昨日は寒さが強くて 何度も雪が舞いました。
上の写真は、そんな雪の中でもしっかりと咲いていた サクランボの実る種類のサクラです。
今日の東北はどんなお天気なのでしょうか?
あの日から欠かさずに拝見してきた、宮古の漁師のheiunさんのブログです。
震災後の厳しい生活の毎日を欠かさずに記録され、発信を続けてこられたこの日記「漁師の徒然なるブログ」
ここからどれだけの元気を頂いたことか!
heiunさんは、いつもご自分を励まされ、震災後も避難所から漁に出ておられました。
「とにかく一日一日をがんばるしかない」と、
「宮古の漁業のためにもがんばらなくては」と・・・
そして4年。
今日のブログ記事は、拝見するだけで涙がこぼれました。
この方が、ここまで深い悲しみを表現されたのは、初めてではないかと思います。
今まで、ガチガチに心を締め付けて、苦しい気持ちを胸の奥深くに閉じ込めていた太い鎖が、ほんの少しだけ緩められて、文章に表現できるようになられたのかなぁ・・・とふと感じました。
悲しみは消えることは無いでしょう。
私たちも忘れ去るなんてことは絶対にありません。
少しは心が晴れる日があっても
悲しみは執拗に なんども押し寄せては
もう出ないと思っていた涙を絞り出させます
でも、暗い雲に覆われて何も見えなかった心にも、お日さまの光がさしこむ時間は、時の経過共に必ず増えていきます。
ほんの少しずつかもしれないけれど。
そしてそれは、忘れるということとは違うけれども・・・・
まだ若い頃に、突然に愛する人と死別して、その死の原因のひとつが私にもあったような気がして、苦しみと悲しみを何十年も抱えてきた私にも、そんな経験があります。
決して、無責任に励ましているのではありません。
道端の土管の下のわずかな土に、アリが運んだタネが落とされて、雨のしずくとお日さまの光に励まされつつ、きれいな花を咲かせました。
上の写真は、そんな雪の中でもしっかりと咲いていた サクランボの実る種類のサクラです。
今日の東北はどんなお天気なのでしょうか?
あの日から欠かさずに拝見してきた、宮古の漁師のheiunさんのブログです。
震災後の厳しい生活の毎日を欠かさずに記録され、発信を続けてこられたこの日記「漁師の徒然なるブログ」
ここからどれだけの元気を頂いたことか!
heiunさんは、いつもご自分を励まされ、震災後も避難所から漁に出ておられました。
「とにかく一日一日をがんばるしかない」と、
「宮古の漁業のためにもがんばらなくては」と・・・
そして4年。
今日のブログ記事は、拝見するだけで涙がこぼれました。
この方が、ここまで深い悲しみを表現されたのは、初めてではないかと思います。
今まで、ガチガチに心を締め付けて、苦しい気持ちを胸の奥深くに閉じ込めていた太い鎖が、ほんの少しだけ緩められて、文章に表現できるようになられたのかなぁ・・・とふと感じました。
悲しみは消えることは無いでしょう。
私たちも忘れ去るなんてことは絶対にありません。
少しは心が晴れる日があっても
悲しみは執拗に なんども押し寄せては
もう出ないと思っていた涙を絞り出させます
でも、暗い雲に覆われて何も見えなかった心にも、お日さまの光がさしこむ時間は、時の経過共に必ず増えていきます。
ほんの少しずつかもしれないけれど。
そしてそれは、忘れるということとは違うけれども・・・・
まだ若い頃に、突然に愛する人と死別して、その死の原因のひとつが私にもあったような気がして、苦しみと悲しみを何十年も抱えてきた私にも、そんな経験があります。
決して、無責任に励ましているのではありません。
道端の土管の下のわずかな土に、アリが運んだタネが落とされて、雨のしずくとお日さまの光に励まされつつ、きれいな花を咲かせました。
被災地の方々の辛すぎる思いを乗り越えて
今、本当に涙が出ます
軽々しくわかるなんて言えない私
言葉が見つかりません
heiunさんは、ご家族はご無事でしたが、漁に使っておられたオフね以外のものは、すべて綱身にさらわれ、「ゼロからではなく、マイナスからのスタート」と表現されていました。
一家の主として、よくここまで・・・とその道のりを思い出すたびに、私も胸が痛くなります。
被災地の皆さんは、ほんとうによくがんばっておられます。
私たちにできることは、いつまでも祈り続けることだけかもしれません。
その大きさは皆それぞれなので言葉で表しようがありませんが、心に深く刻まれていますよね。
私はまだ13年前に病気で他界した姉のことでいろいろと考えて堂々巡りに陥って、何も手につかなくなる時があります。病気で失っても、こういうことがあるのに、突然、家族や大切な方を奪われ、故郷も思い出も失った方の気持ちはどれほどのものか想像もつきません。
傷は癒えなくても立ち上がる人間の強さを感じさせられます。
私も、友を失ってずっと心に中に抱いて生きていましたが、本当の意味でその死を受け容れられたのは、じつに40年後でした。
そのあたりのことは、いずれまた書こうと思っていますが。
悲しくても苦しくても、生かされている命は生きねばなりませんものね。
辛いことですが・・・
深い悲しみや苦しみを経験されてる方々のお言葉ほど、琴線に常に響いてきます。
これほどまでの深い悲しみを味わったことのない者が言うのはなんですが、
悲しさや苦しさと真剣に向き合い続けるということがどれだけ大変なことか……
思いを馳せるだけでも息が止まります。
ようやく4年…と発される被災地の方々に平伏す思いです
今年こそは、東北に足を運びたいと思っています!
まだまだ復興と言うには程遠い地区が多いようです。
実際に見たら、写真で見ているのとは全然違うと、逝ってきた人はみなさんおっしゃいます。
よかったら感想を教えてくださいね。