昨日の日曜は兄貴と跡取りの一夫君の三回忌で千葉の八柱霊園へ行ってきた。早いものでもう丸二年過ぎてしまったのだ、としみじみ思う昨今である。一昨年一月電話連絡で兄貴死亡の由連絡があり、家族葬とのこと、いささか憤慨してみたがそれから三か月後の四月半ばに甥の一夫君が亡くなったのだそうだ。両方家族葬で済ませたそうだ、やむを得ない措置だったろう、喪主本人がそんな状態では無理もない、遠くで手伝ってもやれず可哀想な事をしたもんだ。
昨日は八時半に境の姉と娘のみどりが孫夫婦の運転の大きなトヨタのワゴン車(アルハードか)で迎えに来て出発、本庄から関越道ー外環道ー三郷南IC から一般道を通り十時四十分頃到着、一夫君の家族はほとんど逢ったことがないので姪の清美夫妻を見つけ奥さんに逢い挨拶ができる。
墓前で読経、焼香を済ませて(しの田寿司)という料理屋で供養の膳を囲む、献杯の発生と云うのでこの時献杯前に我々兄弟がバラバラに育った経緯を話す、妹とし子の産後の肥立ちが悪く母が昭和八年亡くなり妹も亡くなり、四年後に父も亡くなり兄は父方の伯母後の家の桜井家へ、俺は母方の伯母後の家の斉藤家へと預けられたことを説明したのち献杯をして懇談となる。
一夫君息子夫婦か
まあとに角逢った事のない人達では話も弾まない、やむを得ないことか、
午後二時には姉の孫夫婦に迎えに来てもらい清美夫婦に送られて帰路につき、四時ごろには帰宅早いものだ、道路が良くなるとこんなものか。