今回の「音楽・BGM」カテゴリーの投稿は普段とは少し異なる内容となっている。主題としているのは、好きな作曲家やソリストの事ではなく、僕が最近気になっている音楽家の人生に関わることである。
主人公は マックス・ブルッフ。正確なフルネームは長くなるが、マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ Max Christian Friedrich Bruch,(1838年 プロイセン王国、ケルン生れ - 1920年 ドイツ、ベルリン没)ドイツの作曲家、指揮者、教育者である。特に作曲には若いころから才能を示し、その作品は日本でもコンサートでの演奏やレコーディングされた国内盤CDとしても発売されている「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」、管弦楽のための「スコットランド幻想曲」、チェロと管弦楽のための名曲「コル・ニドライ」などの曲が知られている。特に初めの「ヴァイオリン協奏曲第1番」に関してクラシックの研究者の間では、べートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、シベリウスの「4大ヴァイオリン協奏曲」のうちどれか1曲を省いても入れてしかるべきだと言われるほどの名曲とされている。
ブルッフ作品全体に流れる第一番の大きな特徴はその「旋律性」だと言われている。ブルッフは魅力的で印象に残る旋律を生み出すことに長けていたので、その多くの作品を聞き手にとって親しみやすいものにしている。そして生前の発言の中で「旋律は音楽の魂である」「旋律を歌うのに向いていないピアノにはさほど興味が持てない」などと言っていたようだ。
もう一つの特徴としては、民族音楽への傾斜である。ヨーロッパのさまざまな国に伝わる民族音楽に興味を持ち、前期の「スコットランド幻想曲」や「コル・ニドライ」などの民族色の濃い作品を生み出した。そして当時のクラシック界では、ブラームスの「ハンガリー舞曲集」やドヴォルザークの「スラヴ舞曲集」がヒットし、ブームとなったことから、出版社に要望されたこともあり「スウェーデン舞曲集」「ロシア舞曲集」などの作品を書きあげ、民族音楽的題材の作風で、その名声を高めた。
ただ、僕がブルッフに興味を持ったのは、その音楽的特徴ではなく、この実力派の音楽家が多くの名曲を生み出しながら長い間、冷遇され続けてきた点であった。「ドイツ後期ロマン派、最後の音楽家」などとも呼ばれ、同時代のヨハネス・ブラームスの親友であり、良きライヴァルでもあった。そして経歴を調べてみるとゾンダースハウゼン宮廷楽長、イギリス・リヴァプール・フィルハーモニー首席指揮者、プロイセン芸術アカデミー作曲部長など華々しい役職を歴任している。作品も前記し、よく知られた有名曲以外にも、残り2曲のヴァイオリン協奏曲、3曲の交響曲、そして変化に富んだ室内楽曲の数々、声楽では合唱曲やオペラなど、どのジャンルをとっても高いレベルの名曲が残されている。そして弟子としてはレスピーギや山田耕筰などの名前をみつけることもできる。それなのに何故? 何故?一部の作品を除いて急速にその存在を忘れ去られ、長く冷遇され続け、演奏もされずに近年まで復権されなかったのだろうか? 今、僕にとってここに興味の点が集中しているのである。
その理由としていくつかが専門筋の間では語られてきたようだ。以下に列挙してみよう。
① その音楽性が旋律性重視など、ロマン派の中でも古典主義的な性格が強く、特に晩年には時代遅れとなってしまったこと。
② フランツ・リストやリヒャルトワーグナーなど「新ドイツ楽派」に明らかな敵意をいだいていたこと。
③ 当時の新しい世代の音楽家であるR・シュトラウスやマックス・レーガーらに対して激しい攻撃を加え、反動家としての悪評が広まったこと。
④ ユダヤの題材を用いた作品で成功をおさめたことで、ナチス時代にユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、上演禁止となったこと。
もう一つは僕の想像だが、
⑤ 1944年の大戦末期、西からアメリカ、イギリス軍、東からソ連軍の攻撃を激しく受けたドイツ本土、特にベルリンは焦土と化し崩壊したことからスコアの多くが焼失、紛失してしまったのではないか。
しかし①などは、さまざまな時代の中でよくあったことであろうし、②③も芸術的表現の見解の違いというのはなにも音楽に限らず文学や美術の世界ではよくあること。④はその後、本人や残された家族、親類が否定していて根拠がないものとなっている。⑤は僕自身の妄想である。いずれにしても、どれもブルッフの名曲の数々が封印されていた決定的な原因とはならないのではないだろうか? なにか他にもっと大きな理由があるような気がしてならないのだが。ブルッフというこの才能豊かな音楽家は僕にとって日増しに謎の多い「伝説の人」となってきている。
ただ幸いにも近年、本国ドイツを中心にヨーロッパ各地のクラシック界では「ブルッフ再評価」の動きが活発になってきていて、作品の演奏やレコーディングが増えつつもある。日本ではCDなども限られた曲の録音であるが、輸入盤などでは、あまり知られていないジャンルの作品が入手できるのもありがたい。微々たる歩みではあるが、ブルッフの美しい旋律を持つ名曲の数々に耳を傾けながらこれから先、「伝説の人」の謎に迫っていきたいと思っている。画像はトップがブルッフの肖像写真。下が肖像写真もう一枚と国内盤、輸入盤CDのジャケット6カット。
主人公は マックス・ブルッフ。正確なフルネームは長くなるが、マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ Max Christian Friedrich Bruch,(1838年 プロイセン王国、ケルン生れ - 1920年 ドイツ、ベルリン没)ドイツの作曲家、指揮者、教育者である。特に作曲には若いころから才能を示し、その作品は日本でもコンサートでの演奏やレコーディングされた国内盤CDとしても発売されている「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」、管弦楽のための「スコットランド幻想曲」、チェロと管弦楽のための名曲「コル・ニドライ」などの曲が知られている。特に初めの「ヴァイオリン協奏曲第1番」に関してクラシックの研究者の間では、べートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、シベリウスの「4大ヴァイオリン協奏曲」のうちどれか1曲を省いても入れてしかるべきだと言われるほどの名曲とされている。
ブルッフ作品全体に流れる第一番の大きな特徴はその「旋律性」だと言われている。ブルッフは魅力的で印象に残る旋律を生み出すことに長けていたので、その多くの作品を聞き手にとって親しみやすいものにしている。そして生前の発言の中で「旋律は音楽の魂である」「旋律を歌うのに向いていないピアノにはさほど興味が持てない」などと言っていたようだ。
もう一つの特徴としては、民族音楽への傾斜である。ヨーロッパのさまざまな国に伝わる民族音楽に興味を持ち、前期の「スコットランド幻想曲」や「コル・ニドライ」などの民族色の濃い作品を生み出した。そして当時のクラシック界では、ブラームスの「ハンガリー舞曲集」やドヴォルザークの「スラヴ舞曲集」がヒットし、ブームとなったことから、出版社に要望されたこともあり「スウェーデン舞曲集」「ロシア舞曲集」などの作品を書きあげ、民族音楽的題材の作風で、その名声を高めた。
ただ、僕がブルッフに興味を持ったのは、その音楽的特徴ではなく、この実力派の音楽家が多くの名曲を生み出しながら長い間、冷遇され続けてきた点であった。「ドイツ後期ロマン派、最後の音楽家」などとも呼ばれ、同時代のヨハネス・ブラームスの親友であり、良きライヴァルでもあった。そして経歴を調べてみるとゾンダースハウゼン宮廷楽長、イギリス・リヴァプール・フィルハーモニー首席指揮者、プロイセン芸術アカデミー作曲部長など華々しい役職を歴任している。作品も前記し、よく知られた有名曲以外にも、残り2曲のヴァイオリン協奏曲、3曲の交響曲、そして変化に富んだ室内楽曲の数々、声楽では合唱曲やオペラなど、どのジャンルをとっても高いレベルの名曲が残されている。そして弟子としてはレスピーギや山田耕筰などの名前をみつけることもできる。それなのに何故? 何故?一部の作品を除いて急速にその存在を忘れ去られ、長く冷遇され続け、演奏もされずに近年まで復権されなかったのだろうか? 今、僕にとってここに興味の点が集中しているのである。
その理由としていくつかが専門筋の間では語られてきたようだ。以下に列挙してみよう。
① その音楽性が旋律性重視など、ロマン派の中でも古典主義的な性格が強く、特に晩年には時代遅れとなってしまったこと。
② フランツ・リストやリヒャルトワーグナーなど「新ドイツ楽派」に明らかな敵意をいだいていたこと。
③ 当時の新しい世代の音楽家であるR・シュトラウスやマックス・レーガーらに対して激しい攻撃を加え、反動家としての悪評が広まったこと。
④ ユダヤの題材を用いた作品で成功をおさめたことで、ナチス時代にユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、上演禁止となったこと。
もう一つは僕の想像だが、
⑤ 1944年の大戦末期、西からアメリカ、イギリス軍、東からソ連軍の攻撃を激しく受けたドイツ本土、特にベルリンは焦土と化し崩壊したことからスコアの多くが焼失、紛失してしまったのではないか。
しかし①などは、さまざまな時代の中でよくあったことであろうし、②③も芸術的表現の見解の違いというのはなにも音楽に限らず文学や美術の世界ではよくあること。④はその後、本人や残された家族、親類が否定していて根拠がないものとなっている。⑤は僕自身の妄想である。いずれにしても、どれもブルッフの名曲の数々が封印されていた決定的な原因とはならないのではないだろうか? なにか他にもっと大きな理由があるような気がしてならないのだが。ブルッフというこの才能豊かな音楽家は僕にとって日増しに謎の多い「伝説の人」となってきている。
ただ幸いにも近年、本国ドイツを中心にヨーロッパ各地のクラシック界では「ブルッフ再評価」の動きが活発になってきていて、作品の演奏やレコーディングが増えつつもある。日本ではCDなども限られた曲の録音であるが、輸入盤などでは、あまり知られていないジャンルの作品が入手できるのもありがたい。微々たる歩みではあるが、ブルッフの美しい旋律を持つ名曲の数々に耳を傾けながらこれから先、「伝説の人」の謎に迫っていきたいと思っている。画像はトップがブルッフの肖像写真。下が肖像写真もう一枚と国内盤、輸入盤CDのジャケット6カット。