7月8日の安倍銃撃事件から一年が経って書いた「テロ事件があって」を読んでみてください。この事件がどれほど大きな出来事であったか、その後の展開が、皆の知らなかった、気が付かなかったことをあぶりだしたこと。思い出してほしい。
戦後の自民党政治の流れが繋がって見えてきたのは、単に岸信介内閣時代から統一教会と自民党が共生して日本の社会を作ってきたことを知ることになったのだが、私にはもっと現実的な関わり合いがあった。
私は二年前から山口市の農地を購入して修復アトリエと絵画教室を建てるために戦後の歴史の流れを受け止めさせられていた。それは「農地法」という法律の為に、農地が簡単に買えないという問題で、どうしてかを知るプロセスに戦後の岸内閣が「反共主義」を掲げて占領軍であるGHQのマッカーサーの意向を現実化したことが原因だったこと。戦前までこの国には小作という農地を所有しないで地主の為に働く「奴隷」のような存在があったことをご存知か?彼らの所得は低く、いろんな意味で自分の土地を所有して農民として生きるチャンスが失なわれていたから、マッカーサーは19世紀末の朝鮮李朝の時代に「東国党の乱」という平民の平等を求めた内乱があったことが、きっと頭の片隅にあっただろう。その時代から日本などのアジアの近代化の影響より、李朝の王はロシアの影響を受け入れていたことが更に危惧されただろう。その後のロシアは共産主義のソビエト連邦に変わり、折から戦後の朝鮮半島に南下し始めて連合国は国連軍の派遣を行ったが、中国共産党の人民軍が国境を越え戦争が始まった。
この時日本に進駐していたマッカーサーは直ぐに日本国内の小作制度が共産化の原因となると危惧し、農地改革を行い地主は小作に安く農地を譲ることを定めた。また農地法(1952年制定)によって農地が簡単に売買できないように監視させた。それが各自治体にある「農業委員会」である。これがどんなにストレスとなるか・・・は。
反共政策は岸内閣の眼玉であったためか、本当は反共主義でもなかった統一教会は「勝共連合」を作って岸の自宅の隣に事務所を構えて岸の政策を抱き込んだ。その後の自民党と統一教会との関係は今日あからさまになり衆知のことであろう。
世の中には政治社会の歪みで正論が通らないことで・・・・腹が立つこと・・・・原因を突き止めたらテロに走ることもあり得るだろう。きれいごとで自分の思い通りにならないからと言って暴力に走るのはいけない・・・とかいっても・・・ね!!
とは言っても、今は先にやるべきことがあって、アトリエを建てて美術教育について一応の成果も作りたい。二年と言う時間を捧げてきた、その見返りが欲しい。
現代アートがやりたい人は来なくていいよ。自分の中にあるエゴを感じて、絵の中で息をさせたい人に来てほしい。そういう生徒が集まるように祈ってます。
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