あいにくの天気だった三連休を利用して、スライドショーを3本作りました。BGMは、ガレージバンドで作ったオリジナル曲。最初の金太郎伝説の大姥山は、旧八坂村と信州新町の境にある標高1003mの里山ですが、鎖場が18本も続くという険しい山。標高が上がるに連れて色づく紅葉が見どころです。そして、金太郎の母、大姥と金太郎が住んでいたという大穴も見逃せない場所。立派な廃屋もあり、かつては都会などよりずっと豊かだった暮らしが想像できます。ヒカゲツツジの京ヶ倉が、有名になり首都圏からも登山客が訪れるようになりましたが、この大姥山もそれに勝るとも劣らない魅力を備えています。
2014年[MORI MORI KIDS Nature Slideshow]2014.2014.10.19
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。廃道になっている遊歩道を使うとループコースが組めますが、自己責任でお願いします。コンパスと地形図は必須です。あればGPSも。もちろん熊鈴も。
次は、2014年のゴールデンウィークに登った大林山。上田市、筑北村、千曲市、坂城町に跨る大きな山体と山頂からのほぼ360度の大展望が魅力の里山です。地味な山なんですが、ネットで調べたのか、県外からの登山者も増えているようです。何と言っても北アルプスのスカイラインが見事です。山菜天ぷらを堪能しました。
2014年5月4日の大林山トレッキング
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。こちらもバリエーションルートは、自己責任でお願いします。こちらもコンパスと地形図は必須です。あればGPSも。
信州の春は、梅、杏、桜、山桜、桃、林檎と一気に咲き乱れて過ぎて行きます。信州の春は短いのですが、その咲き乱れる様は、正に桃源郷。杏の里の由来は、色々あるようです。千曲市の「杏都(きょうと)」から引用させて頂きました。おそらく、戦国時代にはもう入っていた様です。それを松代藩が普及させたということなのでしょう。また、この地は古代科野国の創世の場所であることも記さないといけません。訪れたら、必ず森将軍塚古墳と古墳館には必ず立ち寄っていただきたい。杏の花の花期は短く、毎年異なります。千曲市のサイトで開花状況を確認して、訪れるのがおすすめです。また、収穫期も見逃せません。
◆
あんずの里の由来については、松代藩主真田幸道侯の夫人が故郷の伊予宇和島から苗木を取り寄せて植えたとする説が有名ですが、『杏花の里―信州・森のあんず―』(銀河書房、昭和59年刊)では次のように記述しています。
「杏は古来より植えられていたので、森・倉科のみならず、広く川中島一帯に、早くから半自生的にあったものと考えられる。そのため、あんず伝来についても、次のような諸説があるのは当然といえよう(久保有得「杏の里のあゆみ」『ちょうま』第3号、明治以降についても前掲書による)。
(1)天文年間(西暦1532~1554年)
石川某により渡来せしといい伝えられた。「からもも」といい中国から輸入された。
(2)弘治二年(西暦1556年)
武田晴信に滅ぼされた窪寺平治右衛門が、安茂里の久保寺山中に居城を築造したとき植えたのが始まり。
(3)永禄五年(西暦1558年)
武田氏に滅ぼされた小柴見宮内が同村(安茂里)小柴見字裏沖に植えつけ、さらに息子の朝日右近が平柴の居城に植えつけたのが始まり。
(4)慶長三年(西暦1598年)
松代城主松平忠輝が越後高田を合わせて領主した時代、松代城代花井主水が川中島平の治水、裾花川の改修にあたり、この一帯に植えつけ、森に次ぐとして、亜森―安茂里と命名したのが始まり。
(5)天和年間(西暦1681~1683年)
松代藩主第三代真田幸道夫人、伊予宇和島より輿入れる際、故郷の春を永く忘れじとして国許より杏の苗木を取り寄せ植えつけたのが始まり。
これらの諸説について検討することは、史料の制約からできないが、現在みるような杏は、多分戦国時代の終りごろから、江戸時代前期にかけて伝来されてきたものであろう。これが、松代藩における杏栽培の契機になっていったものと考えられる。
◆
◉1920×1080のハイビジョンなので、パソコンのスペックに余裕のある方は、ぜひHDフルスクリーンで御覧ください。
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。これは2009年のルポです。
◉【信州の里山】森のあんずのスライドショーは、2012年、2011年、2010年、2009年もあります。合わせて御覧ください。毎年、その表情が少しずつ違うのです。
「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」(長雨に桜花の色は移ろい、私自身もつまらない物思いにふけっているうちに盛りの時を過ごしてしまった):小野小町 杏の花は桜よりも儚いのです。
★古代科野国古墳巡りルポ
08/08/10 森将軍塚古墳・大室古墳群ルポ
08/12/13 堂平大塚古墳・斎場山古墳・土口将軍塚古墳ルポ
09/04/09 森の春のあんず祭(古墳遠望)
そして、夏に息子達と登った蓼科山のトレッキング・フォトルポをアップしました。苔と岩だらけの山登りを御覧ください(笑)。蓼科神社里宮と立川流の木彫がある南嶽山光徳寺も。
2014年[MORI MORI KIDS Nature Slideshow]2014.2014.10.19
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。廃道になっている遊歩道を使うとループコースが組めますが、自己責任でお願いします。コンパスと地形図は必須です。あればGPSも。もちろん熊鈴も。
次は、2014年のゴールデンウィークに登った大林山。上田市、筑北村、千曲市、坂城町に跨る大きな山体と山頂からのほぼ360度の大展望が魅力の里山です。地味な山なんですが、ネットで調べたのか、県外からの登山者も増えているようです。何と言っても北アルプスのスカイラインが見事です。山菜天ぷらを堪能しました。
2014年5月4日の大林山トレッキング
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。こちらもバリエーションルートは、自己責任でお願いします。こちらもコンパスと地形図は必須です。あればGPSも。
信州の春は、梅、杏、桜、山桜、桃、林檎と一気に咲き乱れて過ぎて行きます。信州の春は短いのですが、その咲き乱れる様は、正に桃源郷。杏の里の由来は、色々あるようです。千曲市の「杏都(きょうと)」から引用させて頂きました。おそらく、戦国時代にはもう入っていた様です。それを松代藩が普及させたということなのでしょう。また、この地は古代科野国の創世の場所であることも記さないといけません。訪れたら、必ず森将軍塚古墳と古墳館には必ず立ち寄っていただきたい。杏の花の花期は短く、毎年異なります。千曲市のサイトで開花状況を確認して、訪れるのがおすすめです。また、収穫期も見逃せません。
◆
あんずの里の由来については、松代藩主真田幸道侯の夫人が故郷の伊予宇和島から苗木を取り寄せて植えたとする説が有名ですが、『杏花の里―信州・森のあんず―』(銀河書房、昭和59年刊)では次のように記述しています。
「杏は古来より植えられていたので、森・倉科のみならず、広く川中島一帯に、早くから半自生的にあったものと考えられる。そのため、あんず伝来についても、次のような諸説があるのは当然といえよう(久保有得「杏の里のあゆみ」『ちょうま』第3号、明治以降についても前掲書による)。
(1)天文年間(西暦1532~1554年)
石川某により渡来せしといい伝えられた。「からもも」といい中国から輸入された。
(2)弘治二年(西暦1556年)
武田晴信に滅ぼされた窪寺平治右衛門が、安茂里の久保寺山中に居城を築造したとき植えたのが始まり。
(3)永禄五年(西暦1558年)
武田氏に滅ぼされた小柴見宮内が同村(安茂里)小柴見字裏沖に植えつけ、さらに息子の朝日右近が平柴の居城に植えつけたのが始まり。
(4)慶長三年(西暦1598年)
松代城主松平忠輝が越後高田を合わせて領主した時代、松代城代花井主水が川中島平の治水、裾花川の改修にあたり、この一帯に植えつけ、森に次ぐとして、亜森―安茂里と命名したのが始まり。
(5)天和年間(西暦1681~1683年)
松代藩主第三代真田幸道夫人、伊予宇和島より輿入れる際、故郷の春を永く忘れじとして国許より杏の苗木を取り寄せ植えつけたのが始まり。
これらの諸説について検討することは、史料の制約からできないが、現在みるような杏は、多分戦国時代の終りごろから、江戸時代前期にかけて伝来されてきたものであろう。これが、松代藩における杏栽培の契機になっていったものと考えられる。
◆
◉1920×1080のハイビジョンなので、パソコンのスペックに余裕のある方は、ぜひHDフルスクリーンで御覧ください。
◉詳しい情報は、こちらのトレッキング・フォトレポートを御覧ください。これは2009年のルポです。
◉【信州の里山】森のあんずのスライドショーは、2012年、2011年、2010年、2009年もあります。合わせて御覧ください。毎年、その表情が少しずつ違うのです。
「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」(長雨に桜花の色は移ろい、私自身もつまらない物思いにふけっているうちに盛りの時を過ごしてしまった):小野小町 杏の花は桜よりも儚いのです。
★古代科野国古墳巡りルポ
08/08/10 森将軍塚古墳・大室古墳群ルポ
08/12/13 堂平大塚古墳・斎場山古墳・土口将軍塚古墳ルポ
09/04/09 森の春のあんず祭(古墳遠望)
そして、夏に息子達と登った蓼科山のトレッキング・フォトルポをアップしました。苔と岩だらけの山登りを御覧ください(笑)。蓼科神社里宮と立川流の木彫がある南嶽山光徳寺も。