河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

まず、一年前の7月15日に書いたブログを呼んでほしい

2023-07-15 17:27:59 | 絵画

7月8日の安倍銃撃事件から一年が経って書いた「テロ事件があって」を読んでみてください。この事件がどれほど大きな出来事であったか、その後の展開が、皆の知らなかった、気が付かなかったことをあぶりだしたこと。思い出してほしい。

戦後の自民党政治の流れが繋がって見えてきたのは、単に岸信介内閣時代から統一教会と自民党が共生して日本の社会を作ってきたことを知ることになったのだが、私にはもっと現実的な関わり合いがあった。

私は二年前から山口市の農地を購入して修復アトリエと絵画教室を建てるために戦後の歴史の流れを受け止めさせられていた。それは「農地法」という法律の為に、農地が簡単に買えないという問題で、どうしてかを知るプロセスに戦後の岸内閣が「反共主義」を掲げて占領軍であるGHQのマッカーサーの意向を現実化したことが原因だったこと。戦前までこの国には小作という農地を所有しないで地主の為に働く「奴隷」のような存在があったことをご存知か?彼らの所得は低く、いろんな意味で自分の土地を所有して農民として生きるチャンスが失なわれていたから、マッカーサーは19世紀末の朝鮮李朝の時代に「東国党の乱」という平民の平等を求めた内乱があったことが、きっと頭の片隅にあっただろう。その時代から日本などのアジアの近代化の影響より、李朝の王はロシアの影響を受け入れていたことが更に危惧されただろう。その後のロシアは共産主義のソビエト連邦に変わり、折から戦後の朝鮮半島に南下し始めて連合国は国連軍の派遣を行ったが、中国共産党の人民軍が国境を越え戦争が始まった。

この時日本に進駐していたマッカーサーは直ぐに日本国内の小作制度が共産化の原因となると危惧し、農地改革を行い地主は小作に安く農地を譲ることを定めた。また農地法(1952年制定)によって農地が簡単に売買できないように監視させた。それが各自治体にある「農業委員会」である。これがどんなにストレスとなるか・・・は。

反共政策は岸内閣の眼玉であったためか、本当は反共主義でもなかった統一教会は「勝共連合」を作って岸の自宅の隣に事務所を構えて岸の政策を抱き込んだ。その後の自民党と統一教会との関係は今日あからさまになり衆知のことであろう。

世の中には政治社会の歪みで正論が通らないことで・・・・腹が立つこと・・・・原因を突き止めたらテロに走ることもあり得るだろう。きれいごとで自分の思い通りにならないからと言って暴力に走るのはいけない・・・とかいっても・・・ね!!

とは言っても、今は先にやるべきことがあって、アトリエを建てて美術教育について一応の成果も作りたい。二年と言う時間を捧げてきた、その見返りが欲しい。

現代アートがやりたい人は来なくていいよ。自分の中にあるエゴを感じて、絵の中で息をさせたい人に来てほしい。そういう生徒が集まるように祈ってます。

工事中です


絵を教えることⅡ

2023-07-12 22:53:14 | 絵画

絵を描くときにビギナーは大方同じ傾向で、一つの方向に行ってしまう。それは「形」が不正確で「見えたまま」と言えないこともないが、それは感覚的に当人にとっての結果である。見方によっては、すごく「魅力的な形」を生み出していることもある。だから最初に描いたデッサン(紙一枚、鉛筆一本)は大事に保存して置かねばならない。

絵を教えると、この最初の「感性」は失われて、もったいない時もあるが、後日、いろいろな表現ができるようになってみると、それは有り難い参考資料だ。そしてそこにある形は当人の意匠特許権のあるものかも知れない。

私が絵画教室の先生に成ったら、まず「紙一枚、鉛筆一本」の意味を教えて、想像の中から出てくるものが何かを感じて大事にすることをしえる。それから「絵を描くとは」何なのか・・・結果を求めると「昔の巨匠たちは能力を競った」ことを教えよう。そして「物」を描いてみようと。それは当人にとって、「今一番描きたい物」でないといけない。それは選ぶという「選択の決定」であり、描きたいという「欲」を紙の上に可視化できるようにすることだから。

これを描きなさいというのに従っていたら、何時まで経っても絵にならないだろう。

知識は年の衰えとともに失われるが「感性」はいつまでも磨ける・・・・それは楽しい。

これはそうした楽しみを混乱させる話だが、オーギュスト・ルノアールと言う画家をご存知だと思うが、晩年彼は手がリュウマチになって、普通に絵が描けなくなったと言われている。が、彼が晩年描いたとされる絵はあまりにひどくて・・・・下手くそで・・・困るのだ。何で困るかって??!!いやー!!彼の作品には贋作が多いのだ。晩年の作品は偽物を描き易くできているので、さらに手が自由に動かなかったと・・・言い訳されて・・・偽物が大量に出回っているのである。それが有名な画家だと・・・作品も高価に売買されていて・・・。実は西洋美術館の収蔵庫にはレベルに達しない贋作がある。さる自民党の衆議院議長をやられたかたからの寄贈で・・・・「いやーーありがとうございます」と言うのが一応善意の行為を否定しないマナーであったもので・・・。

他にも名古屋市美で開催したルノアール展でひどいのを見た。絵具の付け方が子供のレベルで、形もはっきりしないし、正直なところリウマチになるとそうなのか、認知症になるとそうなのか・・・其処に付け込まれた贋作なのか・・・あんまり言わんとこ!!

自分に跳ね返ってくるかも。


絵を教えることⅠ

2023-07-12 15:56:34 | 絵画

他人に何かを教えることは大変である事は、美術館時代に経験した。茨城大教育学部に東京芸大絵画科大学院にせよややこしさが一杯。私が受けた教育は、いまだに小中高の学校教育では教壇に立った教師が教科書を解説しておしまいだ。半世紀以上だ。同じく韓国では小学校から反日教育を行っているそうだ。こっちは戦後以降だからもっと長い。いくら「継続は力なり」と言っても、これはちょっと違うだろう。

やはり相手は一人一人違う人間で、その人の個性で考えないと教育効果は薄いだろう。つまり一人一人生きている時間の感覚が違い、見えている物の理解も違うから・・・・相手に、この国特有の「同調性」「集団の価値観」を押し付けることになるだろう。しかしそれは場合によっては考え過ぎで、甘やかしていることもあるだろう。余計に言いたいことが伝わらずに、相手が立場をワキマエナイこともある。自分が確立していない状況では人は自分の立場も能力も良く分からないまま、教える者と接していることもある。この国では「お金を払っているのだから客だ」「お客様は神様だ」と考える者いるから・・・。しかし別に学費も払わず教えてもらっても、同じように思う若い者もいるから・・・・・人は選びたくなる。

一応、人は選ばないのが私の主義だ。誰でも同じに扱う。しかし絵を描くことを教えるとなると「言葉の理解能力」「感性」の違いに対応の違いが生じるだろう。

面白いことに、素人つまりビギナーは皆同じような絵の描き方をする。「立体感無し」「大雑把」などは日頃からの物の捉え方だと言えるだろう。

「紙一枚、鉛筆一本」から始まり、いきなり天才はいないから心配いらない。しかし「目の中にウロコが付いている」から、これを剝がさないといけない。ほっておくと時間の無駄だ。とくに若い受験生やプロになろうとする者は、このウロコ取りを大切にしよう。将来は「唯我独尊」だから。


鉛筆1本と紙一枚から始まる

2023-07-11 00:23:48 | 絵画

絵を描きたいという衝動は子供時代にも抑えきれなかった。クレヨンがあると縁側の廊下の板に何かを描いて叱られた。描いたのが何だったのか分からないが、手を動かして何かを描いたつもりになったのであろう・・・。その後小学校に上がるまでクレヨンは買ってもらえなかった。小学校に上がるまでに、自分「名前」をひらかなで書ければ良しとされた時代だ。

子供時代は誰にも才能がある。紙一枚に鉛筆で、そこに描かれるのは現実ではなく、当人も気が付かない「虚構」だから・・・芸術の始まりだったろう。見ている人が居れば解説しながら「これはママ、これはミーちゃん」とか「区別」しながらお披露目するのだ。おそらく子供の心の世界は見たものを記憶して新に作られる世界であって、まさに創造性がフルに満たされている。

だから学校に上がって、教壇で「子供は何も知らない」と思い込んだ教師が、目の前の「静物や風景」を正確に描写するように指導するまではあった「子供自身の世界」を台無しにすることに気が付かないこと・・・・は、私には残念で仕方ない。絵を描くときの「描写」は目の前にあるものを正確に描くこととは別に「心の中を描写する」ことがあるのを自覚させてほしい。

この浜田に来て、浜田高校の美術の先生が「古い美術作品を学ぶことはない」と断言していると聞いて失望した。優れた巨匠の絵画を見ると「個性が失われる」のだと言う。これでは何から始まればよいのか分からないだろう。誰しも生まれた時には「言葉」が話せなかったが、周りが教えて、あるいは聞いて影響を受けて言葉を覚えてきたことと同じで、絵が描けるようになるのは教わったり、画集から見て得た感性が自分の世界を作っていることを知らねば「無知、無能」の人で終わるだろう。

私は近いうちに絵画教室を始めようと思う。子供は来てくれないだろうが、暇を持て余した年寄りが生徒で来てくれると嬉しい。まず「紙一枚と鉛筆」を持参してください。そして「思い付きを描いてください」と言うのだ。きっと皆、困惑して私を疑うに違いない・・・この人からかっているのでは・・・と。さあ!!


昔、死にかけたことがある

2023-07-08 19:11:20 | 絵画

何か信じるモノが無いと、人は死ぬかもしれない。

それは「家族」であったり「神」であったりする。私は何度も宗教に転んだ。その前は民主主義と言う亡霊に心を寄せて、機動隊と戦った。その当時「民主主義」は無かった・・・と言うのが最近になって納得のする経路を理解した・・・それは当時の政権は「民主主義」を目指さず、反共主義に偏って、当時の岸首相からして隣に「勝共連合」という統一教会に操られた政治が行われていたということが「改めて分かった」からである。

当時の私は共産主義でも反共産主義でもなかった。ただ「人が人足り得る」人生を獲得したいと思っていたからである。その「人」とは「唯我独尊」というお釈迦様の言葉で説明される「自分」のことである。

その自分が信じていられる「思想」「信頼できること」「感覚」などが普遍にある事で「安心」していられる。もし、それらの大事なことが一つ一つ失われて行くと、人は「孤独」を強く感じるようになる。この「孤独」が巨大化すると、人は独りで生きているのが辛くなる。支えが失われてしまうのである。

命の危険が迫ると、人は「神様助けて!!」とか「お母さん!!」と最後の頼みをしてしまう。しかしもうそれさえ感じ得る「気」が無くなったら、人は「死」を選択する。

私も一度、そうした「気」を失って下宿の二階の窓から飛び降りようとしたことがある。ただ「二階」であったから・・・「気」を取り戻して「気」が付いて・・・「なんて馬鹿なことを!!」と後で笑った。生きていて良かった。それが五階建ての窓からだったら、今は無かったかも知れない。死ぬ行為は後で取り返しがつかないから、もしその時「気」が付かなければ今日はない。

その時、自分に欠けたものを探し始めた。それは「信じれるもの」であった。

何も身近に無い人は「神」を選んでしまうかもしれない。今日、宗教で問題を抱えている人たちは、手短に「信じるモノ」が「神」であったのだろう。私も何度も色んな宗教に出かけて、結局家に引きこもった。自分の問題解決に繋がらなかったからである。

もし宗教に身をゆだねていたら、今の自分はない。「唯我独尊」と言う自分だ。「自分は貴い存在だから大事にしなさい」と言った釈迦は「個人主義」を教えたのだろう。同時に個人主義には「個人責任」を伴い、行為の結果は己が故であることを教えている。

これを私は「論理的合理主義」と呼んで、物事には「筋」があるから、「情緒」で判断せず「論理性」で自分のモノにできるようにしている。

もし、また死にかけることがあれば「自分」のために死ぬだろう。つまり・・・最期までのたうち回って自分でいるということ。そうすると未練たらしく生きているだろうってこと。