通勤途中に安楽死を政治課題としている政治団体が有る、団体と言っても写真から見ると30代と思われる代表1人の様だ、
前からこのポスターには興味が有ったのだが今回の衆院選に立候補したらしくオート三輪で盛んに街宣している、この「安楽死*」を推薦する訳でも誹謗中傷するわけでも無いのだが党名をネットに出すのは選挙違反らしいので控えるが街宣で「日本にも安楽死法を」と連呼しているのでこの機会になってしまった。
「日本にも・・・」と言うところを見ると他の国では「安楽死法」と言う法が有るのだろうか?
回復の望みは全く無くとも生命維持装置で行き続けている患者は多い、心肺が頑丈だと結局老衰死までそのまま行き続けると言うケースもある、
元に戻る事は殆ど望めず本人の意識も無いいわゆる「植物人間」も有るが苦しみが継続し続ける患者もある、このような時には廻りも本人も「殺してくれ!」と言う事も多いだろう、
こう言う時にはやはり「安楽死」と言う選択肢は有るかも知れない、
只死なないと言うだけの重篤な患者には今「尊厳死」と言う方法が取られているらしい、此れが合法なのか黙認なのかは知らないが徒に死を延ばすだけのみならず本人に大きな苦しみを与えるなら終焉を引き寄せても安定した最後をと望むのは正しい選択肢だろう、
安楽死と言う行為は終焉を近づけるか可能性があっても治療を止めると言う事ではなく「積極的に生命を停止させる」行為だ。
この事で一番問題になるのはやはり本人が死を望んでいるのか、生を望んでいるのだ、
大抵の場合「安楽死」を選択するかどうかと言う重篤な患者の場合意識が混濁しているか若しくは意識は有っても表現する事が出来ないかと言う状況にあるだろう、
そしてもう一方見守る家族縁者の考えも「行き続けて欲しい」と言う心と「こんなに苦しみが続くなら楽にしてあげたい」と言う両方の心が錯綜する。
安楽死と言う選択肢を誰が行使できるかと言えば当然当人以外は出来ない、しかし殆どの場合はその意思表示は無理だろう、誰がその選択をするのか、安楽死の抱える問題はこの問題に尽きる。
今年の3月に義理の姉が悪性リンパ腫から全身転移した癌で亡くなった、痛みは段々強くなり緩和剤はだんだん効かなくなる、危篤になって1時間余り、医師は「これ以上は当人にとって苦しみだけを延ばします、維持装置を続ければ後数時間は生きていますがその間更に痛みと苦しみは増します」と暗に生命維持装置の停止を家族に伝え、家族はその時点で維持装置を停止する事を「お願いします」と伝えて義姉は静かに息を引き取った、
それで良かったと思ったのだが此れが医師としての思いやりである以上たとえ医師法と言う流れに齟齬があったとしても誰も攻める事は有るまい、あの時点で義姉の思いは生だったのか死だったのかはうかがい知る事は出来ないがあの結論を選択した娘と息子の気持ちは決して穏やかな物ではなかったろう、
安楽死と言う選択肢は高度医療が発達した現代では不要なのでは無いだろうかと言うのが私の結論だ、
前からこのポスターには興味が有ったのだが今回の衆院選に立候補したらしくオート三輪で盛んに街宣している、この「安楽死*」を推薦する訳でも誹謗中傷するわけでも無いのだが党名をネットに出すのは選挙違反らしいので控えるが街宣で「日本にも安楽死法を」と連呼しているのでこの機会になってしまった。
「日本にも・・・」と言うところを見ると他の国では「安楽死法」と言う法が有るのだろうか?
回復の望みは全く無くとも生命維持装置で行き続けている患者は多い、心肺が頑丈だと結局老衰死までそのまま行き続けると言うケースもある、
元に戻る事は殆ど望めず本人の意識も無いいわゆる「植物人間」も有るが苦しみが継続し続ける患者もある、このような時には廻りも本人も「殺してくれ!」と言う事も多いだろう、
こう言う時にはやはり「安楽死」と言う選択肢は有るかも知れない、
只死なないと言うだけの重篤な患者には今「尊厳死」と言う方法が取られているらしい、此れが合法なのか黙認なのかは知らないが徒に死を延ばすだけのみならず本人に大きな苦しみを与えるなら終焉を引き寄せても安定した最後をと望むのは正しい選択肢だろう、
安楽死と言う行為は終焉を近づけるか可能性があっても治療を止めると言う事ではなく「積極的に生命を停止させる」行為だ。
この事で一番問題になるのはやはり本人が死を望んでいるのか、生を望んでいるのだ、
大抵の場合「安楽死」を選択するかどうかと言う重篤な患者の場合意識が混濁しているか若しくは意識は有っても表現する事が出来ないかと言う状況にあるだろう、
そしてもう一方見守る家族縁者の考えも「行き続けて欲しい」と言う心と「こんなに苦しみが続くなら楽にしてあげたい」と言う両方の心が錯綜する。
安楽死と言う選択肢を誰が行使できるかと言えば当然当人以外は出来ない、しかし殆どの場合はその意思表示は無理だろう、誰がその選択をするのか、安楽死の抱える問題はこの問題に尽きる。
今年の3月に義理の姉が悪性リンパ腫から全身転移した癌で亡くなった、痛みは段々強くなり緩和剤はだんだん効かなくなる、危篤になって1時間余り、医師は「これ以上は当人にとって苦しみだけを延ばします、維持装置を続ければ後数時間は生きていますがその間更に痛みと苦しみは増します」と暗に生命維持装置の停止を家族に伝え、家族はその時点で維持装置を停止する事を「お願いします」と伝えて義姉は静かに息を引き取った、
それで良かったと思ったのだが此れが医師としての思いやりである以上たとえ医師法と言う流れに齟齬があったとしても誰も攻める事は有るまい、あの時点で義姉の思いは生だったのか死だったのかはうかがい知る事は出来ないがあの結論を選択した娘と息子の気持ちは決して穏やかな物ではなかったろう、
安楽死と言う選択肢は高度医療が発達した現代では不要なのでは無いだろうかと言うのが私の結論だ、