目利きとして確信に至るための最終的なプロセスである科学調査では、いくつかの方法がある。
しかし「科学的」であるための基本は、少なくても「おおよその時代や作者」が見当をつけて、そこに向かって情報を集めることである。昔、ある国立の研究所が尾形光琳の「紅白梅図屏風」の科学調査で大変な失敗をやらかしたことがある。最初の見当が間違った方向で始まって、途中に軌道修正が行われず、とんでもない結果を導き出した。調査の主目的は「現状の保存状態は制作時にはどのような表情をしていたのか」を明らかにすることだった。調査を担当したチームは調査機器を操作することに自信があっても、古いものをどのように扱うか経験が浅く、良く分かっていなかったようである。彼らはまず屏風の背景の金地を調査するのに金沢で作られている最も純度の高い「五毛色」と呼ばれる98%近い値の金箔を基準にして、紅白梅図屏風で用いられている金はX線回折で定量分析して、純度が低すぎるとして、これは「金泥である」としてしまった。誰が見ても金箔であるものを、分析機器が示していることが正しいと言い張って、箔足(金箔を重ねることで出来る二重になっている輪郭部分)も日本画で用いるイネ科の植物で描かれたものであると、芸大の日本画の教授に、これがそうだとデモンストレーションをやらせ、NHKスペシャルで堂々と発表してしまった。他に中央に流れる小川の水流に描かれた線が黒い背景で見えにくくなっている箇所を銀が含まれていないとか言ってしまい、周囲の理解とかけ離れた結論を導き出した。こうした問題がなぜ起きるか・・・つまり彼らは、調査に入る前に他の古い金屏風など分析した経験が無く、「いきなり国宝」を手掛けて、得意満面であったのだ。後日持ち主が調査に不満を持って、理科大の教授グループに再調査を依頼し、X線回析で金の結晶が平たんに並んでいることを突き止め、金泥であれば並びがイレギュラーになることを突き止めて発表した。小川の流線型の表現も、黒い所から硫黄を発見し、銀箔の上を膠で流線型を描き、描かれなかった箇所つまり背景の黒い部分はむき出しの銀箔に硫黄を焼いていぶす(煙を当てる)方法でいぶし銀にしたと結論付けた。いぶし銀は銀箔そのものが少しくろんずんで鉛のような色味になる。
結果として後日の調査で最も常識的な結論を得たのであるが、最初の研究所のチームの連中は「それでも分析の結果は結果だ」と居直ってヒンシュクをかった。彼らを保存科学者とは思わない。むしろ高価な機械を持っていて、権威を主張して威張っているだけだった。
つまらない書き出しだが、科学調査でもこんなことがあるので要注意だが、欧米ではこんな話は聞いたことはない。分析機器があり、分析方法を知っているだけでは何もならないことが分かるだろう。
光学機器はいろんな情報をくれる。普通のカメラも光を斜めから与えて写せば、絵具も凹凸が強調されて制作方法や表面をどの様に見せようとしたか知ることが出来る。またエングレービング(銅板を彫刻刀で彫って線で描く版画)かよくできた印刷であるか判別するのにも、この斜光を与えて拡大鏡(手術用顕微鏡で最大24倍ぐらいに拡大できる。それ以上は手術が危なくなるので・・・。)で覗くとインクの盛り上がりが良く見える。こうした版画を多く制作したレンブラントはエングレービングの他にエッチング(塩酸で腐食させることでインクの溝を作る)や、すこし物足りないところを加筆するのにドライポイント(針のような尖ったもので銅版の表面を引っ掻く方法)を用いたとも言われているので、手術用顕微鏡の倍率はいろんなレンブラントの表現の思いを知ることが出来る。
蛍光紫外線(ブラックライト)を用いて油絵の表面を見ると、最近の作者以外の加筆など見ることが出来る。蛍光反射は描かれてから50~60年経つと蛍光しなくなるので、修復などで近年の補彩(修復家が行うルールに従った失われた部分のみの再現の描き加え)、加筆(ルール無しの描き加え)があることを判別する。美術史系学芸員は絵具表現に慣れていないので補彩も加筆も区別がつかないことが多いので蛍光紫外線のランプがあると重宝する。もし修復家がこのランプなしで見極められなければ、ぼんくらである。
もう一つ光学機器調査に赤外線反射画像というのがある。赤外線を油絵に照射して、赤外線を吸収また反射する部分を見ようというのであるが、絵具層の下にある白い地塗りの上に墨で描かれた下描きデッサンを見るのに用いるが、もし地塗りが赤地のボルースで施されていたら、まず下描きデッサンは白のような明るい色で行われていない限り見えない。ボルースが頻繁に用いられるようになった17世紀には暗い背景の絵が多く、もともと暗いボルース地は絵を描き始めるのに実に描きやすかった。他に白亜(天然炭酸カルシュウム)に木炭を混ぜたグレーの地など、有色地が流行した。18世紀にはこのボルース地に白チョークで下描きデッサンを行い、描く者もいたが、その下絵は見つけることが困難である。チョークのような炭酸カルシュウムは油と出会うと半透明になって反射画像にはならない。もしこれが炭酸カルシュウムではなく鉛白(炭酸鉛)であれば映る場合もある。(しかし、イメージの定着に邪魔になるような強い白の当たりつけはされなかっただろう。)そこで作品の隠れた情報を赤外線反射画像診断で得て、当たりつけ(デッサンとは言い難い形)がどうであったかを知る意味があれば、画像診断を試みるが良いが、地塗りが白く、その上に墨で下描きされていなければ、作者の制作プロセスや原作性を見定めることは難しい。17世紀に頻繁に用いられるようになった人工的な青顔料スマルトはコバルトも原料としているので、赤外線の波長を良く吸収するので黒っぽく現れるが、下描きではなく彩色として用いられたので、天然青でコバルト色に近いアズライトと判別するために用いることも出来るが、修復家が目視だけで判別できなければぼんくらである。
他にX線画像による調査方法がある。この方法もどちらかというと絵具に鉛白のようにX線を通しにくい金属があれば白黒画像として明確な情報が得られる。たとえば佐倉にある私立コレクションがレンブラントの肖像画を持っているが、アムステルダムの王立美術館のレンブラント調査委員会によってレンブラントの新作とされていたが、担当のエマーリングというレンブラントの専門家(?)が物を見ずして、写真だけで判断し、もう一つ同じものがあるミネアポリス美術館のものをコピーとしたため、そこの修復家がX線画像写真を西洋美術館に持参し、自分所のものが本物で、佐倉の所蔵がコピーであると鼻息荒く主張し、私の意見を求めた。なるほどミネアポリス作品にはレンブラント特有の筆のタッチがあり、佐倉のにはべったりとして無かった(佐倉の担当者はレンブラントの真作であるとは主張していない)。原作者は自由に自分の完成イメージに従って制作するが、コピストは完成した作品の表面からしか入れないので、表面を似せることに終始するのである。私の意見を聞いて修復家は安心して帰国した。X線画像は作者のデッサン力や制作の手順の巧みさを知る手立てとして最も有効である。
他にやはり放射線を使った画像診断がある。オートラジオグラフと呼ばれるベータならびにガンマ線を絵画に照射し、放射線を帯びさせて、異なる金属によってそれぞれが放射線を再放出する時間が異なるのを利用して、何日か置きにX線フィルムに感光させる方法である。つまりこの方法ではX線画像では全てトータルに映っていたものが、下描きで鉄分を含んだイエローオーカー(黄土)を用いたことで現れたのを見て、オランダ専門のヤン・ケルヒ氏はかの有名なレンブラントの「黄金兜の男」を当人ではなく弟子あるいは周辺としたのである(Bilder im Blickpunkt: Der Mann mit dem Goldhelm 1986)。何が理由かと聞いたら「下描きデッサンが下手糞だから」であった。彼は目利きではないと私は思う。デッサンも良く分からない研究者である。この絵をレンブラント以外の誰が描けるか言ってみろ!!!と・・・思う。いくら何でも、私が研究生として一年を過ごしたベルリン国立絵画館の調査であるとは、許さない。結局目が悪く、本物を偽物にする研究者もいるということである。
一方で保存科学や保存修復の分野が一応未来への発展形式として、修復技術、保存技術などの現場対応での作法を確立して、多くの国で技術水準や理念が共有出来てから、その役割の方向性は学術的な情報集積に向かい始めた。
科学調査の持つ威力は多くの研究者の調査の集積によって大きくなる。最近では大まかな概念をつかむ方法より、例えば修復の機会を得て、明らかになった損傷部分から微小な絵の具のサンプルを得て、描写の構造、使用された絵具の分析などから原作者に帰属する情報を集めて公開するような細かな理解がされるようになってきた。。私も美術館時代に僅かながら貢献した。多くの現場の専門家が参加すれば情報はまさしくビッグデータとなる。これを単に類推して発表するのではなく、時代、地域、様式、作者などに結び付けなければ意味がない。
もう10年以上前だがATOLAS of WESTERN ART HISTORY, John Steer. Antony White 1994 New York という本を買った。内容は西洋美術の起源となる地域、美術様式、都市文化などを網羅し、ヨーロッパ地図の中でその伝播などを紹介している。全部通して読むのはきつい。気になるところを拾い読みすることから入門するだけで面白いから興味はどんどん広がる。こうして自分の専門以外に知識を広げて、認識をサポートできる。
しかし、文献資料からだけで作品の帰属を判断することはだめ・・・・やはり物的証拠が必要です。でなければ目利きにはなれません。では・・・。
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