今から七十一年前の今日千九百四十一年十二月八日早朝NHKラジオ 「最もこの時はラジオの第一第二きり無かったが」の二ュースで「臨時ニュースを申しあげます、大本営発表本八日未明帝国陸海軍は西太平洋において米英蘭と戦闘状態に入れり」と繰り替えしていた。
小学校、もうこの頃は国民学校になって居たか?、五年生今の数え方だと十歳だったが、登校すると校庭に集められ校長先生の挨拶で無く訓示だったかの後、ラジヲ放送を聞かされたものだった、確か五~六年生だけだったような気がする。今想うと何か知らないが背中がゾクリする様な緊張感を持ったことを想い出す。以来一九四五年八月一五日まで初戦の奇襲による勝利の後、三年九か月余トコトン叩きのめされ八月六日広島、九日長崎とダメ押しの原爆投下により敗戦、ポツダム宣言受諾となったのであった。
今想えば物量、科学技術、国土はもとよりあらゆることに勝る列強との戦争に踏み出した一瞬だった。結果は今云々する事もない周知の事だが、なんでこんな無謀な事をしてしまったか不思議でならない、言う歴史家などは日清・日露戦争の上手くいったことの過信の結果などと云うが、果たして其れだけか?。
ちょうどこんな時に衆議院選挙に突入しているが僅か六十年余きり過ぎていないのに、もう憲法改正、自衛隊の国防軍化、核保有などと云いだす人達が居て、また此れを支持する人達が居る、防衛庁が防衛省になり、憲法改正のための国民投票法が出来たところへ、これを進めて来た人が、比較第一党になるような事になれば、サア大変である。
帝国海軍飛行予科練習生を最後に受けた軍国少年は言う、団栗コロコロ団栗子になる前に日本国民よよく考えよう、投票日まで後八日、良い政党を育てよう、皆さん。