CubとSRと

ただの日記

「その」時、あなたはいくつだったのか。

2022年01月26日 | 心の持ち様
 「私はあの悲惨な戦争を体験している。だから~」
 その時あなたは一体いくつだったのか。「一人前の大人として考える」ことはできたのか。「確固たる考え方」はあったのか。

 戦後生まれの子供に「お前たちは戦争を経験してない。だから何も分かるはずがない」と叱った人々は戦時中、一体いくつだったのか。
 戦争を知っている復員兵は黙して語らない。経験したからこそ「何も分かるはずがない」などと決めつける(全否定する)ことは、しない。
 どの分野でも「経験もしてない者が偉そうにいっぱしの口を利くもんじゃない」という人が少なからずいるけれど、それを言っちゃあ、おしまいだ。
 大人がそれぞれに、それぞれの思い(意)で考え行動するからこそ、社会の変化(発展はその中に含まれる)がある。確かに考えることを否定する社会に未来はない。しかし、子供は大人ではない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
  書評 しょひょう BOOKREVIEW  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 あの文革の惨さ、おぞましさ、死刑直前に獄中十年、精神の記録
  暗黒の歴史を世界に伝えなければいけないと当時の文革高校生が綴った

  ♪
楊小凱著、劉燕子監訳・小林一美解説『中国牛鬼蛇紳録』(集広舎)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 著者は文革時代、高校生だった。鋭敏な神経と感覚を備えた著者は、論文を書いた。保守過激派の反発を産み、死刑になる寸前だった。獄中十年、そこで目撃した地獄。
 1968年、湖南省の片田舎で育った著者はまだ高校生。文革が始まっていた。楊少年は「中国は何処へ行くか?」という小論文を書き、ついで農村の実情を調べるため、多くの農民と話あってレポートを書いた。それが回覧され、『保守造反派』の間にもでまわってしまった。
 中国全土を蔽っていた「当時の官製イデオロギーは、全人口の80%を占める農民の殆どに歓迎されていないことを知った。農民は共産党は好きではないが他に選択の余地がないので、仕方なく受け入れているだけである」(33p) 
 そして、こうした思考を続ければ劉少奇らの考え方が正しいという結論にならざるを得ないという直感があった。
当局から目を付けられて拘束され、懲役十年。父は左遷され、母や文革中、迫害を受けて自殺した。
 獄にぶち込まれた人々にはコソ泥から、掏摸、詐欺師もいた。ソルジェニツィンが書いた『収容所列島』の中国版とは「看守所・未決囚」と「労働改造所」、そして「監獄」の三つのシステムがある。
 ゴロツキ、研究者、医師、宗教家、同性愛者、流れ者、ヤクザ、左官屋、舞台監督など履歴は様々だった。その生態を生き生きと描いた。西側世界は吃驚した。
 楊小凱は獄中でマルクスの英語版を読み、共産主義が完全に誤りであることを独習で学んだのだ。獄中が彼の大学だった。
 出所後、印刷工などを経て、武漢大学助教、幸運にもその後、海外へでることができた。
83年に渡米し、プリンストン大学で博士号。豪の大学に移り、2002年には受洗している。
 著者は2004年、オーストラリアで客死した。当時はメルボルンのモナッシュ大学の教授だった。妹の楊暉が現地へ飛んで臨終を見届けることとなった。癌だった。
 本書の一部は1990年に発表され、討論の輪ができた。著者の楊小凱は学者として名を成し、専門は経済学だったが、米国での議論は経済学ではなく文革時代のことばかりだった。評判となったので、残りを『北京の春』に連載し、1991年には英語版も出版された(脱線。評者(宮崎)、この頃,『中国の春』『北京の春』を郵送購読していたが、論文が夥しく,読むのに追いつけなかった)。
 それから30年の歳月が流れ、ついに日本語版が世に出た。魂は不滅、文学的な作品は残るのだ。
 巻末のやや長い解説「毛沢東時代と中国を世界史の中で理解するために」を書いた小林一美(神奈川大学名誉教授)は、次の重要なポイントを指摘している(499−501p)
 「中国で最も長く反体制の教義と反乱実績を持つのは白蓮教である。中国の白蓮教は、ゾロアスター教(この世を善神と悪神の闘争と捉える)から分裂したマニ教に起源があるといわれる。
 マニ教は唐代に中国に広く伝わり、宋代の国内の禁欲的な白蓮宗などの宗教集団と合体し、元末の大反乱の宗教反乱の中心集団となり、そのなかから生まれた朱元章が明王朝を樹立した(中略)。明清時代には国家から最も危険視される過激な結社であった。なぜなら、白蓮教は清代には中国伝統の武術結社と結びついており、各地で武装蜂起を企んでいたからである。

 白蓮教のモチーフは、『天下大乱し、弥勒仏が光臨なさる』、『真命天使がお生まれになる』、『この世には、まさに地獄の災難が降りかかろうとしている』、『勇敢に戦い死すれば、天国に生まれ変わる』というもので、現在のアルカイーダ、タリバン、ISのような終末論的な預言をした」のである。
 毛沢東以来、中国共産党は宗教の全てを取り締まり、キリスト教会とモスクを破壊し(多くは地下に潜った)、法輪功を徹底的に弾圧し、臓器を摘出して稼ぎまくり、いまウイグルのイスラム教徒を洗脳し、拷問し、労働改造所で重労働に酷使し、しかも平然と北京五輪を開催して、「世界の一流国」だと虚勢を張るのである。

 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月25日(火曜日)
     通巻7196号 <前日発行> より

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪は~降る~ 誰も来ないけど

2022年01月25日 | バイク 車 ツーリング
 1月22日(土)

 金曜日。
 今日こそはと思っていたけれど、考えてみればどうしても買わなければならないような食材はない。必要だったものは既に昨日コーヒーを買った帰りに購入している。
 鯖の煮付けも作ってある。
 
 何より今日は一日雪だった。積もるというほどではなくとも、終日小雪が舞っていた。
 車で出掛ける気にはならない。フロントガラスに雪片が付いて何となく視界を遮る、というのが雨よりはるかに気に食わない。そんなことならフロントスクリーンのないカブかSRで出る方が安心だ。

 ただ、安心ではあるけれど今の時期は凍結防止用の塩化カルシウムが盛大に撒かれていて、道路は大半が濡れたようになっている。
 ということは、少し多めに雪が降ると車は当然のこと、バイクはすぐに洗わなければ錆びてしまう、ということでもある。
 それで出たくない。

 まあ、独り宴会の日だからそっちの準備に時間を割いた方が良い。
 ということで、一日出ないまま夜になった。
 そして十分に飲んで夜が更けた。

 今日(土)は、やっと寒さから抜け出せたみたいで、血圧も130台。
 風もなく、陽射しも強く、春かと思うくらい。

 とにかく、着替えて出ようとすると雪が舞い始める寒い日が3~4日も続くと、いいかげん嫌になって来る。
 それが今日は本当に久し振りに「青天」の多い一日だった。
 なのにまた明日は雨だ、という。
 それならば今日は用事はなくとも外に出ようじゃないか。散歩と違って陽のあるうちに。

 ということで4時をだいぶ回って、SRで出た。いつものダム湖の駐車場までの往復。小一時間。
 5時を回って帰ってきた。さすがにまだ冬。日が傾くとすぐ寒くなる。
 けれど出ただけのことはある。指先は冷たいけれど、何となく気持ちに火が灯ったような昂揚感がある。
 ただ往復しただけだが、それなりに満足。
 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふ~む 後半

2022年01月24日 | 心の持ち様
 字面を見るとなるほど納得、と思えるけれど、実際の漢字の国の下劣さは想像を絶する酷さだ、けど、これは漢字の国ならずとも似たようなもので、と少々脱線しながらも続けられた文章は、「~十族すべてみな殺した」という下劣の最骨頂へ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 《「皇帝」の地位も、アノ国ではこんなもの》 後半

 そういえば蒋介石軍を追う日本軍兵士に「支那の民が土下座して歓迎する」写真が朝日新聞(2017年3月29日付)に載っていた。
 民の心情は明末のときと同じだったのだろう。
 しかし日本軍は間もなく去った。代わりに蒋介石より残忍な毛沢東が天下を握った。この王朝は出だしから血塗(ちまみ)れの政治をやった。
 まず朝鮮戦争には中共に帰順した国民政府軍130万人を投入して消耗し尽くした。
 国内ではレーニンと同じに地主を毎日吊るし、反革命分子狩りもやって271万人を殺した。
 そして英国を追い越し米国に迫る「超英追美」を掲げて大躍進政策を始める。
 コメを密植して収穫を倍にしろとか愚かなことをやらせた結果、4000万人を飢餓地獄に落とし、現代に易子而食を再現した。
 その10年後には文化大革命を起こし、劉少奇以下2000万人を殺した。
 これだけ死ねば革命には十分だ。人心も倦(う)んでいた。なのに何も起きなかった。

 易姓革命の本場らしくもないように見えるが、実はこのとき、裏で無数の革命が進行していたことを神奈川大の小林一美名誉教授が調べ上げていた。
 この先生は支那の各省史を渉猟し、例えば山東省では共産党政権成立から30年間に217人が皇帝を名乗り出て、それぞれが朱元璋と同じに手兵を率いて蜂起していたことを明らかにした。彼らは勢力を伸ばしたものの、どの皇帝も捕まって手兵ごと殺されたという。
 安徽省でも同時期に80人の皇帝が出た。何年間か頑張った勢力もあったが、みな潰された。それが外部に知られなかったのは中共の鉄壁の検閲のせいだった。

 大躍進のときも文革のときも民は天命が改まるのを期待していた。それで合計で何百人も皇帝が期待に応えようと出現した。
 ただ中共はあまりにしたたかだった。明や元と違って第二、第三の朱元璋をみな殺してきた。それでも支那の民に言いたい。日本のため、世界のため、習近平を倒す易姓革命を諦めず、試み続けてほしい。

   (二〇一七年八月十日号)


  新潮文庫 
  「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「共産党は人民から食料を収奪しなかった。必ず代金を払って行った。払えない時は借用書を渡して~」と読んだ覚えがありますが、「それホントかなぁ?」と高校時代でさえ思ったし。
 今のあの国を見ると、やっぱりそんな筈はない、と思います。
 それよりも「山東省では共産党政権成立から30年間に217人が皇帝を名乗り出て、~~どの皇帝も捕まって手兵ごと殺された」とか「安徽省でも同時期に80人の皇帝が出(て)~~、みな潰された」という情報の方が、さもあらん、と。
 何しろ「南京大虐殺」ではなく「南京大屠殺」と書くのが普通の感覚の国ですからね。



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふ~む

2022年01月23日 | 心の持ち様
 《「皇帝」の地位も、アノ国ではこんなもの》

 支那の言葉は汚い。文字はもっと汚い。支那学の泰斗、樋泉克夫愛知県立大名誉教授の指摘だ。
 だから見た目の悪い漢字だらけの看板は日本では流行らない。松下電器はパナソニックに、旭光学はペンタックスになった。
 日本人が仮名を創ったのはそれで漢字の羅列の見苦しさを薄められると考えたからだろう。実際、仮名まじりの筆書きは本当に美しい。

 漢字は字面だけでなく表現する内容も汚らしい。
 「易子而食」は「隣の子と我が子を取り換えて食らう」の意味だ。
 易は替えると読む。易姓革命も「天命が改まり新しい皇帝に替わる」という意味だが、内実は易子而食と大差なく汚い。
 革命は治安が乱れ、飢饉が重なり、盗賊が跋扈して何百万もが餓死するか殺される状態が前提になる。
 盗賊の親玉は天命を感じたといって、皇帝を称し、同類を倒していって、ついには現皇帝を殺し、もっと過酷な王朝を建てるのが形だ。

 では、どれだけ死ねば革命になるのか。後漢が滅んで三国志の時代に入ると人口は10分の1に減ったと言われる。
 南北戦争で米国人は4年間で60万も殺した。同じように歯止めを知らない支那人だ。劉備、孫権らが親子二代にわたって殺し合いを続けたなら数百万人の民が殺されたとしてもおかしくはない。
 このときは黄巾の乱が引き金だったが、それから100年後の元朝の末には赤い紅巾の乱が登場する。

 黄巾のときと同じように天下は麻のように乱れ、飢餓で何百万もが死んでいった。革命の機は熟した。白蓮教徒やその他盗賊が皇帝レースに加わって最後は朱元璋が抜け出して明朝を建てた。
 しかし民の苦しみはなお続く。禿の朱元璋は「禿」の字を書いただけで処刑した。3代目の永楽帝はもっと残忍で、儒学者、方孝孺が彼の正統性を認めないと、方の父方も母方もすべての眷属を殺し、さらに友人、知人まで十族すべてをみな殺した。
 
 そんな酷い皇帝でも何百万の民が死ぬ飢餓が伴わない限り革命は起きない。
 ただ、うまくしたものでそんな時は外国勢がやってくる。悪い明王朝を倒したのは満州民族で、民は北京に入る満洲人を歓声をあげて迎えている。

 (続く)


 新潮文庫 
 「 変見自在 習近平は日本語で脅す」
        高山正之著 より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「ふ~む」というのは色々なことから。
 「漢字(真名)」を崩して平易な「仮名」として作られた(というより用いられた)のが「平仮名」、発音記号として漢字の一部を使ったのが「片仮名」で、平仮名は平安期、片仮名に至っては奈良時代末期には既に使われていたと読んだことがある。
 美醜ではなく、必要に迫られてというのが本当のところなんだけど、実は氏の書かれる通り、「本当の本当」のところは、ちゃんと根っこがあって、それはやっぱり美醜なんじゃないか、と思う。美しくなければ廃れてしまう。

 それからもう一つ。
 >そんな酷い皇帝でも何百万の民が死ぬ飢餓が伴わない限り革命は起きない。
 ・・・・ということは?
 確かに「文化大革命」は本当に革命が起きてもおかしくないくらい多くの人が死んだけど、あ、そうか、あの時は党内の反対派を倒した(粛清した)から、あれが革命ということになるか。
 そして今、起きる可能性は?
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶にない

2022年01月22日 | 日々の暮らし
 1月16日(日)

 昨日は酷かった。今日は昨日よりもっと酷い。

 昨晩、夕食を摂り終えたのは9時前だったと思う。やってはならないと思いながら、つい転寝をしてしまう。

 うたた寝をした時点でエスプレッソを淹れて飲んでいるわけだから、意識はある。なにも間違ってない。ポットから湯を入れてインスタントコーヒーを作った、というのなら寝ぼけ眼でもしている。中学生の頃からこれならできる。寝ぼけてるから口の中をやけどする、までがセットだ。

 けど、マキネッタに水を入れ、カートリッジにコーヒーを塩梅能く入れて、ガスボンベに取り付けた携帯用のコンロに火を点け、コーヒーができるまで噴きこぼれることがないか能く観察しなきゃならない、となると寝ぼけ眼じゃできない。それはもう絶大な自信がある。
 現にそれをやって(空焚きじゃない)入ったコーヒーがすっかり蒸発するまで転寝をしてしまい、前のマキネッタをダメにしている。

 酒を飲み、焼酎を飲んでいる途中で肴がなくなり、麻婆豆腐を作った。
 いつも通り豆腐を二丁使ったので「十分。これで肴はある!」と安心して飲んでいたら思ったよりも早く焼酎がなくなった。もう一回6・4で割った焼酎を火にかける、となると確実に飲み過ぎる。ついつい多めになってしまうから。それに燗ができるまで間が空き過ぎて酔いも興も冷める。
 だからと言ってコップで湯割り、というのも、やっぱり結果として多くなるから飲み過ぎる。飲まなきゃ良いようなものだが、そこが酒飲みの卑しいところ。

 「何か良い方法は」と考えた。答えはすぐ見つかった。買い置いてあるサワー缶一本なら、アルコール度も低いし、満足感もあるだろう。

 それでサワー缶を飲み始めたのだが、肴にと作った麻婆豆腐がだいぶ残った時点でサワー缶が空になった。
 「じゃあ、もう一缶」となったら、宿酔いの心配が出てくる。「名残惜しいが今日はこれまで」と潔く(!)やめてコーヒーを淹れた筈なのだが。
 コーヒーを飲んだ覚えがない。

 うたた寝から覚めてしばらくテレビを見ていたら、1時を回ってしまった。
 もうコーヒーを淹れるような時間じゃないから、やっぱり寝るか、と台所に行くと、マキネッタが流しに置いてある。その隣に使ったカップも三つ、置いてある。首を傾げながらコーヒーカップと共に洗い、片付ける。

 何だかキツネにつままれたような気持ちで二階に行くが、酔いはあっても酔眼朦朧、といった感じではなく、転寝のせいで眠気もない。
 それでついネットの記事を見ていたら、気が付けば午前6時前になっていた。慌てて寝て、9時頃に起き、11時頃朝食を摂り、気付けばもう夕方の6時。
 
 ・・・というわけで、記憶にないのはコーヒーを淹れたことだけでなく、日曜の過ごし方もだった、というおそまつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする