写生は「在るものを在るがごときに描く」ことだ。絵を描くことを始めた時には、この写生から入る。うまく描けるように上達する方法は石膏デッサンが最も手ごろな方法だろう。だからモチーフの石膏像は優れた彫刻科による作品であって、像を「それらしく描き写すこと」だから、描いているうちに何とか上手くなるだろう。しかし石膏像が上手く描き写せたところで、人物画がうまく描けるようにはならないので、それはそれで修練が必要だ。その修練は、何となくやっていれば上手くなりはしない。どうすべきか目標を立てて、先人のデッサンを見習うのが一番だろう。
その内、デッサンは写生から始まって、より高度な次元でモチーフの形や質に魅力を感じて描く方法が求められることに気が付く。写生は決して写真的に描くことではないことは、これまでにも何度も述べてきたが、モチーフに対して洞察と感性で描写を行うのであって、リアリティはモチーフの現象に近づくことではなく、「存在感」に近づくことである。
今回、取りあげた作品は静物画であるが、私にとって気まぐれに近い表現であることに違いない。と言うのも、静物画は練習(習作)であって、モチーフの質感や魅力を描くことで、自分の好きな構想画に生かせると思うからだ。
写生画に取り組むようになったきっかけは東京造形大学時代の先輩、青木敏郎氏に感化されてのことで、彼が卒業後ベルギーに旅発った時には、中途退学して、彼の背中を追いかけたほど、彼の絵画の学び方に習っていたほどである。おかげでブリュッセル王立美術アカデミーが授業料を免除していた時代に間に合ったことはラッキーであった。二年後からいきなり外国人は年間2万フラン(当時14万円)となり、免除の嘆願書を書いたのを憶えている。(一年だけ免除となったが)
青木氏と競争するように人体デッサンを重ねて、年間千枚を達成させるほどであった。おかげで当時かなり人体描写は上達したが、青木氏は当時から「金持ち相手に絵を売る」と現実的な生活設計で将来像を描いていたので、自分なりの方向性とはたもとを分かつことになった。私がドイツへ留学先を変えて、「絵画修復保存」を学んで生活設計としていようとし始めてニュールンベルグのゲルマン民族博物館に学ぶようになってから、人体デッサンが上達しなくなったのだ残念であった。8年に及んだ留学から帰国した当時、すでに青木氏は売れっ子の新進気鋭の静物画家になっていた。次の作品は私の帰国後随分後であるが、青木氏に対抗して、この程度は描けると試した一点である。87年には修復業の合間に「構想画」を描き始めていたので、筆安めであっただろう。
1990年に3か月ばかりかけて描いた。瓶の中のナツメの焼酎付けが上手く描けなかったが、どれほど苦労したかは覚えていない。反面、意外とうまくいったのはガラスの器で、何となく光るとそれらしく見えるのだ。F15カンヴァス(65x53cm)こうした作品に見慣れていない人は「まるで写真の様」と言われるが、作者にとって決して「誉め言葉」ではない。描く側には、目に映る感性の独自性が求められているのです。
実際の画面はもっと黄色っぽく、ぼんやりとしているのが売りだ。写真の撮り方は一向に上手くならないから、現物を見る機会があれば幸いである。
撮影が悪く左下に照明の反射が入る。私が来ていた白いシャツの反射も出ている。色彩の再現性も悪く、鑑賞に堪えないが・・・・。
次の作品はまた時間が経っているが1995年に文部省在外研究の資格をもらって、ロンドン大学コートルド研究所で客員研究員として滞在している時に、描いたもの。46x36cm カンヴァス地のカードボードを板にマルフラージュ(貼り付けること)。
丁度、スーパーで大きな柘榴(ざくろ)を売っていたので、描いてみた。また最近、友人の庭に出来た枝付きのザクロをたくさんもらったので、いくつか描いてみたい。こうしてみると構想画が上手くいっていない時、つまりスランプ状態の時、気休めに写生画を描くのは悪くないかもしれない。
今日はこんなところで、よかろうかい!!チェストー!!
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