もう十一月か、じきにおめでとうと挨拶しなければ成らなくなる、早いものだ。先週の旅行も早いものだ、もう週代わりだ。
二十八日(火)は鞆の街を見て歩いた、鞆と言う所は風待ちの港と思っていたが、潮待ち風待ちの港だったのだ。鞆の町を見学して歩いて、昼飯を食べによったお土産屋の若大の話では「ここは瀬戸内の丁度真ん中辺で潮の流れが一日二回変わるので船が潮の流れの変るのを待ったとこなんです」とのこと、知らぬは一生の損になる所だった。
と言う所だけに西国や九州との、いや中国朝鮮との交通の要衝で港町として栄えたようだ、街造りを見ても商家の間口は狭く大店はべつだが隣の家と壁の張り付いている家もある。
大店と ポニョの居る食堂
狭い道筋が入りくんだ街中は古い建物が多くメインの県道も車の交差がやっとのようだ。お寺や神社が多く文化財的な建物も転在し古い歴史を感じさせる街である。
朝ホテルの窓から前の海を見ると漁船が定置網から魚を揚げていて、その側の岩に通じる浅瀬の街道を波が洗い始め段々に海に沈んで行くでわないか、この時間、満ち潮に入ったのだ。見る間に道は沈み二つの岩だけになってしまった。
夕刻三時三十一分ののぞみに福山駅か乗ろうとしたが列車が来ない、相生駅構内で人身事故らしい、遅れること九十分以上予定より前の列車に乗り気を使い使いして高崎に着くと、両毛線は十時三十分発で待つこと四十分伊勢崎駅は十一時過ぎとなり、帰り着くと夜中のお昼少し前、お茶だけ飲んでおねん
福山駅前の福山城
ねでした。
「今度の旅行で広島のタクシーの運転士さん、尾道のジャンボタクシーの運転士山口さん等皆親切な人達だった、有り難う御座いました。」