モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

若葉の頃。コシアブラとウドの季節へ。たわわに咲いた八重桜を摘んで塩漬けに(妻女山里山通信)

2014-04-29 | アウトドア・ネイチャーフォト
 花粉が飛ばない朝を選んで椎茸のホダ木に灌水に行きました。曇り空ですが、低気圧の移動がゆっくりで日中の雨はありませんでした。種蒔きしたばかりなので、まとまった雨が欲しいところ。しかし、この埴科は瀬戸内海と並んで、日本で最も降水量の少ないところなのです。子供時代を振り返っても、雨で遠足や運動会が中止になった記憶がありません。最低気温が上がったせいか、自律神経失調症はだいぶ良くなってきましたが、指先の痺れがなかなか消えず、キーボードのミスタッチが多くて閉口しています。まあ、ただ単にブラインドタッチが下手なだけかもしれませんが(笑)。
 今回、リンクをたくさんしてありますが、右クリックで別タブか、別ウィンドウで開いて見ると元記事が消えないので便利です。

 長坂峠へ登って行くとカスミザクラが満開。林道は花吹雪の絨毯でした。樹下にはムラサキケマンが咲き乱れていました。毒草なのですが、氷河期の生き残りといわれるウスバシロチョウ(ウスバアゲハ)の幼虫の食草なのです。彼らが舞い始めるのも、まもなくです。

 陣場平の貝母の脇にはオオヤマザクラ(ベニヤマザクラ)が満開です。周囲の木々の若葉もずいぶんと大きくなってきました。若葉の頃といえば、映画『小さな恋のメロディ』で、ビージーズが歌った「若葉の頃(First of May)」を思い出す方も多いのではないでしょうか。ロンドンに降り立ったのは、この映画が封切られた5年後でした。ちょうどイースターの休暇中で、ロンドンの郊外では桜が満開でした。日本と違ってこっちの桜はいつまでも咲いているのよ、と言った当時付き合っていたピアニストの彼女の言葉を思い出しました。「若葉の頃」は、もちろんビージーズがヴァーチュオーゾでしょうが、個人的にはサラ・ブライトマンのものが好きです。本当に切なく、過ぎ去った思春期が愛しくなります。でもこれって第二次反抗期の話でもあるのですよね。そこが面白い。
 サラ・ブライトマンといえば、やはりアンドレア・ボチェッリとの「Time to say Goodbye(君と飛び立とう)」ですね。5000万回を超えるアクセスが、その素晴らしさを静かに物語っています。
 初恋を覚えていますか? ラストシーンに流れた名曲「CSNY - Teach Your Children (with lyrics), Melody 1971 」クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング。やはり最高です。二人がトロッコで逃げていくラストシーンで咲いているピンクの花は、ヤナギランですね。英国では原っぱの花ですが、日本では高原の花です。真夏の菅平などのスキー場などに咲き乱れています。山火事の跡に最初に群生するため英名はFireweed(火の草)。

 ズミ(酢実)の花も満開です。昔は林檎の台木として使われた樹です。妻女山山系には密集はしていませんが、あちこちに見られます。別名は、コリンゴ(小林檎)・コナシ(小梨)・ミツバカイドウ(三葉海棠)。実は小さな林檎のような桜ん坊の様な形をしていますが、美味しくはありません。

 貝母(編笠百合)も、蕾が全て開きました。今年も人知れず咲き、人知れず消えていきます。自然というのは誰に媚びることもなく、潔いものです。貝母の間に育つ蕗の葉が大きくなってきました。あと一週間ほどでキャラブキに丁度いい大きさになるでしょう。この蕗は皮をむく必要がありません。一度茹でこぼして出汁と一緒に薄味で煮込みます。これも大切な山の恵みなのですが、放射能汚染されていたら食べられません。原発は日本の食文化を根底から破壊しました。金のために再稼働を叫ぶ狂人達に、この国は支配されているという狂気。いくらお金があってもあの世には一円も持っていけないというのに。人はお金では幸せにはなれません。

 随分前に打ち捨てられてもう出なくなっていたホダ木の脇を通ったら、なんと椎茸がニョキニョキ。20個近く採れました。こんなこともあるのです。現在、原木シイタケは信州でもほとんど流通していません。原木のほとんどが福島産だったこともあるのでしょう。そんなわけで、我々妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々は、汚染されていない地元のコナラを伐採し、2000個の種駒を打ち込みました。
 山菜は、タラの芽、ハリギリが終わりを迎え、ウドやコシアブラに移ってきました。ワラビは少しずつ標高を上げながら7月まで長い期間採れます。山菜は、木の芽時の弱った体を強くする抗酸化作用があるのですが、反面放射性物質を非常に溜めやすいのです。汚染地のものは絶対に食べてはいけません。産地偽装して売られているという情報も掴みました。自分で採ったもの以外はとても食べる気にはなりません。

 帰りに八重桜の花を摘みました。塩漬けにします。少し梅酢も入れます。桜茶、桜餅、桜飯。アンパンのヘソの塩桜は懐かしいですね。「これが日本だ、私の国だ( 五つの赤い風船 / 遠い世界に )」なのですが、そういう文化を根こそぎ破壊したのが原発です。いずれ分かります。2016年のパンデミック。2017年の大崩壊。チェルノブイリで、既にそれは証明されています。チェルノブイリ3年後のノルウェーで人々に聞いた衝撃の話を、私は忘れることは決してありません。情報弱者と安全バイアスにかかった人々が、間違いなく犠牲になるのです。「若葉の頃(First of May)」に戻りますが、[time has passed us by](時は私達を通り過ぎていった)という歌詞があります。「時間が過ぎていくのではない、我々が過ぎ去っていくのだ」という西洋の古い言葉を思い出さずにはいられません。ただ、過ぎ去る前にやるべきことはあるはずです。命をかけてでも…。

★妻女山SDPは、私がうちの山から始めた里山再生と活用の「里山デザイン・プロジェクト」の一環です。除伐から初めて、里山の保全だけでなく、植生や動物、菌類の調査と保護から、山菜やキノコ栽培、アウトドアスポーツから歴史探索までと、里山に関するありとあらゆることを総合的にデザインしていこうという試みです。
★妻女山SDPの活動については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】のトップページの、インデックスの一番下に1から12までをリンクしてあります。番号を順にクリックしてご覧ください。


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