんだろう「絶対に私が先に逝くから」と事有る毎に言う、
姉が死んでから義理の兄が急に老け込んでしまい休みになると朝から酒を飲んでいるらしい、姉の娘が毎週日曜日に義兄の家に行くので女房も2週に一度は顔を出しているのだが義兄は女房に「家に来い」と言い続けているらしい、
最初は亭主である私の存在は無かったらしいが一月もしたころは「離婚して来い」になり、娘に怒られてからは「夫婦で一緒に来れば良い」になったらしい、
マンションに子供2人と義兄の母親の5人で住んでいたのだが母親が無くなり娘が結婚して出て行き、長男が義姉が亡くなる直前の去年の秋結婚して嫁さんの実家に入ってしまったので3LDKに1人で住んでいる、自分で店を経営しているので昼は気が紛れるのだろうが帰宅するとその寂しさに耐え切れない様だ、
それが女房の恐怖に拍車をかけているのだろう、自分は1人暮らしが永かったので1人暮らしにはそれ程恐怖感はない、
しかし結婚して既に30年も経つ、今当たり前の様に家にいて何時も声が聴こえ、姿が見える女房が居なくなったらやはり自分の半分が無くなった様な気持ちになるんだろうな、それは女房の様な恐怖感ではなく城山三郎氏が書いた小説の題名の様に「そうか、君はもう居ないんだな」と言う様な気分になるんじゃないかと思う、
あの題名を読んだ時不覚にも涙が湧き上がった、今でもこの言葉を思うと涙ぐんでしまう、
その寂しさはリアルに自分の中に入って来る、女房も子供達も「お父さんは大丈夫だけどお母さんには耐えられないから頑張ってもらわなけりゃ」と言うが「お父さんだってそうなったら本当に落ち込んでしまうかも知れないんだぞ」と最近は思う、
口には出さないがね