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ただの日記

去年に続き

2024年11月23日 | 日々の暮らし
 今日は新嘗祭(にいなめさい)

  やっぱり今日はこれを何度でも再掲しなけりゃ。

 今日は新嘗祭。
 戦争に破れ、占領統治されることによって、日本は七年間の長きにわたって国の主権が奪われました。

 占領統治政策として、一度日本の社会体制を解体しようということになり、様々な方策が建てられました。
 実施されたもの、結局実施できなかったもの、とにかく色々あります。日本国憲法という名の占領統治法、国家体制を解体するための神道指令、悪い国だった原因は文字にあったとするローマ字表記奨励、漢字の廃止を究極の目的とする教育漢字や当用漢字使用の徹底、財閥解体、農地改革、家父長制の廃止、信教の自由(神道も宗教の一つとする)等々。靖国神社を廃止して跡地をドッグレース場に、なんてのもありました。

 その中で一番分かり易いやり方が「祝祭日の廃止」。何しろ「国民全員が祝ったり祀ったりする日」なんて、その国独特の社会体制そのものの表現であり、民族精神を再確認するためにあるようなものですから。
 中でも日本にとって一番大事な祭日、それは新嘗祭でした。天皇が「国民の代表(祭祀長)」として天照大神と新穀を召し上がる(嘗める)祭り。神ー天皇ー国民という繋がり方が日本の国家体制でした。
 それを「国民はみな平等だから」との理由で否定し、「働く者全てに感謝する日」=勤労感謝の日とされました。
 西欧では「労働は自ら他者のために進んで行うもの」という発想がないのだそうです。働くことは決して美徳ではないから「勤労(労働に勤しむ)」という考え方も理解できないのだとか。
 だから「勤労感謝の日」という名称自体、日本人の考えた苦肉の名づけだとは思いますが。


 いずれにしても「新嘗祭」は日本の国のあり方そのものだったから、廃止すべき祭日の筆頭です。

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  「11月23日は『勤労感謝の日』。日本中の働く人に感謝する日、なんだな。」子供の頃はそう思う。
 そして「感謝、ってどんな風にしたらいいんだろう。お父さんお母さんありがとう、だけじゃないな。近所の人にもありがとう、という方がいいかなぁ~?」

 バカみたいな話ですが、子供の頃、こんなことを思ったのは事実です。自分を中心にして物事を考えることしかできなかった。だから「感謝しなけりゃならないのは、自分だ」と思っていた。
 でも、どうやったらいいか分からないし、どこの家も取り立てて何かをしている、という風でもなかったし。
 つまり、「誰が」「誰に」感謝するのかということがはっきりしていなかった。「安らかに眠ってください あやまちはくりかえしませぬから」、と同じです、誰が過ちを犯したんだ??

 でも、学校では聞いたような記憶があるんです。
 「日本中の働いている人に感謝する日だ」、って。
 それで「働いてない、おじいさんや働けない人は??」なんてことを思いました。昭和三十年代の終わり頃のことです。戦争に負けて二十年足らずの時です。小学校の低学年の頃。

 「三つ子の魂百までも」とは言うけれど、戦後教育を受けた者に、とにかく「??」なことは山のようにありました。
 ただでさえ子供は「ねえ、ねえ。どうして?」の時期があります。その時に「道理」とか「物の感じ方」を学び始める。
 ところが戦後教育は基本が「戦前の否定」なわけですから、家庭で習った「筋」を学校では否定することが往々にしてある。
 (「東アジアの国々を解放するための大東亜戦争」が「軍部の独走による無謀な太平洋戦争」、とされたことなど)
 筋が二本でクロスオーバーしてるんだから頭の中は「???」になる。何を信じればいいんだ?

 だから「祝祭日」と言ったら「祝祭日」であって、まさか「祝日と祭日を合わせて祝祭日」と言ってるんだなんて。考えもしなかった。
 知らなかった、考えもしなかったくらいだから、「祝日と祭日、どう違うの?」なんて聞かれたら、「???」、で、「いいや、別に。休みだから!」 と子供の積極性(!)で応えたに違いない。

 「祝日とは、日本の祝日」と書いてある記事を見たことがあります。噴飯ものですね、今見ると。まさか外国の祝日のことなんて誰も思やしないだろうに。「祝日って何だ?」と聞いてるのに。
 で「祭日」は、となると「祭日とは日本の祭日」なんてことは書いてない。祭日の説明は、ない。
 あったとしても「祭日とは、祭りの日のこと」と書いてある。わかっとるっちゅうねん!
 「祝日は国が定めた祝賀行事を行う日」。
 「祭日は国(正確には天皇)が祭祀を行う日」

 祝賀行事を行うのが祝日。祭祀を行うのが祭日。政府(政治)主体が祝日、天皇主体が祭日、と言ってもいいかもしれない。
 となると「勤労感謝の日」じゃ、どちらかさっぱりわからない。
 けど「新嘗祭」と言えば、祭日だと分かる。「~祭」とありますから。
 今年の農作物の豊穣であったことを、天皇が国民の代表として(農作物を神に献上し豊穣であったことを奉告して)、神前で神に感謝しつつ共に食される。
 「勤労者」に、ではなく「神」に感謝する「祭り」が「新嘗祭」。
 でもGHQによって出された『神道指令』により、天皇が祭祀を行う「祭日」は全て廃止されたわけですから、「神に感謝」ではなく「(神である)天皇が全国の勤労者に感謝する」、という「天皇と国民が対立(対面)するという形にしてしまった。
 巧妙ですね、やり方が。アメリカ人ってこんなに狡猾だったんでしょうか?
 とてもあの能天気なアメリカ人の発想からとは思えないんですけど。

 アメリカの選挙は火曜日だったんじゃなかった?「伝統なんだ」とか言って。日曜日は教会に行かなきゃならないから、その後で遠くにある投票所まで馬車で行く。(どんだけ遠いんだ!)泊りがけで(キャンプして)行かなきゃならないから投票日は火曜日。
 工夫、摺り合わせ、なんてことはしない。目的と目標は重なっていて当然みたいな国民性ですから、こんな姑息なことは考えないだろう、と・・・・。
 あっ、脱線した。
 まあそれはそれとして。

 「新嘗祭の当日まで、新米は食べない」という敬神の念篤い方も段々に増えて来られたようで、日本にまた日が昇り始めたような・・・・。
 ですが何しろ品種改良も進み、ハデ干しもしない、稲わらも刈った端から細断してしまうというやり方が一般的になり、で昔よりも早く、新米、新穀が出回ります。だから新嘗祭まで待つ、というのもなかなか大変です。

 それよりも書いてきた通り、11月23日は「祭日」なんですから。
 祭祀を行うのは天皇陛下で、我々はその後ろに並んで敬礼(本当は最敬礼ですけどね、腰が痛くなります)をしている心持。実際に陛下の後ろに並ぶことはできませんし、陛下は代表として祭祀を行ってくださるんですから、我々は安心していればいい。
 だからどうでしょう、普段は合掌して「いただきます」と食物に感謝しているでしょう?
 新嘗祭の日だけでも、「食物に感謝」ではなく「神様に感謝」しては?
 新嘗祭の時は「合掌」ではなく、(神社にお参りするときは二拝二拍手一拝だけど)膳に向って一拝一拍手という正式な拝礼をしてみる、なんてのは良いかもしれません。
 もしかして「何だ!合掌もしないで手を叩くとは!行儀の悪い!」と怒る人が出てくるかもしれません。
 そしたらしめたもの。
 「え?これは正式な拝礼なんですよ」
 などと話を始められる。
 「今日は新嘗祭ですからね~~」って。


   ~2015年11月21日の日記から~
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