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梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

国は何処へ行く?

2011-12-11 18:09:09 | 雑記
新聞も放送も脱原発の記事を見ない日はない、しかし政府は原発続行の構えを変えない、
流石に推進と言う事は言わなくなったが世論の趨勢は全く考慮する気は無いようだ、経済界は推進方向らしいがいずれにしても「原発停止」そして廃止の世論は幾つもの意見が提示されている
しかし、推進派或いは継続派から具体的ない件と言う物は出ていないように見える、
経済界は「景気の足を引っ張る」と言う意見が主の様だ、
政府の見解もその方向で「エネルギーの安定確保は原子力抜きでは方法は無い」と言う事だが今後のエネルギーの需給状況の具体的数字は示された事は殆ど無い、
少し前のデータを出してきた事が有るがそのデータに関しては経済学者も産業研究者も「明らかに水増しだ」と言っているがその事に関して再反論は無いようだ。
今の不況は国内産業の空洞化に寄る所が多い事は周知の事だ、円高で安い労働力を求めて海外に移動している雇用が国内の景気を押し下げ、デフレを加速する、国債も富裕層が消化する事で相対的に円高は更に進む、日本経済が強いわけではなくユーロもドルもずるずると下がっていって円だけが沈下速度が遅いと言うだけの事だから景気が良い訳が無い
経済活動が低迷する、雇用が下がる、賃金も下がる、従って消費が冷える、消費が冷えるから経済が更に低迷する、経済が低迷して行くのに電力需要が此れから増えると言うのは話が矛盾しているのではないか、
福島原子炉事故の被害は此れから未だいろんな形で増加するだろう、東電はこの事故の第一保証責任者である、しかし未曾有の被害額を賠償する能力は無い、それでも被害者は生まれ育った土地を失って喘いでいる、津波の被害復興も此れからだ、今此処に多くの資金を投入しなければならないのは間違いない、多くの税金を投入しなければならないと言うことは其処に経済活動が起きると言う事だ、注ぎ込む資金は多くの雇用を創生する、国家を挙げて復興を成し遂げないとならないがこの金を目指して多くのハイエナ達が蠢く、
大手ゼネコンと特殊法人は極力排除しなければならない、巨額の資金はその1円たりとも天下り特殊法人や巨額の資金を溜め込んでいるゼネコンに廻してはならない
東北の復興は東北の人達が自ら行うのが望ましい、その資金は今復興をしなければならない所に住んでいる人達の裁量に任せるのが正しい選択と言う物だ
原子力機構は今までずっと推進してきた事から今回の事故では加害者とも言える筈である、巨額な「原子力機構」に廻る資金は被害を賠償する事を優先して使うべきである

職権乱用以前の問題

2011-12-10 13:12:25 | 雑記
複数の高速サービスエリアトイレに不審物が置かれたと言うニュースが有った、11ヶ所のトイレに41個の不審物が置かれたのだがその日のうちに63歳と61歳の夫婦が出頭して来た、
置かれたのは木工用の接着剤だった様だが目的が全く解らない事件だった、しかし私が気になったのは出頭して来た夫婦を「建造物侵入」で逮捕したと言う部分だ、
「61歳の妻を・・」と言うニュースだったが公衆用の女子トイレに女性が入った事を「建造物侵入罪」と言うのは実に妙な話だろう、
出頭してきたのだから逃亡の心配は無い、そのまま取調べになるのなら解るのだがなぜ「逮捕」だったのだろうか、確かに大変な騒ぎになったのは何らかの罪に問われるのは当然だが問題は逮捕する為に罪を作ると言う方法だ、
警官が「我々が捕まえる気になればどんな者でも捕まえる事は簡単だ」と言う事は昔から聞いたが現行犯以外でを逮捕するには逮捕状が必要だったのではないのか?女子トイレに何かを持って(其れも自供によってだが)トイレに入った事を「建造物侵入罪」になると言うのはこじつけにもなら無いだろう、
この夫婦を助けろと言うことではなく簡単に「法律」を拡大適用されるのは極めて危険だと言うことだ、
まさしく前文のごとく「捕まえる気になれば誰でも捕まえられる」と言うことは法治国家とは言えないだろう、この体質が冤罪や捏ち上げ事件の根っこにありそうな気がする
この逮捕状が検察で発行されたとすれば我々は安心して生活出来ない、今回は出頭してきてのだが警察機構が捕まえようと思ったら取り敢えず逮捕することは実に簡単な事だということだろう。
この事は「職権濫用」とは違う次元の問題だ、説明も無く「当然の事」として拡大されて行けば安心して生活する事は出来なくなる、有識者の判断を是非教えて貰いたい

開戦の日は反省の日だろうか

2011-12-08 16:18:48 | 雑記
12月8日、開戦の日である。自分は昭和23年の生まれなので戦争は体験していない、
しかし周りには戦争体験者が随分居た、世の中も戦争の後遺症に苦しんでいて皆貧乏だった、
親達が酒を飲むと戦歌を歌って必ず涙を流すのを良く見た、
物心がつく頃には景気もよくなって来て「進駐軍」と言う言葉は段々聴かなくなってきてGHQも居なくなり、やがて安保闘争が起き、自衛隊は軍隊ではないのか、戦争の放棄はどうなったと言う議論に学生運動が大きくなり、デモが頻発するようになった、
中学を出てそのままひたすら働いていた自分達と同じ世代の連中が巻き起こす騒ぎには正直(親のすねがじりが)と言う気分も有った、
未だ電車の中に傷痍軍人と言う白衣に戦闘帽を被り松葉杖を突いた人が廻っているような時代でも有った、
職業軍人と言う自ら選んで戦争に行った人達には軍人恩給と言う支給があり、赤紙と言われた召集令状一枚で前線に送られた普通の人達には何も無かった、
何となく納得の出来ない戦後をみつめながら釈然としない数十年が過ぎる、今でもあの戦争は何だったのかと色んな本を読んで見るが全く自虐的な物と、あの戦争はアジアの為に役に立ったのだと言う「大東亜共栄圏」の亡霊の様な本が頒布されていてどちらもしっくりと腑に落ちる物は無かった、
私は司馬遼太郎氏の本が好きで殆ど読んだ、小説以外に「司馬史観」と言われる文が有るがこの分析が一番しっくりと腑に落ちた気がする
戦争が起きる原因は宗教と経済が根本にある、しかし万物神の古代宗教と中国の儒教の影響を受けた仏教を宗教とする地域では此れが原因の戦争は起きた事は無い、どちらかと言えば哲学的であり、自己を見つめる事が有っても其れが他のせいだとする宗教風土は無い。
経済が原因の物は人口の増加による食料問題が根本にあるが戦争を起こす原因は其処ではなく一部の権力が拡大政策を突き進めて起きる事が多い、それでもあの戦争までは日本人は戦争は経済であると言う事を充分に理解して居た、経済で戦争が起きるとしても戦争そのものも基本は経済なのである、経済は自己消費より多い生産が発展の条件だが戦争は消費そのものであり、その為に更に戦争を広げるという矛盾がある、
東南アジアに覇権を広げていたヨーロッパ列強と言われる国々がその植民地政策から撤退を迫られている時期に日本は同じ轍を踏んだ、
海軍はこの戦争に反対だったと言う、しかし陸軍が強力に推し進めて戦争に突入した、
この陸軍の後ろ盾になったのが「統帥権」と言うもだと司馬氏は書いていた、
海軍は南方に戦線を広げれば兵站が大きく伸びてしまい制海権を担保するだけの戦力を維持するのにはとても間に合わないと言う事を知っていて天皇に上奏したがこの統帥権で阻まれてと言う
世界経済と日本の関係はあの当時とは違うが国内政府はあの当時に近い感じがする、
軍部の代わりに官僚組織がすわり国の行く末より官僚組織を優先している様な感じが否めない
彼らは戦争に突っ込む代わりに日本を何処に向けて走らせて行くのだろうか
政治家と官僚組織に有効な組織、法律を作らなければならない。

教育者の資質

2011-12-07 18:01:15 | 雑記
橋下大阪市長の誕生で話題になってきたのは国歌斉唱と起立の話だ、
卒業式、入学式で教師の一部が国歌斉唱をしないだけでなく起立も拒否すると言う問題に彼は明確に「職務規定に違反しているから懲戒もある」とした、この件で彼らを支援する団体が抗議をしているが私としては橋下氏に賛成である、
国旗や国家に関してどう言う信条が有ろうとも式次第で「起立、国歌斉唱」が決められている、教育委員会も国民の意識発揚として国歌斉唱と国旗掲揚を起立して行うと言う決まりになっている、
その決まりが自分の信条と合わないから自分は立たないと言うのは全く児戯に等しい、
この理論で行けば生徒が「制服を共用するのは個人の自由を奪っているから」と私服で登校する事や金髪でピアスをしてきても彼若しくは彼女の信条に沿った意思の表現だと言う事になる、
国旗の日の丸は戦争を連想させる、と言うのは戦争体験の有る人達なら解らないでもないが今回の騒ぎの人達は終戦後の生まれの筈である、昭和15年生まれでも敗戦当時はやっと5歳だ、それでも現在の年齢は73歳になる、現役教師であるはずは無い、日の丸で戦争を、君が代で天皇陛下万歳を思い出す年代では有り得ない、
仮に過去の我が国民がアジア諸国に与えてきた苦しさを反省すると言うなら国旗や国歌の問題ではないだろう、もし其れがシンボルとして納得出来ないと言うならその事を社会に広く問うて賛同者を集め署名活動や論議の場を起こし、
日本人が統一意見として認識していると言う事を証明し「斯様な意見集約が出来たので国旗の日の丸と君が代はやめて貰いたい」と言うのが筋だ
まさか「国旗も国歌も軍国主義に繋がるから不要だ」とまでは言うまい、国際的にも国旗は識別として海洋法で明らかに決められているのだ。
教育の場は知識を詰め込むだけの所ではない、詰めこんだ知識を知恵として行く事を教育と言う、詰め込むだけで取り出す方法を教えていないから社会適合が不得手な人間が多くなる、
学校は家庭と一緒に一般社会常識と言う物を植え付けるのも教育の重要な役割なのだ、
「決められた事は守らなければ行けない」と言うのは常識以前の問題なのだがその教師たる者が教育法で決められた事が「自分の信条に合わないから守らない」とするとこの重要で基本的な教育が全く出来ないと言う事になるだろう、
教師と言う職業が大変なのは解るが大学を卒業して一般社会の常識、「外に7人の敵が有る」と言う社会を全く通らずずっと子供の世界に居る、教員室の上下関係以外はずべて幼い子供たちだ
無論モンスターペアレントと言われる父兄も居る様だがそれに対処できるわけも無い、彼らは「お山の大将」でしかないのだ、社会ではこんな身勝手な理屈を言う人間は居ないし通らない

未必の故意の罪と罰

2011-12-06 15:33:50 | 雑記
松戸と三郷の通り魔事件の犯人が逮捕された、16歳の高校生だと言う、動機は「誰でもいいから殺したかった」と言う事らしい、
此処十年位か、この動機にならない動機の殺人が起きる、「人を殺してみたい」と言う思いは全く分らないし解りたくも無い。通りすがりの無関係の人間、しかも捜し歩いて突然襲い掛かる、
こんな事は昔から有ったのだろうか、有ったからこそ「キチガイに刃物」という言葉が有ったのだろうが其れは恐らく見れば解ると言う者だったのだろうし、家族も注意し廻りも避けていた筈だ、ましてや手に届く所に刃物なぞ置きはしない、
しかし現代は全く其れが見えない、ごく普通の人でごく普通に生活していて中に(人を殺してみたい)と言う物を抱き膨らめて行く、そして其れを実行してしまう、
もう1つ有ったのは「生きて行くのが嫌になった、しかし自殺する勇気は無い、無差別に人を殺してしまえば死刑になる、」と言う動機だった、つまり自殺する方法として殺人を犯すと言うのでは「死刑」と言う制度は全く抑止力にならないと言う事になる、
被害者の関係者は「極刑を」と言うが其れが彼らの目的なのだ、神戸の小学校襲撃事件も秋葉原の無差別殺人もそんな動機だった、これ等の犯罪にどう対処すればいいのだろうか、
自分が死ぬという事と人を殺すと言う事を対比させると言う事の意味すらなくなった、
ユダヤ教の「眼には眼、歯に歯を」と言う罪と罰に照らすと自殺の手段として彼らにとって有効な手段になってしまった、
そしてそれは簡単で確実な弱者に向かう、正に「卑劣」で許し難い方向に向かってゆき、卑劣だからこそ極刑を加えればその望むところになってしまう、
宗教的、道理的な教育は間違いなく必要だろうが今の社会的規範はこの崩れてしまった道義に明確な反論を加える事が難しいほどおかしくなってしまった、
直接的に命を奪うのではないが経済力と政治力と言う巨大な力は緩慢な殺人を振り撒いている、
弱い者から簒奪するのは人の道に反すると言う言葉は今の経済的優位者と政治化には通用しない、只前者は突発的に、「殺す」と言う行為に向うが後者は「結果的に死んでも殺したわけではない、」と言う事だが「このまま進めば死ぬだろう」と言う事は想像に難くない、病死・餓死は殺人ではないが「未必の故意」だと言ってもおかしくない位の状況に置かれている人間が少なからず存在する事は為政者も高資産階級も理解する必要がある
「殺したいから殺す」より若しかしたらもっとたちが悪いかもしれないのだと言うことも含めて