今朝の新聞のお悔やみ欄を見ていたら、伊勢崎工業の機械科の同級生が亡くなっていた、織物組合の理事長をしたり、刀剣の目利きで文化功労で叙勲を受けたりした男だったが。その後いつもの仲間の六〇会の昼食会に出て、秋の旅行の打ち合わせを済ませると山本波ちゃんが「細井のりちゃんが死んだよ」「えっ誰れ」「佐内さんの奥さんののりちゃんだよ」との事、「佐内さんは二っ三っ伊勢崎工業の先輩で市の消防長で退職したひとで奥さんは四っ五っ年下のわけだが如何したの」、「リンパ腫で入院していたのでけどね、お見舞いに行ったら誰もいないでね、苦しそうで可哀想うだった」との事。そう言えばご主人の佐内さんも心臓が悪く大変で、何かというと奥さんが付いていたが、その奥さんが先に逝ってしまっては大変なことになってしまったものだ。
先月の二十八日には境の堀込忠さんの息子が四十八歳で蜘膜下出血でなくなり大変なショックだった。合併で伊勢崎市職員となり文化観光課の課長補佐だったようだが、何か前ぶれがあったろうに若いので油断してたのだろうか?
歳ではないようだ、毎日毎日大事に生きようと思うこのごろである。