CubとSRと

ただの日記

鶯は啼く

2024年06月14日 | 日々の暮らし
 5月28日(火)

 昨晩から吹込みによる雨漏りの予防策として、掃き出し窓の枠の端に雑巾を、欄間障子の外側に在る硝子窓には雨漏りの滴を受け留める小さな容器を並べる。

 一階も二階も南側の雨戸を閉める。
 普通そこまで念入りに用心をすれば肩透かしを食らって雑巾は乾いたまま、雨漏りを受け止める容器は一滴の水もない、と言った風になる。

 マーフィーの法則、肩透かし、気象庁はオオカミ少年か等々色々な事後裁定が行われるが、同じく「気象庁、予報の当たる確率70%だって?早い話が3回に一回は間違えるってこと?」って散々に文句を言い、留飲を下げる。
 そのためか挨拶や初対面の人の会話は大方天気の話で、結納の席なんかでは(結婚式なんかでも)「本日は御日柄もよろしく云々」。(勿論、この『御日柄』は天気じゃなくて吉日とか何とかのことなんだけど、頭の中には「晴天」の二文字が浮かんでいるに違いない)

 天気予報が外れたって大勢(たいせい)に影響はないんだから、なんてところだろうけど、本当のところ「雨漏り」は怖い。日本昔話でも習った。
 「もうこの歳になるとそんなに怖いものはないが『フルヤノモリ』だけは怖い」とお爺さんが話すのを、潜んでいた狼や泥棒が怪物のことだと思い込んで大騒ぎに、というやつ。
 実際に「古家の漏り」は気付かぬうちに家のいたるところを腐らせてしまうから、じわじわと家を破壊し続けていくわけで。
 色んなことで準備をして、でも「取り越し苦労」、「杞憂」で終わる。周囲から笑われる。「そんな大げさな準備をしなくても」と自身でも思う。
 年の功でその辺りの事情を把握し、段々に簡略化するのが「大人」。
 だけど相変わらず周到に準備をして、「肩透かしで良かった」と素直に喜ぶ気持ちがよりよい未来を生むのではないかとも思う。

 さっき(夕方6時近くになって)、やっと雨戸を開けた。
 雨が上がっていたのだろうか、雨垂れの音の間から、最近随分啼き声の上手になった鶯の声が聞こえ始めた。
 月初めの頃、時々「キョキョキョ・・・」という鳥の声が聞こえてきて、
 「まさか。こんな住宅地に鶯が来てる?」
 と思ったものだ。
 けど思い返してみれば、ここ数年この時期になるとそんなに上手ではないが確かに鶯の啼く声が聞こえていた。
 そして一月ほど経った頃、「やっと」というか、遂にというべきか、「ホーホケキョ」という誇らしげな啼き声になる。
 残念ながらそれから数日で啼き声はぴたっと聞こえなくなる。山に戻るのだろうか。


 今はもうすっかり夜だから、啼き声は聞こえない。
 雨も止んで全く静かになった。
 無音の中、自分の耳のつくり出す音が頭の中で響いている。
 あ、冷蔵庫の音も、か。

 酒を飲む日だったけど、今日も外に出られなかったので一日延期することにした。
 明日、天気がすっきりしたところで買い物に行こう。
コメント
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