今は晩秋と言うのか、初冬というのか?、まあどっちでも良いか。ここ三日ばかり良い日が続き、青空は抜けるようだし日差しがあると暖かな日となる。昨日久しぶりに赤城山を眺めたら各尾根毎の稜線まではっきりと見えた。
この頃の山々は少し赤みを帯びた紫色になっているのが普通である。思い出すのは63-4年前の昭和20年戦局急を告げ、艦載機のロッキードやボーイング29爆撃機などが爆撃にたびたび現れるて居た頃、我々は伊勢崎工業学校へ入学したばかりであった。
先輩は殆ど勤労動員で中島飛行機工場へ行っていたが、一日、八日、十五日にはこの先輩たちが戦勝祈願等の学校行事で朝礼に参加のための登校日で、朝礼の始まる前の空き時間によく 軍歌演習をさせられた。
ヤマムラサキニ ミズキヨク シチシュウノヤニ ウマレタル ワアレラゴジュウノ コノコウニ ツドイシコトヤ ムベナルヤ 。とか
サンザンテンニ イタダキテ などと行進しながら唄わせられたものだった。
前のは聞くところによると前橋士官学校の校歌だったようだし、後のは高崎十五連隊の連隊歌という事だった。もう昔のことで細かい歌詞は殆ど忘れたが、多くの軍歌が生まれたこと、数え切れないだろう。
紫色に染まった赤城、榛名、妙義の三山や周りを取り巻く子持、小野子や甘楽、秩父、日光の連山を眺めながらかっての不幸で大変な時代を思い起こすこのごろである。