風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

奈 

2024-12-10 11:21:52 | 千字から
紅葉を見たさに奈良の依水園


日本庭園の紅葉が綺麗だし
博物館もあるし奈良の依水園を目指した

奈良が近づくにつれ奈良マラソンの看板
通行止めは10時半迄

だったら着く頃にはもう終わってるねと
車は奈良市を目指す奈良市に入って

北海道フェアーのかに三昧の幟に引かれて
昼食を取ることにした

かに三昧にほど遠い蟹ちらし寿司の定食を食す
特に北海道感は味わえず

食後の甘味が欲しくて取ったぜんざいの
甘さと暖かさが腹に染み渡った

そして目的地に進んだが目的地付近は通行止め
左折しのろのろ駐車場へ誘導されるが満車

次の駐車場へその次へと進む
やっと車を停めて目的地を目指すが

目的地付近はマラソンの真っ最中で
向こうに側に渡る手段が見つからない

国立博物館に入る
博物館では吉野の金峰山寺仁王門の改修で

奈良博物館に収蔵され公開されている重文
金剛力士像阿吽の2体これは写真撮影OK

東大寺南大門の金剛力士像の次に大きいものとか
ただそのそこにある南大門も東大寺も行かず

ポツポツ降りだした雨に帰路に着くことになって
結局目的の紅葉の依水園も行けず

今年の依水園の紅葉は諦めることになった
仮装してにこやかに走るマラソンランナー

声援を送るランナーの家族や仲間たち
給水所やらのボランティア等々

帰る頃にはマラソンが済んで
雨の中の後片付けの人々の姿

華々しいマラソンランナーを
TVでみるのと違って

イベントの企画から終了までの大変さを
少し感じた奈良だった

ボランティアといえば私の仲間は
東日本大震災以来ボランティアに

何度も何度も参加していて
能登地震の復興支援にも尽力している

それなのに
私は自分の生活に縛られている

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2024-12-09 03:42:46 | 千字から
スポーツ(テニス)の季
あれよあれよと勝ち進み 


土曜日
7と8番目の孫のテニスの初試合

5年生の部と4年生以下の部に出場
上の子は5年生同士のペアーでひとりはテニス始めて間もない子

下の子は2年生で4年生の先輩とペアー
下の子ペアーはあれよあれよと勝ち進み決勝トーナメントへ

あとふたつ勝てば来年の全国大会出場権利獲得だった
けど負けた

けどけどびっくり初めての正式な試合で頑張った
中学生の5番目の孫がクラブを終えて妹の結果を知って

興奮気味に携帯電話をかけてくる
〇〇凄いやん動画撮ってないん見せて!見せて!と

上ずった声で末の妹の結果を喜んでいる
5年生の7番目のの孫は妹の奮闘を喜んでいるのか

自分の結果と対比しているのか感情表現がなく終始無言
婆様として素直に喜びつつ一方を案じて喜びを抑えつつ

孫の成長を嬉しく頼もしく思う
そして子ども達の伸び代の大きさに驚く

スポーツ一つとってもそうなのに
世界の何処かしこで紛争や飢餓で多くの子どもたちの

将来を閉ざしてしまっているような現実を
何も出来ないでいる自分が悲しい








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2024-12-06 07:20:08 | 千字から
珍品なり柿ひとつ桐箱に入り


ものをみる感覚が麻痺して
自分の中の珍品が分からない

例えばそう簡単に手に入ることも見ることも
出来そうにない突然変異の類とか

観ることも触ることも出来ないような
高嶺の花的なものの類が

スマホ検索等々でヒマラヤだって
深海の底だって絶景の紅葉だって

手に取るように我が物と錯覚する
そんなこと在らへんで!アホちゃう

スマホ検索で行った気になるもんか!
生きたい見たい気が起きるから

現実にしたくてみな出かけるのさ
そうだね!そうなのかも‼

でも今の私は錯覚のなかにいて
本を読み耽りした朝目覚めれば

今自分がいつの時代のどこに居るのかと
一瞬錯誤する

そんなことあらへんで!アホちゃう

でさあ
どれが珍品なのか絶品なのか逸品なのか

桐の箱のなかに入る柿やバナナは絶品で
捕獲されたずわい蟹のなかの見事なのが逸品?

でもやたらと逸品やら絶品が目につく昨今
おっっっととと

珍しいもの頂きまして
旬の始まりは珍品でさあ

珍品には絶品も逸品も含まれている気がする
生産者の自画自讃もその3品で消費者もしかり

ただ私の中の3品は空想やら妄想の世界
彷徨いあるいて消化する














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2024-12-04 15:19:30 | 千字から
果てしなく続く千字や柿を食う


義務感で半ばやけくそ
何の義務も意味もないただ履行しなければと

たんたんと進むわけでなく今は千字文の(果)
無知さの中の根比べ

柿喰らう⇒柿を食うにした
気分的にはやけくそな気分で柿の皮をむいて

丸齧りしたいのを八つ切りにして皿においた
爪楊枝では心もとないので小さいフォークで

大好物の固いめの富有柿を食う気分は上がる
秋から初冬にかけて実りの季節

そして日本列島は色づき始め冬の準備を
熊もリスも人間も始める




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2024-12-02 12:49:12 | 千字から
目覚ましのTV体操光だす


4時に目覚めても起きるのは7時すぎ
うとうとと眠ったり読書したり

ゲームしたりして7時すぎ
孫達のうるさい時間をうっちゃっていた

最近リハビリに行きだした整形外科で
行く度測る血圧が異常に高い

だけどリハビリ室での測定で
医師の血圧の処方はない

薬を継続して飲めないために
内科をスルーしているけれど

最近の高さはスルーできるものでない
寒さはこれからだからもう薬飲むべき

睡眠も食事もストレスも
養生すべき事だらけ

元気なおばあちゃんでいるために
光射す明日にするために

そしてやり始めた一つ目
TV体操


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2024-12-02 12:43:54 | 千字から
夜影踏み冬の片男波を歩く
とても寂しくて夜の片男波は歩けない
無理やり夜を挿入

片男波ナンキンハゼが色づいた

昔々であればこの付近は立派な観光地で
多くの人々で賑わった

漱石の「行人」にあるように
ここ和歌浦に日本初の外部エレベーターがあり

奠供山の頂上の見晴台へ上がり
和歌浦が一望できたらしいが今はもうない

不老橋の向かいの鏡山の崖の上に
聖武天皇の和歌山へ行幸の際に歌った山部赤人のうた

若の浦に潮満ち来れば
潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る の歌碑が建つ

このうたを聞いた聖武天皇がこの地を
和歌の浦と呼び景観を讃え護るように命じたとか

赤人のうたにある干潟には妹背山という島が浮かび
その島に徳川家康の側室お万の方(養樹院)を

弔う多宝塔があり
古くから一般に公開されていて


和歌山藩主であった徳川頼宗もまた
この地の景観を護るように命じたとか

鏡山のほぼ直角の背丈ほどの崖を
岩に手と脚を掛け登って歌碑の前に立った

登ってみると歌碑と崖の間の幅が狭くごつごつと
崖の上の方がおぼつかない

スマホをかざすが結局画面に歌碑の全容が入らず
下で背伸びして撮った写真の方が良かった

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列車から帽子を飛ばしたこと

2024-11-29 16:33:45 | こころ
あれは中学のいつの頃だったかの夏
わがソフトボール部は少し大きな大会へ出場を決めた

運動場で学校あげての壮行会が開かれた
全校生徒の人間アーチのトンネルを

我ら部員は意気揚々なのか恥ずかしながらなのか
みんなの伸ばした手のトンネルを潜って校門を出た

そしてローカル線の電車で国鉄桑名駅に向かった
当時はローカル線なんてイメージでない

通勤時間帯などは隙間もないほどの混雑だった
降りる時など「すみません」「スミマセン」と

人をかき分けかき分け降りなければならない
電車もバスも大事な大事な庶民の脚

国鉄桑名駅から関西線で下った
でその列車がトンネルに入っていく

うす暗くなり煙が客室に流れ込み窓際にいた私は
慌てて窓を閉めようと立ち上がった

その拍子に帽子を飛ばしてしまい
身を乗り出して帽子の行方を探すが

ますます蒸気機関車の猛煙に包まれてしまった
機関車はD51だったのだろうか?

半世紀以上も前の事だ
そのトンネルは大阪の叔父の家からの帰り

トンネルを抜けるとそこは銀世界の雪国だった
それもD51だったのだろうか

冬だからきっと窓は閉まっていたのだろう
昔ばかりを思い出すとそろそろ

認知症の始まりだろうか
大阪帰りはディーゼル機関車だったのだろうか

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2024-11-29 07:38:22 | 千字から
稱(称)賛の渦のなか大谷翔平


孫も稱えよう
国民スポーツ大会(国体)陸上○競技2位
阪神カップ(中学生硬式野球)に出場中
近畿大会(中学生ソフトテニス)出場権利獲得
女子野球(小学生)全国大会出場

4人の孫は努力挫折喜び諸々繰返し
繰返し挑んでいる

優勝以外最終は敗けで終わる
ライバルという仲間のなかで切磋琢磨する

私の中高生の頃のスポーツは
そこそこ強かったと思うけれどのんびりして

どの夏もどの夏も最終負けて終わったけれど
泣くことも無かったし悔しさもなかった

えええそういえば
記憶に試合の模様は写ってない

試合の帰りに寄ったところとか
試合に向かう列車のトンネルの中で

帽子を飛ばしてしまったことや
当時はホテルという代物でなくて旅館

紺のセーラー服のスカートの下に
白いユニホームのズボンを履いていたら

中居さんに一休さんみたいと言われたことを
50年も60年も覚えているなんて

なんとも情けない
そういえばかっ飛ばした長打塁審もチームメイトも

走れはしれと右手を回す
一生懸命走ってはしって3塁タッチアウト

普通ならランニングホーマーかも…
塁審もみんなも自分の脚の速さで測る

脚の遅さ絶品の私の事忘れてる
そんなことがあった


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2024-11-28 12:28:05 | 千字から
秋深し
真珠貝食べに伊勢志摩へ


珠算の珠
真珠の珠

わが娘の名の一字
しゅと読まず…じゅと読まず…たまと読まず

学校の先生も病院の呼び出しも「み」と読めず
珍しい姓だから姓だけで充分だけど

名前はあんま間違って欲しくないが
始めての人はほとんど読めない

そして志摩は祖母の故郷といえど
祖母は母の幼い頃に亡くなっている

祖母ばかりでなく
母方の祖父も孫に出会うことはなかった




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闕 52/1000

2024-11-27 19:11:27 | 千字から
闕に来て
進まず庭に落ち葉舞う


千字の52番目の文字
漢文や詩に関係なくド・レ・ミの数え歌のように

ただ符号の1・2・3と同じ
アッちょっと違うかも

ドレミの歌はドはドーナツのド レはレモンと始まる
ひとつとせというのは数を数える数え歌

そういうのでなく書くことが見つからないとき
五十音のあの文字から始まることば遊びのように

文字を設定して書き出してみるのはどうかと
自分自身に提案してみた

で千字文の一字ずつ千字を課題とした
中国の文字の持つ意味なんて分からない

一文字で感じたことを頭の体操のつもりで
書いているものの全く読めもしない字

まして字の持つ意味など分かるはずも無く
時折千字文の解説を見て進もうとするが

すればするほど混乱してくる







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プーチンさん! ジェレンスキーさん!

2024-11-19 00:40:28 | こころ
2023-02-12 09:51:49 の再掲です。

プーチンさん
ジェレンスキーん

話し合いの場は持てないですか?
戦争なんてもうよしましょう

周さんにバイデンさん
グレーテスさんに

世界の国々の首長さん方

どうかプーチンさんを
話し合いの場に引っぱり出して下さい

そして世界の首長の方々
どうか日本の広島や長崎の

あの日の残された惨状の資料と
人々の戦争体験の記録の数々を

その目や耳に触れさせて
戦争という愚かさが

人々の日常を奪い去ることの
重大さを考えてみて下さい

2月6日トルコ南東部で
大きな地震が起きました

トルコと隣国シリアとで死者は
すでに2万8千人越えました

地震発生から6日目の今日
瓦礫の中には助けを待つ人が

ペット達も主人を
護っているかも知れません

愚かな戦争よりロシアの軍隊を
トルコとシリアの被災地へ

その方が軍人さんの心に
やりがいが生まれるでしょう

もし地震が
モスクワで起きたとしたら

ジェレンスキーさんは軍隊を
地震の救援に向けるでしょう

予測なしに起きる自然災害
予測できても防ぎようの無い自然災害

人が他の人を
国が他の国を攻めてどうするの

プーチンさんあなたは幸せ?
幸せでないから隣国

ウクライナを攻めたんだよね
あなたは幸せの意味を知らない

心配しなくても
あなたの国の人々は

幸せの意味を知ってるよ
捕らわれてもウクライナ侵攻に

異議を唱えたし
自国ロシアを脱出する人がいた

あなたはいつもそれらを
力で弾圧しようとする

今私たちがするべきことは
手を繋ぐこと

今世界はあなたの侵攻によって
世界の意図に反して

地球温暖化に急激に進み
平和協定とやら軍事色に包まれ

人々の望む方向でない
あらぬ方を向き出した

私は緑豊かな森を
緑豊かな地球を

孫世代や又その孫世代
又々その又世代に残せたら

あの若き活動家マナラさんの
心中を思うとねえプーチンさん

私たち年配者は
何をしているのだろうか

そうは思いませんか?
穀物は農地で作り大自然の

豊かさを取り戻しませんか?
私は父と母の子として

たまたま日本に生を受けました
意図があったとも思いません

不自由なりに自由に生きて来ました
たまたまこう生まれて

戦争も知らず大きな災害にも
あわず家族にも恵まれ今は

日本の縮図通りの独居老人ですが
生きる困難を知らずに来ました

もし母と私の生が代わっていたら
戦争を体験していたり

生まれた国が違ったりしていたら
飢餓に苦しみ子供を無くしたり

どうすることも出来ない生きる
苦しみを味わったかもしれない

世界が手を繋げば
地球の温暖化や食糧難も

自分事として捉えられ飽食や
贅沢に気付けるかもしれない

経済を動かすためなんて偽善
世界でどうすることも出来ない

立場にいなければならない人の
生活の質の向上それなくして

戦争なんて無くならない
戦争なんて欲から発する

幸せは
相手をよく知ることから始まる

対話が重要だとは
思いませんか?



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菊の花

2024-11-16 03:48:19 | こころ
仏壇に赤紫の菊一輪


夫が逝ってもう15年
ここんところ夫に寄せる心は粗雑

仏壇に花もあったり無かったり
お線香も蝋燭も小さい孫が来てから

隠し込んでりんだけ一回ならし
手を合わせて終わり

小さな孫達は仏間を
おじいちゃんの部屋と呼ぶ

上の男の子は一人で入るのを怖がり
下の女の子は隠れてひとり遊ぶ

線香も灰も蝋燭も格好のおもちゃ
だから隠した

戴き物のお菓子があるとおじいちゃんにと
分けっこして仏壇に置く

仏壇の夫や母の写真は変な顔であったり怖かったり
可愛かったりカッコ良かったり変化するらしい






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2024-11-16 03:10:21 | 千字から
台風で古代の巨木流れ着き


紀の川に流れ着いた巨木の根を
見たのはいつだったろう

紀の川大堰橋を北に向かって渡っていた
ふと右下を見ると

川原に引き上げられたと一目で分かる巨木の根
なぜここに?

大きな台風のあとだったから
流れ着いたものだと想像したけれど

どこからどうやってここに来た
川に降りて見る余裕がなかったのが悔やまれる

やがてこの古木の根は紀伊風土記の丘に
展示されたのだが

大堰橋から見たものよりカットされて運搬され
元の姿に合わされ傷んだ部分は取り払われていた

1300年ほど以前のもので樹齢350年
こんな大きな木の根がゴロンゴロンと

流れてくる様はどんなだったろう
どこに埋もれどうやって来たのだろうか

上流では洪水が起きた程の水嵩で
濁った泥水ではこの大木も

ただの木屑のように流れ着いたのか
1300年もの昔この木はどんな風に

幹を伸ばし枝葉を拡げていたのだろう
どこにあったのだろう

高野山の麓の町かなあ
蛇島辺りかなあ

もっと遠くの吉野辺り
実はそんなに遠くないのかも

大洪水で見る災害は
木立も家も車も何もかも飲み込む

巨は
眼を見張るほど大きなもの

恐さも美しさも
眼を見張る














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2024-11-10 18:03:29 | 千字から
號あげてラケット振り届いた冬の長浜


5番目の孫が悲願の地区大会出場権を得た
凄まじいほどの練習を重ねてきた

感動するほどの試合を重ねてきた
けれど5番目の孫は

『ばあちゃんの孫はみんな全国へ
行ってるから、ばあちゃんは嬉しくないかも』

などと言ってるらしい
この孫の努力を見て成長を見て感動している

感動もおめでとうも伝えたけれど
孫は種目は違ってもライバルという視点で

いとこ達を見ていたのだろう
○○ちゃん凄いね全国で何位なんやろ

憧れで見ていたと思った目は
ただの憧れではなかったようだ









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2024-11-10 16:31:47 | 千字から
剱の道
竹刀置き素足の初詣


4人の娘のうち3人まで小学生のうち
剣道をさせていた

初稽古は1月2日の早朝まだ薄暗いうち
小一時間の稽古を終え

素足のまま道場を出て近くの神社に向かう
霜柱の立ってるときもあり雨の日もある

鳥居をくぐり玉砂利を踏み
山門に入り石畳の道を進む


冷えきった足はどんなだろう
親御さんのうち靴を脱ぎ靴下も脱ぎ

子供と歩く人がいるけれど
私は上の子から3番目の子が卒業するまでの

10年間の一度も素足になったことがない
神主さんが神殿に入り挨拶し

長い階段を半歩半歩登り神前に座り祝詞を上げて
また半歩半歩降りてくる

その神殿も床は石敷きで床几 (しょうぎ)という
折り畳み椅子の前に立ち

子供達はじめ皆頭を垂れて御払いを受ける
泣いていた子もこの頃には泣き止んで

多分子供達の足は痛みを通り越し
じんじんと痺れているのではないだろうか

参拝を終えて道場に戻ると
親手作りのぜんざいが振る舞われる

飲んべえ集団の大人達はお屠蘇ではなく
飲み会である

道場とは小学校の体育館で
屋根だけの外廊下で煮炊きする

今の学校ではとても考えられない
ことかもしれない

親たちの飲み会の間子供達は
ドッチボールしたりして体育館で遊ぶ

家に帰って朝風呂に入り
素足で歩いた白の稽古着の裾は汚れて

洗濯が待っている
ただ4番目の末っ子は

剣道をしたくないとしなかった
今となってさせておけば良かったと

思うこと
しきり









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