学歴社会と聞けばウンザリするが・・・・。
長期政権自民党が作った社会の歪みは直しようがないほど根付いている。人を見る基準が学歴であったりするのは「人権問題」だと思うが、国民が「労働力」として社会に位置付けられて、中卒、高卒、大卒と分けて評価される社会にしてしまった。これは教育で得た「能力」の価値基準として見られ、給与の基準にもされる。就職のときに、実に不平等に扱われ、とにかく「大卒」になるように文科省も、昔で言う「駅弁大学」を増やして補助金を与えてきた。その一方で小泉政権と竹中平蔵の時に、「行財政改革」を旗印に国立大学も「独立行政法人国立大学」とされて、名目上(うその)の公務員減らしにされ、「給付金は少しは自分たちで稼げ」と・・・大学教育そのもののみでなく、研究機関としての交付金を減らし、我が国の基礎研究の質を下げてきた。政治家が学問の価値を知らないのが問題だが・・・・それより政治家の性格の悪さから「物欲や金銭欲」のレベルで世の中を測る社会構造にしたことが、「失われた30年」に結びついている。
今になって「働き方改革」を推進しないと「行政の官僚機構」も存続が危ぶまれるほど「役人」になりたがらなくなってきた。役人の場合、給与の問題ではなく、仕事として身を粉にして働く「値打ち」が感じられなくなってきたのである。それはその会社組織にも見られるだろう。企業が利益が出ても労働者に給与として還元しないで働かせる不公平が蔓延してきている。
政府は大企業に優先な税制を与え、国民からはしょとくの47%近くを税として取り上げて、国庫は借金で膨らんでいると国民をだます。そろそろ「国民一揆」が起きてもおかしくないと思うが、長年自民党に騙されても気が付かなかっただけに、みな「ぼんくら」している。財務省の役人は「税収」の制度を「新しく発明」すると天下りまで保証されるという。やりたい放題だ。
結局誰が国民の安心安全で幸せな生活が送れるようにと・・・・考える者が役人や政治家にいるだろうか?
今私が住んでいる浜田市の家の隣は島根県立浜田水産高等学校で、我が家はこの実習棟にくっついているようなもの。ここの食品加工科の中村先生は、今朝は朝5時には仕事を始めている。学校の先生はブラック業務だと思うが、そうしないとやっていけない役割を与えられているから・・・抜けられないらしい。これが普通高校なら「大学受験のため」だけの教科で、教師は教壇に立って「教科書」を読むだけであるが、「実業高校」ではそうはいかない。卒業イコール労働力であるから、高校生を使い者になるように育てなければならない。専門性を与え、直ぐに使える労働者になるのである。
だが水案高校を卒業しても「高卒」であり、分数の掛け算、割り算が出来ない学生が理系大学にいる駅弁大学も「大卒」になれて、「学歴社会」では高卒は「下」の扱いを受けるのである。
ちなみに私は「高卒」である。東京造形大学2年中退でベルギーのブリュッセル王立美術アカデミー卒は専門学校卒扱い。しかし日本に帰国すれば「高卒」でしかなく、40歳で国立西洋美術館に就職した時に「格付け審査」で7歳年下の学芸員より給与が低くされた。その学芸員が私の給与査定を庶務で盗み見たのであるが・・・。で、60歳定年で年金が月あたり8万3千円であった。最後の頃、年金積立額は月あたり4万5千円だったのに・・・・7万9千円以下っだったら「生活保護」基準だが・・・ひどいものだ。
まあこれが学歴社会の一部だ。