CubとSRと

ただの日記

菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。

2024年06月25日 | 日々の暮らし
 6月5日(水)

 5時25分から6時まで散歩。
 あと5分早く出るつもりだったが、どうしたことか今年は玄関脇のアオキの落ち葉が目立つ。玄関から通路周辺に、盛大とまでは行かないけど相当に散らばって、侘しさをはるかに通り越して、うらぶれた雰囲気を醸し出している。
 客の到着を待つ利休が、掃き清めた小路に楓の葉を少し散らしたとか、山里の廃屋かと見えた家のあか棚の菊や紅葉から家主の風雅を思う心を兼好法師が・・・などとは全く重ならない、ただただ「世捨て人のあばら家」。
 
 そんな風にしか見えないのが、何となし気になっていた。
 気になっているのならすぐ片付けりゃ良いようなものだが、この怠け者の家主は数日間ほったらかしにしていた。

 で、AB型の特徴なんだろうか、一旦気になると放って置けなくなる。テストの前になると普段は書きもしない日記を、急に何頁も書いてしまい、疲れ果てて試験勉強をせずに寝てしまう、といった何十年も前からの悪癖を七十を過ぎてもやってしまう。
 つまり・・・。
 一旦出ようと鍵を掛けたのを開錠し、箒を持ち出して玄関周りの掃除を始めた。

 まあ、その割には短時間で落ち葉を掃き集め、通路の脇に掃き寄せることができた。更に「後始末は帰ってから」と尋常な判断をする。
 枯葉の小山を作っただけで散歩に出発。これが5分遅れの内訳。

 昼前。
 昨日届いた用紙を持ってSRの任意保険のお金を振り込みにコンビニへ向かう。その足で「オイル交換後の慣らし運転」という詐欺みたいな名目で衝原湖辺りまで行ってみるつもり。
 
 走り出してからチェック。「保険金振り込みの手順」。
 最近は全て機械相手だから、最初はどうやったら良いのか分からなかったり、表示される文言と手元にある文言とが微妙に食い違っていて疑念が起こったりすることがあったが、流石に「爺さん」という立場を正面に据えて事に当たると、店員は操作の都度に次は何をするかをアナウンスしてくれる。
 まあ、爺さんだから云々ではなく、アルバイト店員としてマニュアルの文言に倣っているらしいのは分かる。だから下手に考えるより言われるがままに操作をする方がことは円滑に運ぶ。

 ただ、最近不都合に感じることもある。本当に全く無駄なく手順を示してくれて、こっちが言われるがままに返事もせず操作をするのならいいのだが、間に少しでも疑問を持って質問をしたり、操作が終わって礼を言ったりすると、店員の動きが停まってしまうということ。
 操作中はこちらがロボットになって返答せず、作業終了後は店員がロボットになって返答しなければ案件は終了、なんてのを理想とするのなら、それはちょっと・・・・。
 脱線した。

 次は振込用紙をウェストバッグに入れた?確かに入れた。
 金額は2万と小銭・・・。財布は?入れた。
 あれ?紙幣は?

 コンビニまで半分以上来て、Uターン。
 

 

 
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譲りたいのはやまやまだけど

2024年06月24日 | バイク 車 ツーリング
 6月4日(火)

 取り置きを依頼したパンを受け取りに行く。
 有馬街道をカブで南下。車の流れは良い。

 天王谷のトンネル辺りから、後ろに付いた軽の距離が近い。
 平野の交差点まで後ろを振り返り「車間距離が近過ぎる」、との意思表示を数十回やる。
 こちらが数回振り返るのに対して一度、くらいの割合でブレーキをかけるらしく、車間距離が時折り空くのが分かる。
 が、一分も経たないうちに近寄って来る。下り坂はどうしても速度が上がってしまう。エンジンブレーキが掛かればいいのだが、この様子からすればAT車だろう。

 今日は流れの良いというほどでもない、いつもの込み具合。
 それでも流れそのものは早いから、曲がりくねった下り坂は車間距離を十分に取って置かなければ追突する。カブのブレーキは軽自動車ほどは利かない。
 この道は小排気量バイクの擦り抜けの名所で、少しでも渋滞すれば路側帯を彼らが通常速度で擦り抜けていく。
 それが常態であって、道の真ん中を車間距離をとって走っているカブは異常な奴、と見えるのだろうか。

 何よりも腹が立つのはずっとライトを点けていることだ。嫌がらせでやってんのかと思ったが、近頃はバイクと同じく車も昼間点灯が奨励されているらしいから敢えてやっているのかもしれない。
 そうだとすると文句を言うわけにもいかないし。

 取り敢えず、停車時に(文句ではなく)言いに行こうかと思うのだが、途中にゴルフ場があるだけのバイパス道路。数十秒停車する可能性のある信号は、平野交差点まで百メートル余りのところだけ。
 つまり、文句を言いに行く(いや、文句じゃない。お願い、だ。)のはそこまで行ってから。あまり意味がないのだけど。
 でも黙ってちゃ、またやられる人が出る。

 遂にそこに来た。が、こういう時に限って信号は「青」。
 とうとう平野の交差点まで来てしまった。ここはいつも数十秒停止することになる。
 「ライトが眩しいですよ」
 と言いに行く。文句ではない。上記の通り、丁寧語。
 運転していた若い女性、そう言うと「えっ?」だって。

 急いで戻り、信号の変わるのに備える。チラっと見たら点いてない。
 元々点けてなかった?被害妄想?んなわけはない。トンネル二カ所で眩しかったからこっちは気になっていたんだから。
 最近の自動的に点灯するシステムで点いたのなら、トンネルを出れば消える筈だが・・・。
 フォグランプ代わりにヘッドライトを点けてた?まさか、ね。
 

 
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98000キロ

2024年06月23日 | バイク 車 ツーリング
 夕方、さて夕食を、と考えた。
 先日の鶏の皮と葱炒めが少し残っている。容れ物を見る。

 肝腎の鶏皮はごく少量。葱の方はすっかり火が通っていて、斜め切りにした原形がなく、見つけるのが大変。
 ごく少量の鶏皮と原形を留めていない葱は数倍の鶏皮からの油(脂?)の中に沈んでいる。
 つまりこのままではおかずにならない。

 ということで買って来ていたモヤシ一袋・絹ごし豆腐一丁を全て放り込み、それでもまだ鶏の脂海に沈没しそうだから豚肉も入れてみた。
 相当に迫力のある厳ついおかずができた。

 夕食の準備にかかる前、ふとSRの走行距離はいくらだったかな、という思いが頭に浮かんだ。もしかして、オイル交換の時期を過ぎてるんじゃないか?
 気になると夕食の準備どころではない。まだ明るい今のうちに見に行こう。

 予想通り。予定の98000キロを数十キロ超えていた。
 この4,5月、結構遠方に何度も行ったからいつの間にか距離が延びていた。早速バイク店に連絡を入れる。
 3000キロ毎だから次回のオイル交換は十万一千キロ。


 遂に10万キロ超え、となる。
 それは何か月先になるか分からないが。
 

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充実した「半日」

2024年06月22日 | バイク 車 ツーリング
 6月3日(月)

 今日は薬が切れるので、病院へ月一回の検診に行く。
 続けて外に出ようと思っていたのでコペンで出るつもり。

 9時の開院に間に合うよう7時半には朝食を終える。
 8時前に後片付けを済ませて「病院は近いのにちょっと早かったかな」、と思いながらも着替えて車を出したのは8時40分過ぎ。
 結局8時50分過ぎ、待合室にいた。他に患者は誰もいない。

 9時半には薬局に行き、薬を受け取る。
 そのまま「再度山(ふたたびさん)ドライブウェイ」に入り、神戸の街へ。

 HY戦争の少し前だろうか、ローリング族がこの道を走り回り、事故が頻発したとのことで、この道は四十年くらい前からずっと「終日二輪通行禁止」。
 なので、十年ほど前までは(バイクしか乗ってなかったから)全く通る機会のない道だった。
 車に乗るようになってから時々通るようになったのだが、「ドライブウェイ」という名称と現実がなかなか重ならない。「ドライブウェイ」というより、ここは「登山道」だ。

 ペーパードライバーだった十年前、名前だけ知っていたこの道に初めて入った時は「よくもまあこの道をドライブウェイなどと言ったもんだな」と呆れ返ったことを覚えている。
 「六甲山ドライブウェイ」だって大概だと思うけれど、再度山の方は有馬の湯へ行く客が籠で行き来するためだけに切り拓かれた道だったんじゃないかと思ったぐらい。

 ほぼ初心者のへたくそなドライバーだから、高低差のある狭くて曲がりくねった道は「いつ脱輪するか」「いつ側壁を擦るか」と心配ばかりで、やっとのことで街中(それは突然やって来る!)に出るまでは「駆け抜ける歓び」なんて欠片もなかった。BMWじゃなくてダイハツだったけど。
 十年経った今はもう慣れてるかというと、今度は高齢者ドライバーだから、情況はあまり変わってない。

 珈琲店に行き、ロブスターを一杯。豆を二種、各百グラム。
 で、帰り掛け、今度は西回りでひよどり台へ行って玉葱を買って・・・・。


 家に帰り着いたけど、まだ10時半!
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血眼その後

2024年06月21日 | 日々の暮らし
 6月2日(日)

 また書き忘れていた。
 5月30日夕方に気が付いた白眼の血眼(変な言い方)は、翌31日には少し薄くなったものの、まだまだはっきり血眼。
 だが6月1日(土)、三日目になると全体の赤さはほとんどなくなって、ただ赤い線状降水帯のような模様が残るだけになった。
 とは言え、初めて見る人ならギョッとするだろう程度の「眼球隈取り」状態。
 それが6月2日今日、それも今朝。鏡を見たら隈取模様も薄れて、まあ、年寄りの普通の目になっていた。

 昔習った覚えがあるのだけれど、内出血が治る(治る仕組み)というのは早い話、出血部位の周辺の細胞が血を吸収してしまうということなのだそうだ。
 まあ、「吸収する」と言っても公金チューチューみたいな犯罪行為に近いものではなく(あれ(公金チューチュー)は犯罪とは言い切れない、でも国民の信頼を裏切っているのだから犯罪的行為なのだけれど。ただ、社会の仕組みを国民が理解してないということも問題ではある。何かにつけて「我々の税金がー」という奴ほど税金を払っていない)浸透圧の関係なのだと思う。
 出血部位の圧力が高いから少しでも圧力の低いところに血の「圧」がかかる。「水は低いところに流れる」というやつ。
 周辺の細胞としてはそれを拒否することは出来ない。自身が壊滅しない範囲で受け入れるしかない。受け入れられなかった血は細胞壁の外に留まり続けるしかない。留まり続けるものが「入れ墨」、ということになるのだろうか。
 
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