河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

最近作の展示2018年4月投稿以来の作品の加筆

2020-09-22 00:23:23 | 絵画

やたら長い題名だったが、もう2年以上前に手を休めて放置した作品を今頃加筆し始めたのには訳がある。実は訴訟を始めて、裁判所に提出する書類に悩まされて創作意欲が失われていたのだが、裁判も終わって判決となり、一応当方の主張が通り、相手の判決内容の履行を待っている状態になって、すこし気持ちに余裕が出て、いや焦りが出て、この3年間の人生の無駄に怒りながら・・・再び描き始めたのだ。被告からは判決後に何の連絡もなく、判決内容の履行の工程表を提出するように求めたが、訴訟の始まりと同じ「無視」を決め込んでいる・・・罰当たりが!!と思うが・・・。

まあ、それより論理的な人生に対する対応としては「感情的にならず」、理性的にふるまって、自分を大切にしたいと思う。

そこで、描きくさしの作品を完成するのが一歩。題名は「森の死」で、以前「最近作の展示」で投稿した制作途中の作品に更なる「下塗り」をくわえている状態だ。この下塗りが一応終わったところで、写真をアップロードしたい。それなりに納得できるプロセスであれば見る人も比較が出来るだろう。

そこでちょっと問題が、目が最近疲れやすく、夜遅くには焦点が定まらず絵が描けない。スマホの見過ぎとかあるけど・・・いけんね。

つまらない事言うけど、去年の方が気が楽で良かったね。下の写真は去年の中庭のイチジクと巨峰だけど、巨峰はある日全て盗まれた。そろそろ食べようとしたら・・・動物ではない・・・いや頭の毛が黒い大きな動物だ。一つ一つ粒をむしって持って行った。丁寧な仕事だ。手の届くところにあると危ないね。このブドウの木は今年は何もつけずに枯れてしまった。新しく苗を買って植えたけど、実をつけるのに3,4年またかかる。この町はコソ泥が多いのだそうだ。イチジクは去年は豊作で、食べまくってジャムにした。亡き母が言っていた「トースト一枚に4個分を載せて食べるのだよ」と。

しかし今年は何もかも全てが悪い。不作の年だ。5月から6月にかけてなるテニスボールぐらいの大きさが当たり前の「早生(はやなり)イチジク」は今年は数が少なく、しかも熟れてくる前にカラスに見な食べられてしまった。連中もコロナで食べるものが減ったのだろうか。トマトも高い苗を買って、連作防止の処置をして、肥やしも工夫して始めたら、すぐに枯れてしまった。コロナで内にこもった喜びを味わおうとしたら、これだ。プロのお百姓さんも今年は不作の年で、天候不順の被害が大きかったようだ。何処のテレビ局か忘れたが、「水耕栽培」が流行っているそうな。マネするかな。

 

下の写真は左側が3年位前に制作が止まっていたもの。右が今回加筆を始めたもの。少し骸骨のあるあたりがコントラストを得ているのが分かるでしょう。この様な「イメージ画で完成状態が見えていなくて、最初からその完成に従った下塗りを施しているわけではなくて、行き当たりばったりを楽しんでいる状態。

まだ白いところが残っているから、下塗りを終わっていないと分かるだろう。一度終わって二度目の「確認のための下塗り」が始まれば、完成のイメージが私にも定まってくる。

一点に時間がかかり過ぎると、未完成で放置しかねないので、ここいらで気を引き締めることにする。

WIFIを光ケーブルにしたのだが・・・調子が悪くて・・・メールもまとも打てない時があって、このブログも毎週描くことが出来なくなった。少し言い訳。


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