(読者の声1)
兵庫県知事選挙のドンデン返し、非斉藤票が乱立で分裂したという分析が多いですが、結局、メディアの一方的な、独断と偏見にみちた事前報道が斉藤知事への『悪』印象となって、それがネットによってうっちゃりとなったのではありませんか?
失職した知事の復活は、あのペログロ作家・田中康夫以来です。
左翼メディアの敗戦では?
(SE生、神戸)
(読者の声2)
TVであれだけ「パワハラ」だの横領を毎日のように流していたから、私も含めて斎藤知事を「とんでもねーヤローだ」と信じた国民は多い。ところが実態は知事のふるった大ナタで既得権益を失った連中が知事を陥れ、マスコミを使って悪評を流して辞任に追い込んだのが真相だったと。
議会も全議員が不信任、もはやこの人の政治家人生は終わった、と思いきやある時期からパワハラや横領の報道がピタリと止まった。
そのうちNHK党の立花氏や高橋洋一氏らが疑問を呈し始めたが、立花氏は自分もわざわざ立候補してNHKの政見放送で県庁や県議会の闇と斎藤叩きの出鱈目ぶりを暴露し、斎藤氏を擁護した。そして昨日の結果となった。
実際の斎藤氏は県政で実績をあげて県民からの評価は高く、今回の斎藤押しは特に2~30代の若者が引っ張ったようだ。最も支持しなかったのは60代以上というから、テレビに洗脳されている世代だろう。
さて、今朝のマスゴミ報道をざっと眺めると、斎藤氏再選はSNSをうまく使ったから、とか反斎藤勢力が割れて票が分散したからとかの分析に終始するのみである。
最も大きな疑問はマスコミが一致結託して斎藤批判のデマを流した背景にある筈だが、その点マスコミはダンマリである。
さきの米大統領選でマスコミがこぞってハリス有利のデマを流し続けたのは、ほとんどのマスコミが左翼かぶれであって願望と現実の区別もつかないほど倒錯しているからであり、したがって今後マスコミを信用してはならない、という至極明快な教訓が提示された。
ところがこのたびの「斎藤知事騒動」では、マスコミの悪質なデマ流布の背景がいっさい伝わってこない。いったいマスコミのどんな既得権益が斎藤県政によって毀損され、彼らが斎藤潰しに加担したのか、真相解明が待たれるがマスコミ自身に自浄作用が皆無なことは今朝の一連の報道から明らかになった。
だから本日令和6年11月18日はマスコミの信用度が音を立てて崩れ去った記念日となるだろう。
インターネットの論客たちの解説を待つとしよう。
さて今後斎藤氏を待つのは県議会との闘いだ。
私は議会解散を知事権限で行うべきと考えるが、く議員選挙で「斎藤与党」を形成するため、立花氏が兵庫県内各地域で刺客候補を立てるそうだ。これまで一種キワモノ的で炎上商法狙いとみられてきた立花氏の政治センスは今後の日本立て直しへの大きな力になるとして期待している。
( Stratocaster )
「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月18日(月曜日)参
通巻第8510号 より
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ネットでは、敢えて(わざと)誤字を使用して検閲の目から逃れる、という手法がある。
同じく敢えてはっきり言わないで誤解を誘う(誤誘導)というやり方もある。上にある「県政で実績を上げた」ので若者から支持を得た、と言うのも、「実績」の中身が「着手」「達成」併せた数字であることを意識すれば達成率はどのくらいの割合になるか、或る程度は想像できる。達成率なら決して高くはないだろうな、と。「それ、実績って言う?」と思い始める人もいるだろう。
ここで既存の思考形態では「ほら見ろ。だからネットは~」となる場合が多い。でも、このやり方、ネットで始まったわけじゃないんだけど。
これはメディアが常套手段としてきたことではないか。それに加えて「報道しない自由」を自家薬籠中の物にしている、いや、十八番にしているんじゃないか。
マスメディア報道もネットの情報も、それぞれの「発信者による分析」を我々は鵜吞みにしないように、我々は提示された「事実」を自身で読み解く努力をしようとすることが大事なのだと思う。そうやって分析「能力」を自ら作るしかない。
何度も書いてきたけれど「真実は一つ」じゃない。それぞれの「立場」「考え方」「感じ方」によって無数に存在する。一つしかないのは「事実」だ。
それをどう読み解く(真実を掴む)か。
「書面が真実なのだ」、とは決してならない。行間と、紙背を読もうとすることこそが大事なのではないか。
「行間と紙背」、それは物事の前後、展開の流れを見ることによって見えて来ると思う。
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