どうしても書いておかねばと思う。
人はどうして思い込みをするのか・・・・技術者は経験の範囲内で次の仕事を考え「これで良し」と思い込むと書いた。現場が曖昧で「机の上でものを考える」仕事に就いている者は、原則を捜してそれを基準にして「思い込む」。
自動車業界が「認証不正」を働いたと国土交通省が業界にキツイ処分をもとめたことで、国交省による「いじめ」だという記事がでた。1000kgの衝撃検査で良い処を1800kgで試験して申請したという。そこのどこが悪いのか分からないお役所のやる事は、特に国交省の基準の悪さに沿わない者は処罰する官僚主義が固定化されているという批判がネットの記事にあった。1800kgの衝撃試験は海外の市場に適合させるためだったらしいが、今回の生産停止処分は数百億円の損害を与えていて、官僚はそれでも間違っていないと主張する。
粉体製造機を中国に輸出して「兵器転用可能な禁制品輸出」の罪に問われた大川工業の幹部が収監中に社長がガンで無くなって悲劇となった。犯罪疑念は無罪となって、警察による証拠冤罪事件とされて、亡くなった社長の家族は拘置所の医療検査が不十分であったと訴えた。が、裁判官は「警察署の医務が不十分であるはずはない」と訴えを退けた。事件を担当した検事は「取扱いに問題は無かった」と謝罪さえもしない。裁判官の思い込み、検事の傲慢な態度に司法の危機を感じる。
もっと昔のことだが愛媛県警が松山で起こした事件。白バイの訓練を訓練所ではなく、一般道で行っている最中に、白バイが死亡事故を起こした。小学校の生徒を載せたバスに体当たりして亡くなったのだ。バスは細めの一般道から大通りに合流しようとしたところ、白バイが突っ込んできたという。バスの運転手はバスが止まっているところに白バイがぶっつかってきたと主張。乗っていた子供たちもみなバスが止まっていたと証言しているにもかかわらず、裁判官は「子供の証言は信用できない」と無視。運転手は有罪とされて控訴したが「警察が間違ったことを証言するはずはない」と控訴却下して、運転手は運転免許証を取り上げられ職を失い、2年だったか3年の懲役とされた。
この事件はテレビメディアが検証番組を組んで、警察が様々な証拠をねつ造したことを明らかにした。バスが急ブレーキを踏んだ証拠として、アスファルトにブレーキ痕を「路面をたわしでこすって」つくり、反対車線で目撃したと言う「バイクに乗った警察OB」のい証言など。私の記憶はそんなところであるが・・・。裁判官の「警察が間違ってことはしない」と思い込む。子供の証言は信用ならないとか・・・・この国の司法の質が落ちるだけ落ちていることに改善は無いのか!!??
私もこの浜田で隣地からの落石など「妨害排除」訴訟を行ったが、ここの裁判官はあいての被告の代理人弁護士を「南先生」と法廷で呼んだ時には「あきれた」!!判決は私の勝ちのはずであったが「玉虫色」と言う結果。妨害排除程度の裁判を3年半も許したこの裁判官は許せない。この連中は信用できない。医者にせよ弁護士にせよ社会的地位があるものに禄なやつがいない時代になった。だから「失われた30年」だと。
ちなみに私の父は裁判官で退職した。もとは山口地裁岩国支部でお茶くみをしていたが「赤紙」が来て、退職し久留米にあった陸軍士官学校に入隊。原爆がおちる2週間前に広島から岐阜に移動した強運の持ち主。戦後また山口地裁の事務官に戻り、簡易裁判所の庶務課長、私が高校2年生の時に山口地裁の総務課長から島根県松江の地裁総務課長、1年で岡山地裁(私が浪人生1ねん)、そして広島地裁。そして鹿児島家庭裁判所局長になった時に私はベルギーへ留学(東京造形大2年中退)で大騒ぎだったが、年始の飲み会で官舎の隣の鹿児島大学工学部建築学科教授の先生が「行かせなさい」と言った一言で留学許可。私が17歳の時から22歳までの間に、これほど移動するのかと思うほど裁判所を渡り歩いていた。その後、連合赤軍が長野の山中で仲間を殺しまくった時に長野地裁に転勤話があった時に「息子と同じ世代の犯罪を裁く仕事」に付きたくないと兵庫県西宮に転勤「兵庫県警は暴力団と見分けがつかない」と言っていた。苦労はそっちだったと。
ちなみに父は姓名判断で言うところの名前の総画が33角で「無能でも出世する」タイプだ。性格は「出世したがり」「けち(自分には浪費する)」「嘘つき(すぐばれる)」「悪人とつるむと悪党になる」・・・・問題はその本性に気が付かないこと。私の留学はベルギーの学校を卒業するまで「仕送り」するというもの。私は王立美術アカデミーを2年で卒業してしまったが、「卒業しました」と手紙を書いたら、母から「これで仕送りを終わらせていただきます」と言う返事が来た。その6年半ベルギーからドイツへと学んだから・・・・自分でも模写をしたり、肖像画家をしたりと、どうにかこうにか生きていた。帰国すると父が「お前には教育費が450万円かかったから返せ」と言われた(幼稚園から大学まで?)。そんな金がない時にだ。他に「毎月、お前には給与の三分の一仕送りした」と言う。「お父さん、お父さんの月給は9万円だったのですか?」と聞いたら・・・・・むっとして黙っていた。誰にもわかる「うそ」を言う人であった。もうあの世から「このバカ息子が!!」と思っているに違いない。
思い込みは始末が悪い。
西洋美術館の館長、副館長、学芸課長に33角は集中していたことで、自分たちの無能さには気が付かなかった。ここに「自分たちは優れているという思い込み」があった。しかし国際論文もなく、よく西洋美術の専門家と思い込んだものだ。
さて、自分は思い込んでいないとは言わないが・・・。