原因は23年(今年)の4月11日に書いたブログと元ネタは同じだが、その時ムカついて批判した番組の内容・再放送をまた見て、今度は違った角度でムカついている。この番組の名前はNHKヒューマニエンス「”アート”壮大な嘘が教えてくれるもの」という。
まず私には「アート」という言葉が気に入らない。NHKでは日曜美術館などの美術番組がありながら、何が「アート」で何が「芸術」なのか明確に説明せずに好きに使う。
その番組の始まりに言語学者という偉い方が、4万年前の洞窟壁画に描かれた動物の絵や手形を背景に「芸術は言語が発達するにしたがって表現が発展した」と言う。私はどこにそんな証拠があるのか、根拠を示せとわめく!!言語学が専門だから自分の専門性を良く見せようとするのは分からんでもないが・・・・こういうのを学問とは言わない。国際論文でも発表して世界的に認められた認識だというのなら、もっと学術的な説明がないとまずいぞ。
私に言わせれば「言語」は今日なお、その伝達機能を果たせないほど「曖昧で現実をとらえきれない手段」でしかない。まだ現実を見せつけるのは写真であり、視覚的に感性で捉えられる範囲は言語の範疇を超える。だから前にも述べたが、洞窟壁画の視覚的表現は驚くほどのデッサン力でリアルであり、今日の普通の現代人の描写表現力をはるかに超えるものだ。これに「言語の発達」が機能しているなどと・・・出演して発言する相手をNHKは選ぶべきだ。
言語と言うと知性の発達のように思うから始末に悪い。「現代アート」と称する分野で活躍しいると思い込んでいる人たちに使われている「コンセプト観念・概念」の使われ方が「何を表現しても良い、実験的で完成はない」だと、これこそ「番組の言う嘘」であり、良くもまあいい加減な連中によって番組を構成させたな。極めつけは歴史民俗博物館の教授で縄文土器の専門家とか言う者を登場させ「縄文火炎土器は女性が作った・・・縄文時代には村ごとにこうした火炎土器の様式を競っていて、村には塀もなく戦いの無い時代が形成されたのは火炎土器が村ごとに競われていたからだ・・・・」とか持論を述べ、火炎土器を作ったのは女性で・・・古墳時代には埴輪などを作る者は役職化され男だった・・・」とか言う。縄文時代と古墳時代には何千年の時差があったのだろうか・・・・根拠もなく推量で火炎土器も「芸術」表現として語られ、実際はどうであったのか、まるで見てきたようなことを言うから・・・しらけるではないか。この番組に登場する発言者は何やら「食わせ者」の感がある。
彼らが「美」と言う言葉を頻繁に使い、まるで哲学者になった気分だろう。「美」が芸術の長い歴史の中で「大きな要素」だろうか?私がブリュッセルの王立アカデミーで学んでいた時の教授は、私が「描写力」を大事に学んでいたのを見て「デジャ・パッセそれは過ぎ去ったこと」と言ったが、今でもフランス美術界が求めた「新しい芸術表現」「世界をリードする芸術家」の考え方は陳腐である事も問われないで、この番組でも語る者がいる。
番組中に一般人が絵を見るときの見方を解説する。どこをどのように見ているか機械を使って視点の移動でその人が得る感想を解説している。それはドイツの世紀末に活躍したカスパー・フリードリッヒの象徴主義的な「孤独な木」と言う作品を見せるが、多くの人たちは風景の描き方に「さわやかさ」を感じてい居り、題名を聞かせられるまで「孤独」とは思いもしなかったのである。だがその後、作者が付けた題名を教え、真ん中の一本の木を例えて「孤独」を象徴していると教えると、先入観を与えられた観る人はこぞってその木の周辺を見始める。要するに観る人が無知でもなければ、感性が悪い訳でもない、作者の思いを伝える「表現力、描写力」がなかっただけである・・・そのことに気が付け!!
昔、ベルギー留学を控えてフランス語を日仏学院で学んでいた同級生の年配の女性に「どうしてもピカソの作品が分からないのですが・・・」と言われて・・・・まるでその作品の素晴らしさが理解できないと「知性が無い」とでも思われることに悲しそうであった。即座に「私もピカソの良さは分かりません」と答えた。あんなもの理解できるか!!好きか嫌いかであればよいものを・・・この国ではみんな同じ感性、同じ価値観を持たないと普通ではないように思うから。馬鹿なピカソのどこが良い?彼も売れる前には銀座の三越に来て「サイン会」を開いて売り込んでいた。有名になったらフランスを代表するスペイン人だ。
その内、AIによって美術界は混乱するであろう。「芸術とは何か」ひょっとして人間より適切な回答をするかもしれないが・・・そこに人間の感性があるわけでもなく,その感性の存在を日頃から無視してきた者達は騙されるだろうが・・・・何故に芸術を求めて来たのか答えはしない。
番組題名のように「アート、壮大な嘘が教えてくれるもの」と言う番組をプロデュースした馬鹿者に一言。ドイツの社会学者の著書「芸術文学の社会史」に彼は「芸術とは何か一言では言えない、しかし少なくとも・・・・作られたものは我々の住むこの現実から全く隔絶して存在し、そこに世界があると自律充足すると感じる錯覚が大きければ大きいほどほど「感動」が大きい」と述べている。このことはイタリア14世紀の画工(画家)チェンニーノ・チェンニーニは自分の仕事は「無いものを在るが如きにすること」だと述べている。彼が描いていいたのは聖母マリアやキリストであったが、それが自分が見たこともないものを「あるが如き」にする仕事だとイタリアルネッサンス前に語っていたのだ。
さあ、自分を芸術家だと思っている現代アーティスト、歌手や俳優、文筆家に料理人まで、本当に自分が芸術家であると「無いものを在るが如きにする」ことが出来ているのか・・・・つまり芸術は本来「虚構」なんだよ!!だけど「嘘・うそ」ではないぞ。
最初から、観る者に作者の思いが伝わらなければ、その作品に芸術性はないから。。。分からないからと言って「言葉つまり観念」で説明するな。それこそ「嘘つき」になるから。NHKよ、そこを理解しろ。
つまらんビデオを見てしまった。