雨が降ったので仲間と栽培している椎茸を見に行きました。原木椎茸のホダ木の生産地が福島だったため、全国の産地のものが放射能汚染されました。そこで、自分達でここなら安全だろうと思われるコナラを伐採し(もちろん持ち主に許可を得てあります)、種駒を打ったのが二年前でした。今年の春頃から椎茸が出始め、今回も30本ほど採れました。
肉厚の椎茸があちこちに。一時期、天敵のゴムタケが発生したのですが、その度に丹念に取り除いたため大きな被害には至りませんでした。これらの椎茸は、皆でバーベキューや鍋をやる以外は全て干し椎茸にします。
森の中で山桜の倒木に平茸を発見。びっしりと出ていましたが老菌が多く、食べられるものはわずかでした。食べられるキノコでも、老菌を食べるとお腹を壊します。
昨年は、11月13日に初雪が降りました。それでも例年より寒くなるのが遅かったのですが、今年は更に遅く、山にはまだあちこちに緑が残っています。それでもやっと落葉松の黄葉も始まりました。初氷も張りました。
陣場平のクマノミズキもまだ緑の葉が残っています。私はクマノミズキを森の珊瑚と呼んでいるのですが、真ん中の写真を見ると、それがよく分かると思います。花が咲いているときは緑色なのですが、果実がなる頃に赤色化してきます。花は昆虫たちが盛んに吸蜜に訪れ、果実は野鳥たちが食べに来ます。
最後は信濃柿(豆柿・琉球豆柿)です。実の直径は2センチほど。柿渋を採るために栽培もされてきましたが、これは野生のものです。私もこれで柿渋を作ってあります。実は、落下すれば狸などの餌になります。しないものは木になったまま干し柿になります。渋柿なんですが、干し柿になると甘くなり美味しいんです。
松枯れ病対策で伐採され、積み上げられた赤松の丸太の裏に妙なものを見つけました。表面は銀色に輝いています。触ると柔らかくプニョプニョしています。そっと取ると裏はこんなです。破いてみると中はコーヒー色です。粘菌(変形菌)のマンジュウホコリです。破れたものを持ち帰り、翌日見るとチョコレート色に変色し、かなり固くなっていました。毒性はないだろうと、ちょっと舐めてみましたが無味無臭でした。。粘菌は、昆虫の幼虫や小さな甲虫、カタツムリの幼生やキセルガイのエサになるようです。
鮮やかなヌルデの紅葉。ウルシ科ですが、これでかぶれたという話は聞いたことがありません。真ん中は色づき始めた榎の葉。オオムラサキの幼虫の餌になります。現在、オオムラサキの幼虫は、この樹の下の落ち葉の中にいて越冬します。
小春日和(Indian Summer)の穏やかな日には、この蛾が明るい林床をたくさん舞っています。晩秋や冬に成虫が発生するシャクガ科の総称をフユシャク(冬尺蛾)といいますが、これはイチモジフユナミシャク(Operophtera rectipostmediana)のオスです。メスは、全く違う姿をしていて飛べません。成虫は口吻がなく羽化してから全く食べ物を食べずに一ヶ月ほど生きるのです。シャクガの幼虫は、尺取り虫で、イギリスではLooper(輪を作るもの)、アメリカではInchworm(インチを測る虫)と呼ばれます。尺取り虫の歩き方は、まさに長さを測るような動きです。
昨年の今頃急逝した山仲間のKさんのログハウスに立ち寄りました。石碑に花が手向けられていました。早いものでもう一周忌です。彼から最後に電話をもらったのが亡くなる二日前の朝でした。「ムラサキシメジ採れたかや?」という彼の声をはっきりと覚えています。この日、北アルプスは雲の中でしたが、晩秋の青い空が映る千曲川の流れが綺麗でした。彼の愛した風景は、去年と変わりません。
彼が植えたマユミの実が鈴生りでした。谷へ降りると泉があります。蟹沢と言いますが、私達は子供の頃からガンザワと呼んでいました。ガンザワで変換すると蟹沢という文字も出てくるので、単なる方言というわけでもないようです。彼がよく言っていましたが、この泉は第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が陣用水としたという里俗伝があります。昔はサワガニがたくさんいて捕りに来たのですが、いなくなりました。
長坂峠に戻ると、カマキリの巣を見つけました。地上から30センチぐらいです。信州や新潟では、カマキリが高い所に巣を作る冬は雪が多いという伝承があるのですが、この冬は昨冬の様な豪雪はないということなのでしょうか。これも科学的に説明できるものではないという話もありますが、この写真は覚えておきましょう。
妻女山展望台の東側が伐採されて、松代城址(海津城址)が見えるようになりました。実はある観光客の方から松代城址が全く見えないんじゃ展望台の意味が無いと苦情を言われ、私が長野市にメールをしたのです。展望台周りのソメイヨシノは剪定するが、東側の雑木林は環境保護林なので切れないと返事が帰って来ました。私は展望台を嵩上げして欲しかったのですが、まあそんな予算もないということで、結局伐採に至った様です。面積も小さいのでダメージはほとんどないでしょう。ちょうど煙が立ち上る向こうの森が松代城址です。上杉謙信が海津城の炊飯の煙を見て、武田信玄の夜襲を察知という、有名な第四次川中島合戦の逸話を思い出させる様な煙ですが、長芋のつるを燃やしているのでしょう。この季節の風物詩です。
妻女山展望台の北側の風景です。飯縄山がそびえています。千曲川の向こうには、長野パルセイロのホームとなるサッカー場が建設中ですが、かなり形になってきました。まるで欧州の地方都市にある様なコンパクトでいいスタジアムです。新国立競技場のあの醜悪な東京に全くそぐわないデザインのよりも遥かにいいと思います。試合当日には、この展望台まで歓声や応援のチャントが聞こえることでしょう。もうすぐ長野の恵比寿講の花火大会ですが、ここからは遠花火がよく見えます。
◉昨年の記事。「長野えびす講煙火大会 遠花火」。
必見!◆新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間:JEPA(pdf)ネオニコチノイド系農薬は、松枯れ病だけでなく、水田の除草剤やカメムシの除虫、空き地の除草剤や家庭用殺虫剤に使われていますが、元はベトナム戦争の化学兵器の枯葉剤と同様で(代表的なのがラウンドアップ:グリホサート剤)、脳の発達障害、多動性障害(ADHD)を引き起こす強力な神経毒の『農薬』ではなく、『農毒』です。
肉厚の椎茸があちこちに。一時期、天敵のゴムタケが発生したのですが、その度に丹念に取り除いたため大きな被害には至りませんでした。これらの椎茸は、皆でバーベキューや鍋をやる以外は全て干し椎茸にします。
森の中で山桜の倒木に平茸を発見。びっしりと出ていましたが老菌が多く、食べられるものはわずかでした。食べられるキノコでも、老菌を食べるとお腹を壊します。
昨年は、11月13日に初雪が降りました。それでも例年より寒くなるのが遅かったのですが、今年は更に遅く、山にはまだあちこちに緑が残っています。それでもやっと落葉松の黄葉も始まりました。初氷も張りました。
陣場平のクマノミズキもまだ緑の葉が残っています。私はクマノミズキを森の珊瑚と呼んでいるのですが、真ん中の写真を見ると、それがよく分かると思います。花が咲いているときは緑色なのですが、果実がなる頃に赤色化してきます。花は昆虫たちが盛んに吸蜜に訪れ、果実は野鳥たちが食べに来ます。
最後は信濃柿(豆柿・琉球豆柿)です。実の直径は2センチほど。柿渋を採るために栽培もされてきましたが、これは野生のものです。私もこれで柿渋を作ってあります。実は、落下すれば狸などの餌になります。しないものは木になったまま干し柿になります。渋柿なんですが、干し柿になると甘くなり美味しいんです。
松枯れ病対策で伐採され、積み上げられた赤松の丸太の裏に妙なものを見つけました。表面は銀色に輝いています。触ると柔らかくプニョプニョしています。そっと取ると裏はこんなです。破いてみると中はコーヒー色です。粘菌(変形菌)のマンジュウホコリです。破れたものを持ち帰り、翌日見るとチョコレート色に変色し、かなり固くなっていました。毒性はないだろうと、ちょっと舐めてみましたが無味無臭でした。。粘菌は、昆虫の幼虫や小さな甲虫、カタツムリの幼生やキセルガイのエサになるようです。
鮮やかなヌルデの紅葉。ウルシ科ですが、これでかぶれたという話は聞いたことがありません。真ん中は色づき始めた榎の葉。オオムラサキの幼虫の餌になります。現在、オオムラサキの幼虫は、この樹の下の落ち葉の中にいて越冬します。
小春日和(Indian Summer)の穏やかな日には、この蛾が明るい林床をたくさん舞っています。晩秋や冬に成虫が発生するシャクガ科の総称をフユシャク(冬尺蛾)といいますが、これはイチモジフユナミシャク(Operophtera rectipostmediana)のオスです。メスは、全く違う姿をしていて飛べません。成虫は口吻がなく羽化してから全く食べ物を食べずに一ヶ月ほど生きるのです。シャクガの幼虫は、尺取り虫で、イギリスではLooper(輪を作るもの)、アメリカではInchworm(インチを測る虫)と呼ばれます。尺取り虫の歩き方は、まさに長さを測るような動きです。
昨年の今頃急逝した山仲間のKさんのログハウスに立ち寄りました。石碑に花が手向けられていました。早いものでもう一周忌です。彼から最後に電話をもらったのが亡くなる二日前の朝でした。「ムラサキシメジ採れたかや?」という彼の声をはっきりと覚えています。この日、北アルプスは雲の中でしたが、晩秋の青い空が映る千曲川の流れが綺麗でした。彼の愛した風景は、去年と変わりません。
彼が植えたマユミの実が鈴生りでした。谷へ降りると泉があります。蟹沢と言いますが、私達は子供の頃からガンザワと呼んでいました。ガンザワで変換すると蟹沢という文字も出てくるので、単なる方言というわけでもないようです。彼がよく言っていましたが、この泉は第四次川中島合戦の際に、上杉謙信が陣用水としたという里俗伝があります。昔はサワガニがたくさんいて捕りに来たのですが、いなくなりました。
長坂峠に戻ると、カマキリの巣を見つけました。地上から30センチぐらいです。信州や新潟では、カマキリが高い所に巣を作る冬は雪が多いという伝承があるのですが、この冬は昨冬の様な豪雪はないということなのでしょうか。これも科学的に説明できるものではないという話もありますが、この写真は覚えておきましょう。
妻女山展望台の東側が伐採されて、松代城址(海津城址)が見えるようになりました。実はある観光客の方から松代城址が全く見えないんじゃ展望台の意味が無いと苦情を言われ、私が長野市にメールをしたのです。展望台周りのソメイヨシノは剪定するが、東側の雑木林は環境保護林なので切れないと返事が帰って来ました。私は展望台を嵩上げして欲しかったのですが、まあそんな予算もないということで、結局伐採に至った様です。面積も小さいのでダメージはほとんどないでしょう。ちょうど煙が立ち上る向こうの森が松代城址です。上杉謙信が海津城の炊飯の煙を見て、武田信玄の夜襲を察知という、有名な第四次川中島合戦の逸話を思い出させる様な煙ですが、長芋のつるを燃やしているのでしょう。この季節の風物詩です。
妻女山展望台の北側の風景です。飯縄山がそびえています。千曲川の向こうには、長野パルセイロのホームとなるサッカー場が建設中ですが、かなり形になってきました。まるで欧州の地方都市にある様なコンパクトでいいスタジアムです。新国立競技場のあの醜悪な東京に全くそぐわないデザインのよりも遥かにいいと思います。試合当日には、この展望台まで歓声や応援のチャントが聞こえることでしょう。もうすぐ長野の恵比寿講の花火大会ですが、ここからは遠花火がよく見えます。
◉昨年の記事。「長野えびす講煙火大会 遠花火」。
必見!◆新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間:JEPA(pdf)ネオニコチノイド系農薬は、松枯れ病だけでなく、水田の除草剤やカメムシの除虫、空き地の除草剤や家庭用殺虫剤に使われていますが、元はベトナム戦争の化学兵器の枯葉剤と同様で(代表的なのがラウンドアップ:グリホサート剤)、脳の発達障害、多動性障害(ADHD)を引き起こす強力な神経毒の『農薬』ではなく、『農毒』です。